第20話「黄昏時にて」
やっと雨が止んだのは夕方だった。
シータスとセインは互いに自身の武器を持ち、町の運動場を借りて剣の稽古をしていた。
ちょうどシータスの剣がセインの刀によって弾かれて床に落ち、その隙をついたセインが素早くシータスの喉元に刀を向けた所で二人の動きは止まった。
刀の切っ先の奥でセインの紫色の瞳がシータスの瞳をじっと見据える。
身震いを覚えるほど冷たいその目を見ただけでも手加減などしていない、という事がうかがえた。
もし敵同士だったら、俺は本来なら首を飛ばされて殺されてしまっているのだろう……。
そう思うと肝が冷えた。
「まいった……さすがだな……」
シータスが刀の切っ先を見つめながら苦笑いを浮かべ、両手を軽くあげた。
セインは刀をおろし、尚もシータスを強い眼差しで見つめる。
「……以前よりは動きが良くなった。が、まだ少し無駄な動作がある。俺とお前では普段戦う相手が全く違うのはわかるが、生きた人間相手でも殺す気で臨まねば守りたいものも守れんぞ」
表情を変える事無くそう言いながら刀を鞘に収め、
「今日はもう終わりだ」
と言うと汗を流すため、運動場の片隅にある更衣室のシャワー室へと入っていった。
シータスも弾き飛ばされた剣を拾い上げ、鞘に収めながらシャワー室へ向かった。着衣を脱ぎながら、最後に見たあの表情を脳裏に浮かべる。
セインからの厳しい評価。
旅に出る前も何度かこうして、セインと剣の手合わせをしてきたが、正直セインの太刀さばきは無駄が無く、翻弄されっぱなしだった。
シータスがいくら国で聖騎士団長として優れた腕と評価された所で、セインの前では所詮子供の芸だという事を痛感した。
シータスはシャワー室に入るとシャワーの蛇口をひねった。
勢いよくぬるま湯が噴き出る。
顔を上げてシャワーの湯を浴びる。
彼と俺とでは何が違う?
十代の頃から共に戦ってきたのに、この強さの違いはどこでこんなにも差がついたのだろう?
……くそっ……!
汗や湯と一緒に、このやりきれない気持ちも流れてしまえばいいのに。
色々と考え込みながらシャワーで身体を十分に洗い流した後、シータスは蛇口を閉め、壁に手をついてうつむいた。
シータスの全身を濡らした水滴が、彼の髪を、身体をつたって落ちていく。
足元で弾けた水滴は、別の水滴と交わり排水溝へと流れていく。
それを見ながら、シータスはセインの事を考えていた。
別に強さだけを求めているわけじゃない。
彼も言っていた『守りたいもの』を守れるだけの強さが欲しい。
セインは真面目だし、優れた強さを正しい事の為に使える、本当に良く出来た人間だと感心していた。
自分自身にとっても良い影響を与えてくれた。
なのに…………。
シータスはセインからの依頼を思い出し、ぎゅっと唇を噛むと手をついていた壁を思い切り殴りつけた。
顔をあげ、軽く頭を振って水滴を飛ばした後、タオルを被り身体を拭いた。
やがて新しい服に着替えて更衣室を出ると、先にシャワーを終えていたセインが待っていた。
「シータス、良ければ少し……酒でも飲みに行かないか」
「おっ!珍しいな、君から誘ってくれるなんて」
オレオール国で共にアンデッド退治をしてた頃から、仕事が終わって余裕のある時は酒を酌み交わす事はあったものの誘うのはほとんどシータスからだった。
「少し気晴らしをせんとな」
セインはそう言って、微かに笑みを浮かべた。
「そうだな、久し振りに飲むのも悪くないな」
シータスもニッコリ笑って明るい声で答えた。
二人は町を歩き、細い路地にある小さなバーに入って行った。
店内には数人ほど客がいたが混んではいない。
静かで穏やかな雰囲気が漂っていた。
シータスとセインはカウンターの席へと腰掛けた。
そして年配のバーテンダーに、シータスはマティーニを、セインはロブ・ロイを注文した。
バーテンダーは手慣れた様子で二つのカクテルを作り、二人に差し出した。
プラチナゴールドに輝くカクテルの王様マティーニと、バーボンをベースに作られた深い赤をまとうロブ・ロイ。
シータスとセインは、乾杯、と言いたげに無言でグラスを持ち上げた後、カクテルを一口飲みグラスを置いた。
セインはゆっくり息を吸い込み、そして小さく「ふぅ」とため息を漏らす。
ボンヤリと虚ろげな瞳は血のような色を湛えたグラスを見つめていた。
「何か悩みでもあるのか?」
見かねたシータスが、穏やかな口調で訊ねた。
その言葉にセインもチラリとシータスを見やりながら軽く首を振り
「いや……大したことじゃない……リリアナの事を考えていた」
と無表情で答える。
これにシータスは「おやっ」と首を傾げた。
「アリスの事じゃなく?」
「アリスだと?なぜだ?」
訝しがるセインにシータスは少し微笑む。
