第34話「憧憬の陰」
食堂を出たセインは何となく空を見上げた。
雲がどんよりと立ち込めている。
時折、薄く青空の色を透かす雲もあるが太陽は顔を出したがらないでいる。
セインは昨夜のリリアナの光魔法を思い出していた。
最後に放った強力な落雷。
こんな昼間の曇天など比較にならないほど、真夜中の闇を
直後、頭を割りそうなほどに轟いた雷鳴。
まさに神々の怒りの鉄槌を思わせる一撃を食らったリッチは聞く者の肝にも恐怖を与えんばかりの悲鳴をあげ、そして……。
自分を含め、誰もがどんなに望んでも手に入らない凄まじい強力な光魔法。
……いや、教皇クラスならあのぐらい威力のある魔法は使えるか?
でもあの子はまだ十五歳の修道士だ。やはり普通じゃない。
そもそもあれは本当に魔法だったのか?詠唱をしていた様子はなかった。
詠唱なしで闇魔法を放ったリッチと違い、魔法名も唱えなかった。
もしや魔法では……ない…………?
色々と考え込んでいるセインの背中に
「セインさん!」
慌てて追ってきたリリアナの声がかかる。振り向いたセインは足を止めて彼女の走ってくるのを見とめる。
やがて追いついたリリアナはセインの腕を軽く握り、荒くなった息を整えている。
「……あいつらといなくて良かったのか?」
セインは彼女を見ながらそんな事を呟く。どこかふて腐れているようにも感じられるその響き。
一体、何をそんなに苛立っているのだろう、とリリアナはセインの顔を見つめる。
ここ最近では見なくなった冷たい眼差しだ。警戒しているようにも見えるその紫色の光。
久し振りに見た。
そういえば、いつからこんな目をしなくなっていたのだろう、などと思いながらリリアナは
「……初めて会った時も、そんな目をしていましたね……セインさんは一人のほうが良かったですか……?」
と穏やかに訊ねる。
するとセインは明らかに瞳に戸惑いの光を浮かべて、顔をふいっと逸らすと少しだけ口をきゅっと結んだ。
そしてまたリリアナを見つめ返すと
「いや、すまない……少し苛立っていたようだ。棘のある言い方になった。……悪い」
素直に自分の態度を詫びた。
その顔はリリアナにとってはいつも見慣れた表情だ。無表情には見えるが少しだけ目つきがやわらかくなる。
セインと一緒になることが多いリリアナもその微々たる変化を発見していたのだった。
彼の表情の変化を見たリリアナはほんの少し安堵し
「セインさん、宿に帰って休みますか?」
と問いかける。しかしセインは
「いや......気分転換に少し歩こうと思っていた」
と首を振りながら答えた。そしてリリアナに握られた自分の腕にちらっと目を配ってから
「良ければ君も一緒に付き合うか?」
問い返した。
初めて言われた”君”という呼び方に一瞬、驚きつつもリリアナは頷き
「はい、ぜひ」
と返事をする。セインも黙って小さく頷いた。
「あの、でも、セインさん身体は大丈夫なんですか?」
「ああ、問題ない。行こう」
セインの促しにリリアナも柔らかい笑みを返し二人は歩き出した。
夜も歩いた街の中。
昨夜とは違い、街は穏やかな雰囲気だ。
死屍累々だった凄惨な光景が嘘のように。
全てが悪い夢だったようにも思える。
「......当たり前ですけど、昨夜のような光景はもう残ってないんですね......」
リリアナの言葉にセインは辺りを眺める。
「この街の者は戦いに慣れているようだった。あんなことは日常茶飯事だったんだろう」
「日常茶飯事......」
リリアナの育った聖堂とはまるで逆だ。
人が死ぬ事はおろか、魔物すら出現しない。
でも大陸の地域では当たり前のように起きている。
自分が当然だと思っていた”平和”は贅沢なものだったのだ。
「でも、それは昨夜で終わった。不幸の元凶であるリッチを討ち取ったんだ」
セインの口振りは先程よりも明るく、希望を孕んだ響きだ。
数日後に対峙するであろう吸血鬼の王と重ねてみているのだろうか、と思った。
「あ!修道士さまと聖騎士さま!昨夜はありがとうございました!」
セインとリリアナの並んで歩く姿を目に留めた、民家の前の若い男性がはつらつとした声で二人にお礼を言う。リリアナは照れ臭そうにしながらぺこりと会釈で応える。セインはチラリと視線を向けるだけだ。
若者の声を聞いた他の住人も顔をそちらに向け、やはりセインとリリアナに気付くと同じように『ありがとうございました!』という言葉と笑顔を投げかける。
それに気付いた他の住人がまた同じように、と連鎖反応のように二人は続々とお礼を言われ続け、リリアナは苦笑しながら会釈を返す。
「まるで英雄の凱旋のようだな」
セインがポツリと漏らす。
「セインさん、聖騎士だと思われてるんですね」
