第15話「キセキ」

 泣きじゃくるリリアナを見て、よほど怖い思いをしたのだろうとセインは何度も彼女の頭を撫でていた。

 泣きたいのはラビアンも同じだろう。

 セインがチラとラビアンを見ると彼女は抱きつく事など無く目を伏せ、セインの上着を着たまま自らの肩を抱き身体を縮みこませて震えていた。

 呼吸もまだ整っていないようだ。

「ラビアン、平気か」

 セインが彼女を気遣うが彼女の目は虚ろだ。

「き、来てくれて……ありがと……」

 そう答えた彼女の言葉はやっと絞りだされたかのように、ゆっくりと小さな声だった。

 彼女の返事を聞いたセインは部屋の外をじっと見つめいぶかしげな表情を浮かべた。

 そして少しの間を置いた後、口を開いた。

「アリスの姿は見たか」

 セインにそう言われてラビアンは初めて彼女の銃声が聞こえなくなっていたことに気が付いた。

「アリス……?」

 おかしい。

 銃を放つ必要が無くなったなら、この部屋の様子を見に来そうなものだが。

 まさか……。

 ラビアンの顔が曇っていく。

「わからない……さっきまで銃を使ってたけど……」

 ラビアンの言葉に顔をしかめるセイン。

 どうも嫌な予感がする。

 セインとしては、すぐにでもアリスを探しに行きたい所だが怯え切ったこの二人は恐らく行かせてくれないだろう。

 またグールが現れたら彼女達は身を守れない。

 砕け散った聖水の瓶や壊れた椅子、そして顔面に火傷を負い後頭部から血を流しているグールを見れば、ラビアンがどれだけ必死にグールを倒したかがうかがえる。

 戦闘力の無い僧侶がグールを一匹倒しただけでも奇跡というものだ。

 セインが出入口の方を見つめ、どうしようか考えていると、ギィ……ギィ……と床がしなる音が聞こえてきた。

 何かが歩いてゆっくりと、こちらに向かってきている。

 耳をすますと、それは息遣いも荒かった。

 泣き続けるリリアナは気付いていないようだが震えていただけだったラビアンには聞こえたらしく、バッと顔をあげて出入口の方を見ている。

「ま……また来たの?」

 グールがまたこの部屋に来たのではないか、とラビアンは怯える。

 ラビアンまで泣き出してしまいそうな顔だった。

 警戒の色を強めたセインはリリアナをゆっくりと自分から離し、

「じっとしていろ」

 と言うと彼女は黙って小さく何度も頷いた。

 セインはそれを確認し、ドアのあった所までゆっくり近付き刀を構えた。

 足音はもうすぐそこまで来ていた。

 そして次の瞬間、目に映ったその足音の主は……血まみれのアリスだった。

 絞り出すような彼女の声が聞こえた。

「……ラビ……セイン……ゴメン…………」

 アリスはラビアンとセインの姿を認めると、力尽きたように倒れこむ。

 グールがいてもすぐに応戦出来るよう銃までしっかり握っていたようで、倒れた拍子に銃が手から零れ落ちた。

「アリス!!」

 ラビアンとセインが彼女に駆け寄り、セインが彼女を抱き起こした。

 よく見ると脇腹にひどい怪我している。殴られたのか顔にはアザもあり衣服もボロボロで一目見ただけでグールに襲われたのが分かった。

 アリスの体から流れ出たおびただしい量の血が廊下で彼女の軌跡を残している。

「オーナー……私が行った時にはダメだった……ドアの陰にアイツがいたのに気付かなくて……」

 アリスの怪我の原因はそれらしいということを確認すると、セインはアリスに毛布を巻きつけてやり、

「リリアナ、手当てを頼む」

 と言うとリリアナは慌てた様子で自身の力を使ってアリスの治療を始めた。

 彼女の手から発せられる温もりに包まれながらアリスは続けた。

「……犯されかけたけど、アイツは殺ったわ……その後に二階の物音に気付いて……リリアナちゃん、守らなきゃって……でも良かった……あなたが守ってくれたのね……」

 そう言い終えるとアリスは力無く笑った。

 セインは顔を曇らせる。

 今の言い方だと自分が宿に戻った時には既にアリスは襲われている最中だった事になる。二階に気を取られて気が付かなかった。

 アリスが戦える女性だったから良かったが下手をすれば餌食になっていた。欲望のはけ口にされ凌辱の末に食糧にされたはずだ。もっと気をつけてやるべきだった、とセインは顔をしかめながら唇を噛んだ。

