第7話「葛藤の旅立ち」

 王からの話を聞き終えた後、案内された客用寝室で体を休めるリリアナ。

 テラスに出て城下町の風景を見ながらぼんやりとしていた。

 いつの間にこんなに時間が経過していたのだろう。

 もう夕日が沈み、星さえ見え始めていた。

 王からは

「今日は疲れを十分に癒し、明日からの旅に控えなさい」

と言われたのだがリリアナの頭には否が応でも様々な事が頭をよぎって考え込んでしまう。

 聖堂のみんなは今頃どうしてるだろう。

 怪我をした人達はたくさんいた。

 教皇さま……お父さんはどうしてるんだろうな……聖堂の事で大変なんだろうな……。

 ……本当にあたしじゃなきゃダメなのかなぁ?

 全然戦えないし、お父さんや司祭さま達と違って魔法だって色々使えるわけじゃないし。

 吸血鬼だって。

 ただでさえ今までだって他の国の人達を獲物にしてきた相手なのに?

 そんな化け物に勝てるの?

 お父さんの光魔法も効かなかった吸血鬼の王。

 もし、勝てなかったら?

 みんな食べられちゃうの?

 吸血鬼にされてしまう?

 それに、それにセインさんの事だって……。

 その人からの依頼を果たさなければならない時、私達は……。

 他に方法は無いの?

 その時がくるまで、ずっとこの気持ちでいなければならないの?