リリアナはクスッと笑う。
「まぁ、修道士と一緒にいるのがアンデッドハンターだとは思わんだろうな。聖騎士だと思うのが自然だろう。シータスが現にそうなのだし……」
そう言うセインの口振りも少し照れ臭そうだ。
「でも、なんだか悪い気がします。私自身は昨夜の成り行きをあまり覚えていませんし……光魔法を放った事は覚えているんです。その後にリッチから攻撃された事も……でもその直後からあまり覚えていなくて……結局、どうなったんですか?リッチは……シータスさんが倒したんですよね?」
リリアナは少し表情を陰らせながらセインの顔をうかがう。
セインも真剣な顔になり、昨夜見た光景を話し始めた。
「実際にリッチの首を討ったのはシータスだ。しかしその直前だ……君の顔つきは冷たい表情をもった別人のようになり天から巨大な落雷をリッチに浴びせた。事実上、これが奴にとっては致命傷になった」
「別人のようになり……巨大な落雷……」
覚えていない。
正直、リリアナ自身はリッチからの闇魔法を受けて自分は気を失ったのだと思った。
巨大な落雷を起こせる力など心当たりもない。そもそも、光魔法の攻撃ですら初めて使ったのだ。
引っかかるのは『別人のようになった』こと。
セインもリリアナの言葉を聞いて、改めて昨夜の彼女の様子を考察する。
覚えていないのは闇魔法を受けてその直後から……別人のようになったのもこのとき。
……何かが彼女を乗っ取ったとかか……?
セインの脳裏にあの冷たく尖った目つきをしたリリアナの表情が蘇る。
声も全く違うものだった。
そうだ、リリアナが変わったというよりは、明らかにあれはリリアナではない”何か”だ。
問題は”アレは何者”で”なぜアレがリリアナに現れたのか”。
「あのう……」
考えに耽っているセインにリリアナが遠慮がちに声をかける。
「なんだ?」
「その”別人のようになった”私はセインさん達に危害を加えなかったのでしょうか?」
「いや、君はリッチが消滅した後に気絶した」
「気絶……そうでしたか……」
聞けば聞くほどに不可解だが、どんなに考えても正解に辿り着けない。
自分が特殊な人間だと、いや、むしろ人間なのかどうかも怪しい、とリリアナの心が不安に染まる。
その様子を見かねたセインは
「リリアナ、その件はまた次の機会にしないか」
と彼女の背中にそっと手を添える。
「え、でも……」
「身体もそうだが、心も休ませた方がいい。そうだな……この街のはずれに湖があるそうだから少し歩いてみないか」
曇った表情のリリアナにセインがそう提案すると、彼女の瞳に光が灯った。
「みずうみ……ですか?」
「……嫌か?」
「いいえ!行きましょう!」
そう言う少女の顔にはもう笑みが浮かんでいる。
セインも微かに口元が緩む。
やはりこうして見ると普通の少女だな、と思った。
やがて二人の足は民家の代わりに木々が並ぶ場所まで歩みを進めた。
木立の隙間から既に光を跳ね返す水面が見え始めている。
いつのまにか、太陽も雲の隙間から見え隠れするようになっていたようだ。
ほどなくして深緑色の広大な湖水が現れ二人はゆっくりと立ち止まる。
「わあ……すごい……」
湖の全景を目にしたリリアナからため息にも似た感嘆が漏れた。
「私、湖を見たのは初めてで......」
「そうだろうな。海は飽きるほど見てるだろうが」
「ふふ。どんなものかは本で読んで知っていたんですけど......木々に囲まれた所にこんな広大な面積の水のたまる場所があるなんて」
リリアナは初めて見る湖に心を踊らせるあまり、いつもの可愛らしい笑顔になっている。
たかが湖でそんな顔になるものなんだな、とセインは額のあたりで手をかざし、強くなってきた日射しを遮る。
「水面に木々が映って……まるで鏡みたいですごく綺麗……それにとても静かなんですね......波もなくて風もなくて......とても穏やかなところ......」
「そうだな......」
「あそこ、鳥が泳いでる。ということは魚もいるんですね」
「だろうな……」
リリアナはすっかり湖の景色に夢中だ。
だから口数が減っているセインの異変に気付けなかった。
しばらく、その衝動に耐えていたセインはついに
「くっ…………」
遂にその場に膝をついてしまった。
「セインさん!?」
何が起きたのか一瞬分からなかったが、彼が大量に汗をかいていること、そして空を見上げ青空が広がっていることに気付いたリリアナは彼の体に起きた異変を察し、彼の体を支えながら急いで日陰の濃い場所へと連れて行った。
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