第9話「暗澹」
グーロの解体も終わり一段落ついた一行。
結局、食料としての肉は五キロほど切り出し、残りは野生の生き物にくれてやる事になった。切り出したグーロの肉は皮袋に入れてシータスが持ち歩くことになった。
イリヤも特に柔らかい部位の毛皮をいくらか切り取って背中に背負っている。町で売るつもりでいるらしい。
まだ気分が優れないリリアナは彼らをあまり見ないようにし、そんな彼女の様子を見たセインも彼女に付き添うように歩き出した。
一行は山道を抜け下山した後もしばらくは会話をしながら歩き続けていた。
「リリアナ、聖杯の件で気になってる事訊いていいか?」
おもむろにそう切り出したのはイリヤだ。
「は、はいなんでしょう」
まだ先ほどの戦闘が脳裏から離れないリリアナは、少しオドオドしつつ答える。イリヤは構わず続けた。
「聖杯の血ってさぁ、何百年か前に死んだ聖王のものなんだろ?その……腐ったりとかしてねえの?」
当然の疑問だろう。リリアナも昔は教皇に同じ質問をした事があった。興味深げにアリスやラビアンも視線を送ってその会話に耳を傾けている。
「聖王様の血は生きた者とほぼ変わらない状態だそうです。浄化の力があり、ケガや病気を治したり悪魔払いや呪いを解いたりも出来ます」
リリアナの答えにアリスのほうが足元を気にしながら「へえ、そうなんだ」と呟く。
「ヘェ〜……ありがてえけど不気味だな……なんなんだろうなそれって」
イリヤも眉をひそめながら、何か考えるように宙に視線を泳がせた。
「死してなお生きた力を持つ聖なる血か。吸血鬼達は魔の力を増幅させる死の皆既日食の時に、それを飲む事で弱点のない体になるわけね」
ラビアンだ。キリッとした口調で紡がれたその内容に
「色々帳消しになるっつー事か。まぁ、そりゃリスク犯してでも奪いにくるわな。これを逃したらまた五百年待たなきゃならんもんな」
イリヤは呆れ半分、迷惑半分といった感じで吐き捨てるように漏らした。考えてみればそれもそうだ、とリリアナも深いため息をつく。
「まぁ確かにいくら不老不死でも、また五百年のおかわりは待てないわよねぇ。それでなくても、今までも散々待ち兼ねていたでしょうし」
アリスも独り言のようにそんな事を言う。しかしやはりイリヤと同じく迷惑そうな口ぶりだ。
「でも、どっちが良かったんだろうな結果的にさ」
「どういう意味?」
イリヤの何やらハッキリしない一言にラビアンが彼の顔を見ながら訊ねる。
「それで聖杯を奪って、人間を怒らせて今回俺たちに討伐されちまうワケじゃん?結果的に寿命が縮んだようなモンだろ?」
勇ましさを感じさせるイリヤの言葉にラビアンとアリスがふふっと吹き出す。これには、会話に参加せずただ聞き流していたシータスもふっと笑みを溢した。アリスがイリヤの肩を軽く叩く。
「アンタのそういうとこ、ホント勇気貰えるわ」
次第に話題も減り、何度か休憩もとったが慣れない長距離の徒歩移動に加え、元々体力の無いリリアナの顔にも疲労の色が見え始めている。
リリアナだけではない。
自然と皆は視線を下へと落として歩いていた。
口数の多いイリヤさえも独り言は漏らさなくなった。
一応にも戦闘を一度している疲労もあるだろう。
その後は解体作業もしているのだ。
ちょうど日も暮れ始めている。
もう少し歩けば小さな村があるのだがこの様子では体力ももたない上、暗くなってからの移動は危険が伴う。
どの道、今日は村にたどり着けそうにないと判断したシータスは木の茂っているあたりを指差し、
「みんな!疲れただろう。暗くなってきたし今日はもうこれ以上進むのは危険だ、休もう。そこの林で一晩明かし、日が昇って明るくなってからまた出発しよう」
と五人に呼びかけた。しかし、シータスの言葉にラビアンとリリアナが顔を見合わせ不安げな表情を浮かべていた。
そして口を開いたのはラビアンだった。
「ねぇ……外で一晩って事は野宿だよね?ただでさえ変な怪物達がウロウロしているって言うのに……昼間もあんなことがあったばかりだから正直怖いんだけど……」
眉をひそめるラビアンの顔を見ながらシータスは出来るだけ優しい口調で説明した。
「そうだな、確かに必ずしも安全であるとは言い切れない。しかし夜目もきかないし長距離の移動でみんなヘトヘトだ。そんな状態で移動中にまた怪物達に襲われれば完全にこちらが不利だ。しかし、ラビアンは聖水を持ってるだろう?それを辺りにまいて匂いを消せば、一晩はやり過ごせるはずだ」
シータスの説明にアリスからは「それもそうよね」というため息交じりの返事が聞こえたがそれでもラビアンの不安の色は消えなかった。
と、そこにイリヤが割り込んできた。彼はラビアンの肩をポンポン叩きながら、
