第25話「嘆きの景色」

 街中にはびこるゾンビ達。その戦闘を軽い身のこなしと素早い攻撃で切り抜けてきたイリヤとラビアン。

 ゾンビの姿と見れば素早く矢を抜き、弦にかけ狙いを定めて矢を放つ。接近戦ではダガーナイフを武器に戦う場面もあった。

 体格の大きい男性ゾンビには一度に矢を二、三本放つ事もあった。

 あらかた周りにゾンビの姿が見えなくなると、再びラビアンの手を引き、歩きながら街の中をゾンビがいないか探していく。

 あちこちに倒れる死体は人間のものなのかゾンビのものなのか。

 時折、聞こえる銃声はアリスのものか街の人間のものか。

 どこにいても聞こえてくる悲鳴は誰のものなのか……。

 考え出したらキリはないが不気味なその景色に慣れていない、ハンターのイリヤや僧侶のラビアンにとっては気が狂いそうな光景だった。

 聖騎士のシータス、アンデッドハンターのセイン。

 彼ら二人は今まで何度もこの経験をしているのだ。

 その精神は既に通常の人間の域を超えているのだろう。

 ゾンビも何体か倒してきたが、人間そっくりの外見は攻撃する者の判断を鈍らせる。

 とりわけ、まだ綺麗な体を保つゾンビなど目つきを除けば生きている人間にしか見えない。

 土気色の肌もグールとは違ってまだ人間らしい色だ。

 ラビアンにとってはそんな人間に近しい存在を殺してしまう光景は目を向けがたい事で、涙さえ滲んでしまうほどだ。

「おい、大丈夫か!?」

 様子のおかしいラビアンにイリヤが心配そうに声をかける。

 ラビアンはその声を聞くと胸を抑えて立ち止まり、

「ちょっと、待って。ごめん……ちょっと落ち着きたい……」

 と言うと深呼吸を数回した。

 イリヤも彼女をいたわる様に彼女の頭を撫でてやる。

 可哀相に、やはり怯えているのだろう。

 僧侶なんて本来はゾンビどころか殺生自体、縁遠い職業なのだから。

 やはり一緒に連れて来たのは悪い判断だったろうか。

 そんな事を考えながらラビアンを見ていると、彼女の後方にゾンビが数体近付いて来ているのに気付いた。

 街灯の無い暗がりだとどうしてもその存在に気付くのに時間がかかってしまう。

 加えて、街の中という死角だらけの条件も加わり下手をすれば出会い頭にゾンビと遭遇する危険もあるから侮れない。

 イリヤはラビアンを自分の背後に回し、矢筒から矢を抜き弓を引いて狙いを定めた。

 小柄な女性と細身の男性ゾンビ、その後ろにも数体近付いて来ている。

「くそっ!いったい何匹いやがるんだ!」

 矢を放ち、すぐに次の矢を弦にかけゾンビ達を射抜く。

 余裕を与えられない事態にイリヤの矢は狙いを外れる事もあったが、素早く次の矢を射る事で着実に一体ずつ仕留めていった。

 ラビアンはその光景に言葉を失い恐怖に震える他無かった。

 自分の知らない世界。

 城で僧侶として働き続けていた自分にとって現実離れした光景。

 人間と人間の姿をした悪しき者が殺しあうなんて。

 こんな悪夢がこの世にあるの?

 悲しすぎる、悲しすぎるよ!