 もし、何もかも失敗したときがきたら……怖い、怖すぎる。

 嫌だな、帰りたいな……元の暮らしに戻りたい。

 なんでこんな事になっちゃったんだろう……。

 彼女の中で嫌な想像がどんどん湧きだし、追い込まれていく。

 胸が、心が、ギスギスする。

 目に少しだけ涙が滲む。

 彼女はそんな不安をかき消すように首を強く振った。

 ……ああ、ダメだやめよう。

 もっといい方向に考えなくちゃだめだ。

 あたしはアールスト聖堂の修道士で、神様に仕える身分なんだ。

 神様はきっと良い方向へあたし達を導いてくださる。

 なんであたしはこういつも後ろ向きに考えて自分を不安の底へと追い詰めてしまう癖があるんだろう。

 そうだ、王様だってとても優秀な方達を護衛につけて下さったじゃない。

 こんな立派な国なんだから、きっと頼れる人達に違いない。

 それに、セインさんだってヴァンパイアやアンデッドモンスターを専門に退治してきたのだからすごい人のはずだし。

 信じなきゃダメだよね。

 そうして、精一杯良い方向へ考え自分を勇気づけるリリアナ。

 しかしそうでもしなければ耐えられなかった。

 不安に押しつぶされて壊れてしまいそうだった。

 元々は十五年間、神聖な聖堂暮らしで怖い思いをした事なんてほとんどなかったのだから無理もない。

 リリアナはテラスから部屋に戻った。

「……シャワーでも浴びて、さっさと寝ちゃおうかな」

 案外、気も紛れるかもしれない。

 不安も洗い流せそうな気がした。

 そしてまた新たな不安がわいてこないうちに寝てしまいたくもあった。

 リリアナは着替えとタオルを手に取ると、シャワー室へ向かっていった。

 そして、温かいシャワーに身も心も癒された後、そのままベッドで横になりしばらく考え事をしていたらうとうとと、まどろんでしまった。


 ……翌朝。

 リリアナは起床すると、すぐに身支度をし謁見の間へと急いだ。

 正直、ぐっすり眠れた気はしなかった。

 慣れない環境のせいか、何度も寝返りを打った。

 状況が状況だからなのか嫌な夢も見た。

 護衛の人達が自分に愛想を尽かし、離れて行ってしまい自分一人で吸血鬼の王の元へ行かなければならなくなる夢だった。

 今でも戸惑いを感じているぐらい、嫌な夢。

 冷たい視線が印象的で思い出すだけでまた不安になってしまいそうになる。

 謁見の間へ辿り着くと、そこには既に王と五人の護衛たちが揃っていた。

 あぁ、やっぱり寝坊してしまったんだ、と焦りを感じてしまうリリアナ。

「お、おはようございます!アールスト聖堂修道士、リリアナ・フロイラインです!遅くなって申し訳ありません!」

 リリアナは息を荒げながら慌てて謝る。

「いや、気にするなリリアナ。ちょうど今しがた皆揃ったばかりだ」

 王は彼女を落ち着かせるように優しく微笑みながら言った。

 その笑顔と言葉に少し安心したリリアナは、横に並んだ護衛五人の後ろのほうで少し離れて立ち止まる。

 それを見た王は静かに頷き、口を開いた。

「リリアナ、護衛達の紹介をしておこう」

 王は護衛達とアイコンタクトをとる。

 すると王の方を向いていた五人はリリアナの方へと体を向けた。

 まずリリアナの方へ一歩、前に歩み出たのはシータスだった。ただ、昨日の美しい鎧ではなくレザーメイルに茶色のクロークを羽織り腰には剣を携えている。

旅の為に重い鎧から軽い装備に変えたのだな、とリリアナは少しだけガッカリした。

 昨日の、王子様みたいなカッコの方が好きだったな……。

 そんな彼女を気にする事なく王が彼の紹介を始める。

「昨日も話したが彼は聖騎士団、団長のシータス・リッターオルデン。二十六歳で護衛達の中では最年長のリーダー役だ。頼りがいのある男なので困ったことがあったら何でも言いなさい」

「改めてよろしく、リリアナちゃん。ツライ旅になるかもしれないけど我々が全力をもって君を守るから安心してくれ」

 シータスはリリアナの顔を見てにっこりと微笑む。

『ツライ旅』……それはあなただってそうじゃないの?