「なぜって……わからないか?アリスは多分、君に好意を抱いているぞ」
「は?」
セインは目を丸くしてシータスの顔を見た。
微笑んだままマティーニを口にするシータスにつられるように、セインも少しぎこちなくグラスを唇に傾ける。
「俺の目から見ても君とアリスはお似合いだと思うけどな」
顎を撫でながらシータスはセインの様子をうかがった。
しかしセインは小さく首を振る。
「いや……俺には勿体ない女性だ。容姿端麗で性格も明朗で……俺のような陰気な男よりもっと
それを聞くとシータスは少し表情を陰らせる。
「……それで、リリアナちゃんの事を考えていた、というのは?」
セインはカクテルを一口飲み、小さくため息をつきながら視線をテーブルに置いたグラスに落とした。
「変な意味じゃない。リリアナからも話を聞いて気になっていた事だ」
普段は物事をはっきりと意見するセインだが、今日は珍しく歯切れが悪い。
シータスはいつもと様子の違う彼の次の言葉を促す。
「……煮え切らないじゃないか。なんだ?気になっていた事というのは」
「リリアナの親の事だ」
「親?」
予想に反した内容にシータスはさも意外という顔を向けた。
その顔を見る事なくセインは続けた。
「リリアナにも『閉鎖的な島なのだからその人物は限られてくるはず、心当たりはないか』というような質問をしたが、やはり分からないようだった。シータス、お前は彼女の親について、誰かから何か聞いたことがあるか?」
「いや、聞いたことはないが……拾われた子なんだよな?しかしなんだってまたリリアナちゃんの両親の事が気になるんだ?」
シータスの当然の返答にセインは舌で唇を濡らし、ほんの少しその唇を軽く噛んでから口を開く。
「……聖王の親も不明とされている。そして彼と同じ力を持つリリアナの親も分からない……妙だと思わないか?じゃあ彼らは誰の子なんだ?」
セインの疑問にシータスは絶句し、手元のグラスを見つめた。
考えた事もなかったが、その疑問は最もだ。
確かに聖なる力をもつ二人の人間の、両親が不明なんて奇妙な偶然だ。
親が存在しないとでもいうのか?
そうなると彼ら二人は人間ではない……?
いや、そんなまさか。
シータスの黙り込んで何かを考えてる様子を見ながらセインは再び口を開く。
「そしてこれは誰も口にしないが……聖王と同じ浄化の力を持つリリアナ。吸血鬼共が聖王の血の入った聖杯を狙ったのは、死の皆既日食の日にその聖王の力を自分に取り入れ弱点の無い体を手に入れるためだが……ならばリリアナの血でも同じ事が言えるわけだ」
シータスは顔を上げてセインの顔を見つめた。
「という事は……」
「そうだ。吸血鬼共に絶対に知られてはならん。自分達を一網打尽に出来る人間が現世に存在する……そんな脅威を知れば奴らが放っておくはずがない。必ず殺してその血を”死の星の日”に啜りたがるだろう」
「……殺して、血を……」
セインの言葉を聞いてシータスはリリアナのその姿を想像してしまうと、ぐっと目を瞑った。
その傍らでセインはグラスの真紅を飲み干し、年配のマスターに「同じものを」と注文する。
二人は黙ってそのカクテルが作られるのを見ていた。
血のように赤い液体がグラスに注がれセインの前に差し出される。
セインがそれを手に取り、再び唇を赤に彩る。
なんとなくシータスはそれを見ないようにしていた。
「そういえば」
とセインがグラスを置きながらシータスを横目に見る。
シータスも視線をセインに戻した。
「お前も今朝、リリアナと何か話したそうだな。それもわざわざ自分の部屋に呼び込んで」
責めるようなこのセインの言葉にシータスは一瞬きょとんとした後、ふっと笑った。
「気になるのか?」
「まあな」
セインは淡々としていながらも素直な返答だ。
それがおかしくてまたクスクスと笑うシータス。
「何がそんなに可笑しいんだ?」
「何がそんなに気になるんだ?」
いたずらっぽく質問に質問で返すシータス。
その質問の裏に気付き、ふいっと顔を背けるセイン。
シータスは自身のすこし紅潮した頬を人差し指でこすりながら
「ナイショ」
と微笑み、マティーニのさくらんぼを口に含んだ。
セインは面白くなさそうにムスッとした表情を浮かべながらふーっと大きいため息をついた後にロブ・ロイを口に注ぎ込む。
「……好きなのか?」
「違う!」
からかうシータスの言葉にもセインはきっぱり答え、グラスをカンッとやや強めに机に置くと、ポケットから出した硬貨をグラスのそばに置きながら席を立った。
シータスはなおも笑いながら、彼が置いたその硬貨と自分の財布から出した硬貨をマスターに差し出し、セインの後を追うように店を後にした。
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