 そうして彼女の回復を見守っていると一階の方から男性の声が聞こえてきた。

 よく聞くとイリヤの声のようだった。

「ラビ!ラビ、平気か!?」

 怒鳴りながらドカドカと階段を駆け上がってきたイリヤは、部屋の中のセインとラビアンの姿を見て安心したような表情を浮かべ歩み寄ってきた。

 おそらくアリスの血の軌跡を追ってきたのだろう。

 少し遅れながらシータスも彼の後ろからついてきていた。

 イリヤがセインの後ろから覗き込んだ時、やっと彼の目にアリスの姿が映ったらしく、顔をしかめた。

 後ろのシータスも彼女の姿を見て眉をひそめていた。

「おい……アリスはどうしちまったんだよ……?」

 そう言ったイリヤの声は珍しく震えていた。怯えているようでもあった。

「ドアの陰にいたグールに襲われたらしい」

 セインはアリスに視線をやったまま答えた。

 アリスは言葉を切って以降、目を閉じそのまま気を失っていた。

 彼女の凄惨な姿にシータスのほうは言葉を失っていたが、この時チラリとラビアンの方を見たイリヤは彼女のボロボロになった服に気付いて血相を変えた。

「ラビ……!?なんだ、おまえその格好……大丈夫なのか?」

 セインの上着を着ているラビアンの姿に状況が理解出来ないイリヤはセインと彼女を交互に見やる。

ラ ビアンは自分の格好に改めて気付くと恥ずかしそうに身をかがめセインの上着を強く巻きつけると事の経緯を説明し始めた。

「私も……さっきまでグールに襲われて……首を絞められて服を破られて……でも、間一髪の所でセインさんが助けてくれから怪我とかは無いよ」

 そう言い、無理して笑おうとする彼女の首には確かに絞められた痣が残っていた。

 イリヤはいたわる様に彼女のそばへと寄り添い肩を抱いた。

「それで、村の方はどうだ」

 その場の空気を断ち切るようなセインの問いかけに、我に返ったシータスがたどたどしく答えた。

「あ、ああ……村のグールは全部、残らず片付けた。……ただ、村人の何人かは……」

 そこで言葉をつまらせた。

 彼の言いたい事はわかっていたセインも重ねて問う事は無く黙って頷いた。

 セインはアリスを担ぎ上げベッドへと運び寝かせた。

「さて、村の掃除をせんとな」

「やれやれ、今夜も眠れねーな……」

 イリヤがラビアンの体を支えながら独り言のように呟き、それに同意するようにシータスとラビアンからも深いため息がもれた。

 リリアナも泣き腫らした目で、アリスを心配そうに見つめていた。


 …………それから。

 ラビアンは服を着替え直してからアリスのそばについてずっと彼女を看ていた。

 リリアナはシータスと一緒に負傷者達の手当てを行い、セインは生き残ったグールがいないか村中を見回りグールの死体も処分して回った。

 そしてイリヤは村人達と共に、殺された人の遺体を担ぎ村の教会へと運び埋葬を手伝った。

 心と体の休まりどころも無いまま朝を迎え、リリアナとラビアンは教会へおもむき神父と共にグールによって殺された人達へのとむらいと冥福を祈りお清めを行った。

 意識の回復したアリスも身なりを整えシータスに連れられて墓地へと向かった。

 村人達が、並べられた墓標を見てすすり泣く声が聞こえる中、シータスとイリヤ、アリスは手を合わせセインは目を閉じて黙祷をしていた。

「何から何まですみませんでした、旅のお方達……」

 亡くなった村人への弔いが終わると、この村の村長がシータス達に申し訳なさそうにしながら声をかけてきた。

 シータスのそばにいたセインがそんな村長を見て、

「この村はいつもこんなだろう」

 とやや厳しい口調で返す。

 クロークのフードを被っているセインの顔はよく見えず、その姿に村長はやや威圧感を感じつつも気まずそうに答えた。

「はい……お気付きになりましたか」

「子供や若い女性が極端に少ないと感じたからな」

「そうです……が……人間離れした能力を持つ魔物にはどうする事も出来ず……」

 村長はそう言いながら、悲しげに教会の墓場を見やる。

 セインもその墓場を見ながら、独り言のように落ち着いた口調で村長に言った。

「頻繁に出没するのなら近くにグールの棲家があるはずだ。俺達もこの村を訪れる前夜に林の中でグールの群れに襲われている。日の出ている時にその棲家に聖火を放てば焼き殺せるだろう」

 セインのその言葉に村長は驚いたような顔をして、口を開いた。

「ほ、本当ですか?」

「本当ですよ」

 村長の問いに答えたのはシータスだった。

「村の体力ある男性を集めて棲家を探されてはいかがでしょうか。奴らは日光に極端に弱いので日が出ている内なら駆除出来るはずです」

 シータスの丁寧な口調に安心したのか村長は何度も頷き、涙ぐんでいた。

 今までのグールに関わる苦労と悲しみからくる涙なのだろう、とシータスは少し胸が苦しくなった。

 言わば、この村はグールにとって恰好の餌場になっていたわけなのだからそれまで犠牲になった村人は数知れないだろう。

 その姿を見ていたセインが墓場にあった燃え盛る松明を手に取って

「リリアナ、清められるか」

 と言って差し出した。リリアナは少したじろぎながらも

「はい」

 と答え炎に手をかざした。何を始めたのだろうと周りが黙って見守っていると松明の炎の色が美しい銀色に変わった。

 周囲から驚きの声が漏れる。リリアナも炎の色を確認するとゆっくりと手をおろした。

「聖火だ。決して絶やすな」

 セインは松明を村長に渡し、村長もおそるおそるそれを受け取る。

「では、私達はこれで失礼致します」

 シータスは村長をいたわるような優しい笑みを浮かべた。

 村長も不器用に微笑み、

「本当に何から何まで……ありがとうございました!」

 と、頭をさげた。周りにいた村人達も村長にならうように深々と礼をしていた。

 シータス達はそんな彼らを背にして村を出て次の町へと目指した。

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