 リリアナの脳裏に昨日のシータスの表情がよぎる。

 目を見開き、驚きと悲しみの隠しきれない、あの表情。

 それでいてこの今の笑顔。

 胸が締め付けられるような痛みを感じながらも、彼女はぎこちない笑顔でハイ、と返事をした。

 シータスがそれを見て列にさがると、次に前に出たのは軍服に黒のロングコートを着た、ゆるいウェーブのかかった長いブロンドヘアの綺麗な女性だった。

 胸のホルスターにはダガーナイフ、腰のホルスターには銃を何丁か装備している。

 背中にも何か武器を背負っているようだ。

「彼女は二十歳、狙撃部隊のアリス・カラミティだ。銃の扱いに長けており接近戦においては体術もこなせる。真面目で観察力にも優れている女性だ」

「アリスよ、よろしく。出来るだけ力になるから一緒に頑張っていきましょ」

 アリスと呼ばれたその女性は明るい笑顔で手を軽く振ってくれた。

 笑った顔はかなり可愛らしく、シータスと同じ青い目も綺麗で、狙撃部隊という職業には似つかわしくない女神のような美しく優しい表情だった。

 リリアナもその顔に安心感を覚えながら、よろしくお願いします、と会釈をした。

 そしてアリスが列へ下がると、今度は髪の短い銀髪で褐色の肌をした比較的軽装の男性が前に出た。

 皮の胸当てに鈍い緑色のフード付きマントを着ているが、背中には矢筒と弓を背負っている。

「彼は二十三歳の狩猟団のイリヤ・イェーガーだ。弓使いで腕も良くプレッシャーにも強い。少々、パワフルな性格だが乱暴者ではではないから安心してくれ」

「よろしくな、リリアナ!大変な事になっちまったけどさ、俺達にまかしときゃ大丈夫だから頑張ろうぜ!」

 イリヤは大きな声でそう言った後、ニッと笑い親指をぐっと立てた。

 確かに豪快さは感じるが良い人のようだ。

 リリアナはにっこりと笑い、会釈で返した。

 イリヤが列に戻ると次は緑のクロークを着た、茶髪をポニーテールにしている女性が前に出た。少し気の強そうな顔立ち。

 クロークの下はリリアナの法衣によく似た青いローブで、腰ベルトに小ぶりのカバンをいくつか装備している。

「彼女もアリスと同じ二十歳、魔術師団僧侶のラビアン・エクレールだ。戦闘は出来ないが回復魔法や薬の調合が出来る。怪我や体調不良などあったら彼女に相談しなさい」

「よろしく、リリアナちゃん。他の人達と違って怪物達からあなたを守ることは得意じゃないけど病気や怪我からは守ってあげられるから、そういう時は遠慮しないで教えてね」

 ラビアンはそう言って優しく笑った。

 リリアナには彼女のそのやや吊り目で気の強そうな表情から少し苦手な印象を感じたが、僧侶の職業どおり面倒見の良い性格のようだ。

 自分が修道士という似たような職業なのもあって少し親近感を感じていた。

 頼もしそうなその女性にハイ、としっかり返事をすると嬉しそうにニッコリと笑った。

 そして彼女が一歩下がると最後の一人が前に出た。

 フード付きの紺色のクロークと黒いレザーメイルとジャケット、腰に携える打ち刀の鞘も黒く、やや長めのショートヘアも漆黒だが瞳の色はまるで宝石のような紫色の男。

 端正な顔立ちだが無表情なのとその服装のせいか冷たい印象を受けた。

 全体的に黒くて夜の闇に溶け込む為のその容姿はまるでカラスみたいで怖い感じ、とリリアナは思った。

「彼が、アンデッドハンターのセイン……セイン・シュバルツだ。二十一歳。城下町に住んでいる者だからシータス以外は初対面だな。彼はヴァンパイアやアンデッドに対しての戦闘技術と知識はトップクラスだ。今回の任務では大いに役に立つ。口数が少なくやや冷たい印象を受けるかも知れんが協調性のある男だ」

「…………」

 セインは、そう王から紹介されても黙ったままリリアナを見つめていた。

 紫色の瞳は何か言いたげな光を灯している。

 彼が何を言いたがっているかリリアナには理解できていた。

 この人がセインさん……。

 わかっている、あなたがあたしに望んでいること。

 リリアナの緑色の瞳もセインを見つめ返す。

 そうして両者黙ったまま見つめあっていたが口を開いたのはセインだった。

「……アールストの聖女。吸血鬼の王討伐にもお前の力が必要だ。俺の命はお前のものになった。必ずその使命を果たし……終わらせよう」

「はい。必ず終わらせましょう」

 そう返事をしたリリアナの口調は内に秘めた強い決意を感じさせた。

 セインもそれを確認すると顔をそらし列に戻った。

 彼らのやり取りを見ていた王は複雑な気持ちで見守っていた。

「……これで護衛の紹介は終わりだ」

 そう言って王は六人の顔を見渡す。

 皆、若い。

 この若者達に大きな使命を託すのだ。

「目指すべき吸血鬼の王の城はここオレオールより北東に位置する。その住処の住人達ゆえ、昼間には姿を消すが深夜には現れる居城だ。視界の利かない条件で不利な状況にはなるが聖杯を取り戻し、クローディスを討つなら深夜しかない。シータスとセインは暗闇の戦闘に慣れているだろうが油断はするな。それからアンデッドやヴァンパイアと戦闘になった時は奴らの牙に気を付けろ。その牙に咬まれれば最後、たちまち奴らの仲間となりどんな方法を持っても二度と元の人間には戻れない。十分に注意してくれ。報告事項は以上だ。では……」

 王は一旦言葉を止め、六人の顔をゆっくりと目に止めながら

「リリアナ、シータス、アリス、イリヤ、ラビアン、セイン、頼んだぞ!」

と力を込めて言うと、若者達の力強いハイ!という返事が王の耳に返ってきた。

 本当に、頼んだぞ……。

 そしてどうか無事に帰って来てくれ……。

 王は祈るような気持ちで六人の顔を見つめた。

 彼らは礼をし、順番に謁見の間から退室して行った。

 退室する際、セインだけが一度振り返り、王をしばらく眺めた後、何も言わずに出て行った。

 王も何も言わなかった。

 ただ、なんとなく彼の言いたい事はわかっていた。

 しばらくして全員が退室した後、王は立ち上がりセインが振り向いた時の顔を思い出していた。

「……穏やかな表情だったな……」

 何も言わなかったが、彼なりの別れを告げたのだろう。

 王は謁見の間から自室に戻った後、テラスに出てオレオール城下町を見下ろした。

 その高さゆえ彼らの姿は見えなかったが、せめて見送ってやりたかった。

 ……こうして、六人の若者達は大きな使命と宿命をその背にオレオール王国を後に旅路についた。

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