第19話「心の片鱗」
翌朝。
夜中には一時的にあがっていた雨だったが、セインとリリアナが宿に戻り再び眠りに就いた暫く後に再度降り出し、次第にその雨脚は強くなり、夜が明ける頃には嵐のようになっていた。
もちろん旅に出るどころではない。
町の人間ですら外を歩く者はなかった。
早起きをして受付にて宿泊延長の手続きをしていたシータス。外の景色を見ながらため息をつく。
出来れば先に進みたかったが、この荒れ模様では仕方ないか。
まぁ、もう一日休息日が出来たと思えば。
ここのところ戦闘続きだったのだし。
シータスは宿泊延長手続きを終えると、さぁ今日はどう過ごしたものかと考えながら部屋に戻った。
それから一時間ほど経った頃、ようやく他のメンバーも起きだしてきたようでシータス達の部屋にラビアン、次にアリスが今日はどうするかと訪ねてきた。
彼女達には今日は見ての通りの悪天候なので宿泊延長をとった事を伝え、
「貴重な休息時間が増えたと思って今日はのんびり過ごしてくれ」
という一言も添えた。アリスは少しホッとしたらしく
「そうよね……また明日から戦闘続き、なんてこともあり得るものね」
と冗談っぽく笑っていた。
しかしラビアンのほうは不安げな表情だった。
「……皆既日食までに間に合うんだよね?」
その不安はもっともだ。シータスもそれは憂いてはいた。
もちろん、吸血鬼の城まで五日ほどしかかからないのだからそれほど心配はいらないのだが。
「大丈夫だ。きちんと計算したルートで進めているから余裕はある。ペースも悪くないしな」
と安心させるように言った。それは自分に対しても。ラビアンもそれを聞くと納得した様子で自分の部屋に戻っていった。
部屋に戻ったラビアン。
イリヤは窓の外を眺めながらボーっとしていた。
「シータスに訊いてきたんだけどさ……」
その姿にそう声をかけると、彼はゆっくり振り返った。
「この分じゃ今日は移動は出来ないねって。まぁ、日にちもあるし出来るだけ休んでおいてってさ」
「まぁ、そうだろうな」
シータスからの
ラビアンはイリヤに後ろから抱きついた。
「私ね、今は本当に怖い。グールに襲われた時からこの旅を続けるのが怖くなってしまった」
泣いているようにも聞こえるラビアンの声はイリヤの胸を締め付けた。
彼女に怖い思いをさせてしまった上に助けたのは自分では無くセインだった。
正直、セインには感謝している。
セインがいなければグールにラビアンは凌辱され殺されていたのかもしれなかったのだから。
これからも彼女がああして襲われたりした時、自分は本当に彼女を守りきれるのか。
ただでさえあの時、ラビアンの元に駆けつけるのが遅れたというのに。
市街戦ではミスは殆どなかった。
無駄射ちもなく軽快に戦闘をこなしていた。
なのに、一番大事な女を自分で守れなかった事が悔しくてならない。
しかしいつまでもグダグダとこうして病んでいるわけにはいかない。
聖杯奪還の使命も重要ではあるがこの愛しい女性を守ることもまた自分にとって大事な使命だ。
イリヤはラビアンの方へ向き直る。潤んだ瞳が自分の言葉を待ちかねていた。
彼女の可憐な唇に自分の熱を重ねる。
「んっ……」
ラビアンが甘い声を漏らす。
イリヤはゆっくり唇を離し、彼女の瞳を見つめると強く抱きしめた。
「大丈夫だ。俺が護る」
イリヤの温かい胸の中でラビアンは涙声で、うん、と頷いた。
一方、一階の談話室では朝食を終えたセインが一人読書を楽しんでいる最中であった。
そこに通りがかったのが退屈しのぎに二階から降りてきたアリス。読書をしているセインの姿を見つけて
「あら、おはよう。何読んでるの?」
と声をかけ後ろから覗き込む。
すると意外にも彼が読んでいたのは漫画だった。
クールで人間離れしたイメージのあるセインの素朴な一面を見た気がしてアリスは自然と笑みが
「ふふっ。そっか、セインも男だものね。そういうのも読むわよねっ」
「どういう意味だ?」
アリスの言葉に眉を吊り上げながらもその可愛らしい笑顔につられて口元が少し緩むセイン。
そんな彼の表情を見逃さなかった彼女はこれまた珍しいものを見たと、一瞬驚くがすぐにまた笑顔になった。
「ううん!ね、隣座っていい?」
「ああ」
彼の返事を聞くとぽふっとソファに腰掛け、
「見せて」
と言いながら彼の手の中にある漫画を、開いているページを閉じないようにしながら手に取った。
黒い、マットな手触りのカバーがかけられた表紙には、大きな鎌をもった少年とその背後に悪魔のような生き物が描かれていた。
「どんな内容なの?なんかホラーっぽいわね」
「死神の能力をもった少年の話だ。自由に人の死を操れるらしい」
「あら、怖い。じゃあその少年に嫌われるようなことしちゃダメってことね」
「そうだな」
二人がそうして漫画の内容に華を咲かせ盛り上がってる様子を、二階廊下の階段前から目にしたシータス。