「大丈夫だってラビアン!俺は夜目きくし、何かあったらズバーンと魔物も怪物も射抜いてやるぜ!つまんねぇ心配しなくたっていいんだよ!」
と、威勢良くまくしたてる。そんなイリヤの姿を見てラビアンからは呆れたような笑みがこぼれた。
「もう……アンタは相変わらずだね。わかった、信じてるからしっかり守ってよ!」
安心してくれたのかラビアンはイリヤにニッと笑いかけ、バシッと彼の背中を叩いた。
イリヤもまかしとけ、と親指を立てて答えていた。
やれやれ、とシータスはため息をついた。
心配性で保守的な性格を持つラビアンはこういった状況になるとイリヤ以外の人間の言葉は簡単には信用してくれない。
唯一彼女がイリヤを信用するのは彼がラビアンの恋人だからだ。
逆に今回の旅にイリヤが一緒でなければ彼女は引き受けてくれなかったかもしれない。
こういう時、イリヤはその豪快な性格も含めかなりありがたい存在だな、とシータスは苦笑いを浮かべていた。
「じゃあ、あそこで野宿の準備をしようか」
シータスが皆を促すと皆もそれにならい、小さな林へと足を運ぶ。
そして各々が布を敷くなどして腰を下ろしてため息をついていた。
ラビアンはシータスの助言通り聖水を辺りにまく。
リリアナも倒れるように座り込んだ。
よほど疲れていたのだろう。
当然だ。彼女は体力の問題だけではなく、慣れない環境で精神的にもかなり負荷がかかっている。
シータスは彼女の様子に注意しながら、体を休めている彼らに呼びかけた。
「今夜は俺とセインが交代で辺りの見張りをするから、四人ともゆっくり体を休めてくれ」
彼の言葉に四人はやや安心したようだった。自身で用意していた携帯食で食事を済ませる。
先程の肉をどうするかという提案もあがったが、女性達のほうは疲れのせいかあまり食欲もなかったので男性達だけ少しの量だが肉を調理して腹を満たした。
寒冷地域なので夜になるとかなり冷え込む。
ラビアン、アリス、リリアナは体を寄せ合い防寒着でしっかり体を覆い、そんな彼女らに向かい合うようにしてイリヤも木にもたれかかり体を休めていた。
四人ともそのまま眠ってしまうつもりなのかもしれない。
今までに無い環境の中でぐっすり眠れるとは思えないが、それでも体を休めて体力を回復させておくことは必要だった。
またいつ魔物と出くわして戦闘になるかわからない。
イリヤや女性達もしばらくは小さな声で会話していたようだったが、それも次第に聞こえなくなった。
寝てしまったのかと、シータスは彼らの様子を確認すると確かにスースーという寝息が聞こえてきた。
この夜の闇の中。
聞こえるのは彼らの寝息と風に揺れる木々の葉が擦れ合う音ぐらいで、目に見えるものといえば月明かりにうっすら照らし出された頼りない輪郭ぐらいだった。
「シータス、お前も今は休んでおけ。しばらく経ったら起こす」
セインがシータスの体調を心配してか、そんな言葉を発する。
シータスは首を軽く振り、
「いや……俺なら平気だ。それより、セイン……君のほうこそ大丈夫なのか?」
と、彼を横目で見やる。セインは彼の言葉を聞くと少し俯き、また顔をあげた。
少し憂い気のある表情に見えた。
「無用な心配だな。元々俺は夜の住人だ」
セインらしい返答にシータスは悲しげな笑みを浮かべた。
シータスはそうか、と呟いた。
アンデッドハンターの彼。必然的に活動時間はこんな闇夜に辺りが染まる頃。
そして生身の人間と違って底無しの体力を持つアンデッド達をセインは日頃から相手にしているのだ。もう、この程度の移動で疲れるような身体じゃないのだろう。
”夜の住人”か……
シータスは気持ちを落ち着かせる為におもむろに立ち上がって深く深呼吸をした。
外の冷えた空気が肺に入り少しだけ心地よい。
チラリとセインを見た。
シータスはあれっと首を傾げた。
てっきりセインは自分の方に視線を移しているだろうと思っていたが、彼は全く違う方向を見ていた。
しかもかなり注意深く目を凝らして見つめている。
様子のおかしいセインにたまらずシータスが声をかける。
「……おい、セイン?どうしたんだ?」
その言葉に驚いたように振り向いたセインは、シッと人差し指を口に当て
「早く座れ……!」
と、シータスの腕を引いて座らせた。
「おい……?」
何がなんだか訳がわからないシータスはセインの視線の先を見て、何が起きているのかやっと気が付いた。
「あれは……ぐ、グールじゃないか……?」
シータスとセインの瞳に映ったのは、知性もあり人間に対する食欲と性欲の強い怪物達の群れだった。
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