 そんな事をぎゅっと目を瞑ったまま考えていたからか。

 イリヤも目の前のゾンビに夢中で気が付かなかった。

 ラビアンの後方から別のゾンビの群れが近付いて来ていたのを。

 イリヤが前方のゾンビ達を全部片付け、ラビアンの方に振り向いた時にはゾンビはもう手が届きそうな程近くまで来ていた。

 ゾンビはラビアンに襲いかかろうと汚らしい牙をむき出しにした。

「危ねぇっ!!」

 青ざめたイリヤは慌ててラビアンの肩を強く引き、彼女を押しのけ、ゾンビの牙から彼女をかばった。

 何も気付かなかったラビアンにとってそれはあまりにも突然であり、信じられない光景だった。

 自分をゾンビからかばったイリヤの腕にゾンビの牙が深々と突き刺さっていたのだから。

「ぐあああぁぁぁぁっ!」

「きゃあああぁぁぁ!」

 イリヤの呻き声とラビアンの悲鳴が同時に街の中に響き渡る。

 イリヤは腕にかぶり付いたゾンビを振りほどき、腹部に思い切り蹴りを入れるとゾンビはよろめいて後ずさる。

 ゾンビとの距離が出来たのを確認するとイリヤはダガーナイフを抜き、

「でええぇぇぇいっ!!」

 渾身の力を込めてゾンビの頭に突き刺した。

「ギャアアァァァ!!」

 人間と同じ悲鳴をあげてその場に崩れ落ちるゾンビの姿を確認すると素早くナイフを抜き、他のゾンビ達は得意の弓矢で射抜いて仕留めていった。

 一発射抜くごとに視界がぼやけ力が抜けていくようだった。

 最期おわりが近付いているのを感じた。

 ゾンビに咬まれた、俺はもう間もなく死ぬ。

 ラビアンが泣き叫ぶような声で自分の名前を呼んでいるのも度々聞こえたがせめて自分が息絶えるまでに周りのゾンビを殺しきっておかなければ。

「くらえ!死に損ない共めっ!!」

 イリヤは彼女を守りたいという使命感からその攻撃の手を止めることは無かった。

 振りかざす度に腕から飛び散る血飛沫ちしぶきが地面を濡らす。ラビアンの衣服を染める。

 そんな事を繰り返し、息を荒げながら辺りを見渡すとゾンビの気配が失せた事に安心し、その途端その場に座り込んでしまった。

 胸が苦しい。荒くなった息がまるで落ち着かない。

「ぅぐっ……」

 満足に呼吸が出来ない。

 ラビアンは顔色の悪いイリヤに泣きながらすがりついた。

「イリヤ!待ってて、いま治癒魔法をかけるから!」

 彼女はそう言ってイリヤの腕に魔法をかけ始めた。

 治癒魔法の温もりが腕に感じられる。

 だがしかし、イリヤにはもうわかっていた。

 傷は癒えてもゾンビの牙についた体液は体内に入り込み体中を侵食していく。

 体が冷たくなっていくのを感じた。呼吸も浅くなっていく。

 心臓の鼓動が少しずつ感じられなくなっていく。

 力が抜けていき、体が支えられなくなりその場で仰向けに倒れこんだ。

「すまねぇな……ラビアン、俺はもう駄目みてぇだ、わりい…………」

 やっと絞り出されたかのようなイリヤの声に力は無く、傷が癒えていくのに反して血色は悪くなっていくばかりだった。

 生気が感じられない。

 諦めたように笑みを浮かべるイリヤ。

「嫌だよイリヤ!諦めちゃ駄目!ゾンビの牙になんて負けないで!ねぇ、お願いだから……!」

 泣き叫ぶラビアンの頭にイリヤの手がそっと乗せられる。

「泣かないでくれ、笑ってるお前の顔が好きなんだ……ラビアン、笑って……俺の名を呼んでくれ……」

 力強さの感じられない声だったが、イリヤのラビアンへの想いの強さはその冷え始めた手を介しても伝わって来た。

 泣かないでくれ。

 笑ってくれ。

 最後にまぶたに残るのは笑顔のお前がいい。

 そして呼んでくれ、愛しいその唇で俺の名を。

 ラビアンは口を歪め、精一杯の笑顔を作った。

 涙は止まらなかった。熱い雫がイリヤの顔にこぼれ落ちる。

 そして、頭に乗せられた手を胸の辺りまで下ろして握り締め、震える声で彼の望む言葉を口にした。

「愛してるから……イリヤ……ずっとずっと愛してる……」

 その言葉を聞いてイリヤも安心したように笑みを浮かべたまま目を閉じた。

「あぁ……俺もずっと愛してる。ラビアン……」

 その言葉を言い終えると、すっと息を吸いゆっくり吐き出し、それきり彼が呼吸をすることは二度と無かった。

「イリヤ……ああ…………」

 ラビアンはイリヤの冷えた体にすがりつき、声の限り泣き叫び続けた。

 世界で一番、愛しい男性の死の前にこの後襲ってくる恐怖など気に留められるはずも無かった。

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