彼も退屈しのぎに、と談話室に降りようとしていたのだが、いい雰囲気のようだし暫く二人きりにさせてやるか、と
部屋に戻って適当に自分も読書でもして時間を潰そう、などと考えていた。
そんな彼の後ろ姿を見ていたのがもうひとり。
自分の部屋から出てきたばかりのリリアナだった。
彼女の部屋は廊下のつきあたりでシータス達の部屋とは離れているので、階下に気を取られたシータスはリリアナの姿に気付かなかったようだ。
シータスの様子を一部始終見ていたリリアナは、なぜ彼が戻っていくのか不思議に思い、ついその後ろ姿に
「シータスさん?」
と声をかけた。
少し驚いた様子で振り返ったシータスに首をかしげながら歩み寄るリリアナ。
「ああ、リリアナちゃんか」
「した、降りないんですか?」
「ん。ああ、セインとアリスが良い感じだからさ、邪魔しちゃ悪いかなと思って」
「……?はあ……そうですか……」
シータスの返答の意味がよくわからないリリアナはなんとなく曖昧な返事だ。
「リリアナちゃんは?もし良ければ俺の部屋で少し話さないか」
そう微笑みかけるとリリアナは目を丸くして少し顔を赤らめた。
「シータスさんのお部屋で?良いんですか?」
「ああ、もちろん。じゃあ、どうぞ」
彼女の返事を聞くとシータスは自分の部屋の前に立ち、鍵をあけ扉を開いてリリアナを招き入れた。
「少し散らかってるけど、そこのソファにでも腰掛けてゆっくりしてくれ」
そう言いながらシータスは何か思い出したように洗面所のほうへ入っていった。
何か見られたくないものでもあるのを思い出して片付けに行ったのかもしれない。
散らかっている、などと彼は言ってはいたが部屋の中を見渡したリリアナには散らかってるなんてまるで思えなかった。
シータスもセインも几帳面な性格なのだろう。どこもよく片付いている。
ベッド周りも整えられ、清潔に保たれている。
荷物も部屋の隅の方にまとめられており、それでいながらすぐに使えるように武具は邪魔にならない場所に用意されてあった。
そんな綺麗な部屋を見ながらリリアナは同部屋のアリスの事を思い出した。
大雑把な性格ゆえか整理整頓といった事には無頓着で荷物も着替えも乱雑に扱っていた。
実はといえばリリアナはその乱雑になった部屋の片づけやら何やらをさっきまでしていたのだ。
彼女にもこの部屋を見せたいなぁ、とリリアナは小さくため息をつきながら一人掛け用のソファに腰掛けた。
「すまないな、俺の方から誘っておきながらバタバタして」
洗面室のほうから戻ってきたシータスが申し訳なさそうな笑みを浮かべながら、もう一つのソファに腰掛ける。
「いえいえ!どうぞおかまいなく」
リリアナはニッコリ笑う。その顔を見てシータスも穏やかな笑みを返した。
「旅を始めてみてどうだ?初日から大変ではあったが……」
「そうですね、魔物に襲われた時は凄く怖かったんですけど……」
昨夜のセインとの会話が思い出されてつい言い
また聖堂暮らしだったから、とか言われるのかなと考えるとなかなか正直な気持ちを切り出せない。
何か言い
「うん……けど?そういえばリリアナちゃんさ、こんな言い方もなんだけどリリアナちゃんって意外と勇敢な一面があるんだなと思ったんだ」
「勇敢、ですか?」
「うん、最初の夜グールと戦闘になっただろ?あの時、リリアナちゃんはラビアンのそばで結界を張って守ってくれていた。あの姿に勇気をもらった者もいたはずだ」
「そう、なんでしょうか……」
「ああ、勇気は伝染するからね」
勇気は伝染する、そのシータスの言葉にリリアナはハッとした。
「あの、私も、聖堂が吸血鬼達に襲われた時に、戦ってくれた人達を思い出して……」
「そうか、リリアナちゃんも聖堂の人達の勇気をもらったんだな」
シータスは首をかしげてにこっと笑った。リリアナもつられて微笑んだ。
そして、
「シータスさんは?」
と今度はリリアナのほうから彼に話題を振る。んっとシータスは口元に笑みを携えたままリリアナの顔を見た。
「シータスさんは旅を始めて、戦闘もたくさんしてますよね」
彼女の言葉にシータスはやはり優しい笑い声をもらして
「ああ、でも俺は元々は兵士だからな。聖騎士といっても戦争があれば戦うし同盟国と協力して敵国まで遠征する事もある。俺にとっては旅も戦も珍しい事じゃない」
そう言いながら腕を組みながらソファの背もたれにもたれかかった。
それを見たリリアナが少しきょとんとする。
「……でも、疲れの方はあまりとれてない様子ですね?」
「ん、そうだな……歳のせいか、なかなか疲れは抜けにくくなったみたいだ」
シータスは陽気にあははと笑った。
「あの、もし良ければ、私、疲れを癒しますよ!」
「えっ、リリアナちゃんそんな事も出来るのか?」
思いがけないリリアナの言葉に驚くシータス。脳裏によぎるのは彼女の特殊な能力だ。
浄化や治癒が出来るのは知っていたし実際に目の当たりにもしてきた。
疲労まで治癒できるのか?
「はい。あ、じゃあベッドのほうで横になって楽にしてください」
「ふ、ふーん?」
シータスはリリアナの促しに戸惑いながらも従った。
その頃、談話室で雑談を楽しんでいたセインとアリス。
ふと、セインはリリアナが一向に姿を見せない事を気にし始めた。
自分と違い、どちらかというと一人で過ごすより人と一緒にいるほうが好きなタイプだろう。
「……アリス、リリアナは何してるんだ?」
「えっ。ああ、そういえば……」
セインの問いかけにアリスは自然と二階の方に視線をやった。
「私が部屋から出るとき、荷物とか着替えとかの整理をしてたわね。終わったら一階に降りると言っていたけど……ちょっと遅いように感じるかしら」
セインはそれを聞くと顔をしかめ、立ち上がった。
アリスはやや面食らった。
「窓の鍵は開けてないだろうな?」
「え、ええ……この嵐で窓は開けないしリリアナちゃんもそうだとは思うけど……あ、まさか……?」
二人は魔物の存在を疑う。
「一応、確認に行こう」
二人は階段を上り足早にアリスとリリアナの部屋へ向かった。
そして部屋に入り、リリアナの姿を探すもどこにも見当たらない。
「いないわ!どこに行ったのかしら?二階って客室とバルコニーしかないわよね?」
不安げなアリスの言葉には答えず
「シータスにも知らせて探そう」
セインは
二人が部屋の前に立つと小さな異変に気が付いた。
シータスの声が聞こえるのだ。しかもその声は普段とは違う。何やら
二人は顔を見合わせる。
耳を澄ませ、中の様子をうかがってみると。
「んっ……気持ちいい……リリアナちゃん、上手なんだな……」
「ふふ……そうですか?」
「ああ……もう少し強くしてくれるか……?」
「これぐらいですか……?」
「あっ……良いな、気持ち良いよ……」
どうやらリリアナと一緒らしいという事には一応は安心はしたが、シータスの声のほうは少しくぐもっているのが気になった。
「……なにしてるのかしら?」
腕を組んで眉をひそめるアリスだが、セインはその言葉には答えずに扉を見つめる。
セインの脳裏に昨夜のラビアン達がよぎっていた。
まさか。まさかとは思うが、シータスに限ってそんないかがわしい事をしているはずが。
セインは扉を勢いよく開けた。
騒々しいその行動に部屋の中のシータスとリリアナは驚いた様子で顔を向けた。
「あっ、セインさんと……アリスさん」
リリアナはほんのり微笑む。
シータスはベッドにうつぶせで寝そべっており、その傍らに立つリリアナは彼の背中に指を押し当てているようだ。もちろんシータスもリリアナも衣服は着たままだ。
その光景は紛れもなく……。
「なるほどね、マッサージしてたんだ」
アリスがおかしそうにそんな事を呟いた。リリアナはきょとんとし、シータスは体を起こして
「なんだ?二人して……」
そう言いながら肩を回したり首を曲げたりしている。
「リリアナちゃんが降りてこないから心配して探してたのよ。シータスと一緒にいたのね」
アリスはセインとシータスを交互に見やる。セインは無表情だ。
「ああ、部屋から出てきたのを見かけて俺から誘ったんだ」
シータスは少し嘘を混ぜる。リリアナが驚いた顔をしてシータスを見るがシータスはウインクをして返す。
話を合わせろ、という合図だ。
リリアナもきゅっと口を結んだ。
しかしその言葉にセインがかみつく。
「お前からだと?」
「ああ、少し話したいこともあったしな」
セインの反応は予想していたようでシータスは全く動じることなくさらりと答える。
「それがマッサージなのか?」
じっとりとした目で見るセイン。シータスはふっと吹き出して
「それは単に話の流れでそうなったんだ。一応断っておくと俺から言い出したことじゃないぞ」
疑いの目を向けるセインにあくまでも動じない笑顔であしらう。
「そうだ、セインもマッサージしてもらったらどうだ?結構、彼女上手いんだ。おかげですっかりほぐれたよ」
「あら!いいじゃない!セインもやってもらったら?私達ここでその様子見ててあげる」
シータスのいたずらっぽい提案にアリスものってきた。
どうやらセインの、マッサージされてる姿が見たいというよりは快感から漏れる声が聞きたいのだろう。
二人のその意図に気が付くと、セインはふいっと顔を背けて
「いらん!」
と吐き捨てて部屋からさっさと出て行った。
あからさまに恥ずかしがる彼の姿にシータスとアリスは顔を見合わせてくすくすと笑うと
「リリアナちゃん、下降りようか」
「はい」
にっこり笑って答える彼女と共に三人、談話室へ向かった。
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