ヨズクとトキジク

百舌もずみや (第二王子サザキ皇居) 】


 サザキ第二王子の側近――ヨズク。

 はやぶさの宮の外苑がいえんより走り去った彼はその後、拠点である百舌もずの宮へと舞い戻っていた。

 それは何か目的を伴った行動というわけではなく、野鳥が持つ帰巣本能のごとく、無意識のうちに足が向いた結果である。

 今、ヨズクの頭の中は整理できないほどの情報で埋め尽くされ、そのすべてが彼を追い込んでいた。


「一体、何が起きているのだ? なぜ皆倒れている?」


 隼の宮からここまでの道中――目に映るすべてのサザキ軍の者たちが地に伏していた。

 アラタカ軍が毒煙でも用いたのか?

 しかし、それならばなぜ自分だけが無事でいるのか?

 そして、これから自分はどう動けばよいのか?


 ヨズクがアラタカ第一王子の側近――ソウガと結託し引き起こした戦争は、結果的に失敗に終わってしまった。

 ヨズクの企みは主君であるサザキにばれ、アラタカを討つ機会はあったものの他ならぬ同盟者のソウガに阻まれ、アラタカの屋敷の包囲も瓦解がかいしている。

 

 この状況からヨズクが打ち出せる策は何もない。

 そもそも今更どんな顔でサザキ王子に会いに行けばよいのか?


 ヨズクの無意識の歩みは百舌の宮に入ってからも続き、気付けば最奥さいおうの大広間へと足を踏み入れていた。

 幾度となくサザキ王子と言葉を交わした場所。

 しかし当然ながら今ここにサザキ王子の姿はない。


「…………」


 茫然自失ぼうぜんじしつしてたたずむヨズク。

 直後、そんな静寂せいじゃくを打ち壊す喧噪けんそうがやってきた。


「サザキの兄貴! いるかぁ!?」


 ヨズクの真後ろからふすまを蹴破り現れたのは何とカラスマ第四王子だった。

 激しい戦闘の後なのか、着物は乱れ肌は汗と血にまみれている。

 しかし何より特筆すべきは、その背に背負ったヒバリヒメの存在である。


「くそっ、ここにもいねえか」

「カ……カラスマ……王子」


 すでに混乱しているヨズクに追い打ちをかけるかのような突然の来訪者。

 ヨズクは絞り出すような声でその名を口にした。

 するとカラスマはようやくヨズクの存在に気が付き、こちらを振り向く。 


「あん? あんたは確か……サザキの兄貴の側近だったよな?

 そういやトキジクのジジイの息子だったか。どおりで意識があるんだな。

 ちょうどいい。サザキの兄貴が今どこにいるのか、教えてくれねえか?」

「トキジクの息子……か。どいつもこいつも……ワタシを」


 カラスマの発言にヨズクは暗い面持ちで歯噛みをする。

 『トキジクの息子』――ヨズクがこれまで生きてきた中で、何度となく言われた呪いのような言葉。

 どれだけ努力し功績を残そうと、優秀過ぎる父親の影に埋もれ七光り以上の評価は得られない。

 ヨズクが今回、主であるサザキ第二王子の意向を無視する形で強引に事を推し進めたのも、すべては父への強い劣等感に起因きいんしていた。

 にもかかわらず、すべての策は失敗に終わり打ちひしがれていた中で、カラスマの口から聞かされた言葉。

 それは、どれだけ足掻こうともヨズクでは父を超えることなどできない――そんな現実を突きつけているように思えた。


「おい、何を押し黙ってんだ? サザキの兄貴の居場所知らねえのか?」

「そのようなこと、知っていたところであなたに教えるわけが……」


 と、そこまで言いかけてヨズクはふと考えた。

 

 普通に考えてカラスマ王子がこの状況でサザキ王子を探している理由など一つしか考えられない。

 王位継承における邪魔者を排除すること。

 サザキ王子の側近として、むざむざと敵に居場所を教えたりできるわけがない。

 そんなことをすれば、おそらく他の兵同様に身動きが取れずにいるだろうサザキ第二王子は容易たやすく殺され、共にあの場にいたアラタカ第一王子も殺される。

 念を入れて神託しんたくを受けたヒバリヒメを腹の子ごと亡き者にしてしまえば、残るは若年のクグイ第五王子のみ。

 カラスマ第四王子にとっての脅威はすべて消え去る。

 つまり逆に言えば、ここでサザキを見放しさえすれば確実にカラスマが王になれるということだ。


「カラスマ王子。サザキ王子……いえ、サザキの居場所をお教えしましょう」

「ん? お、おう。どうした急に?」

「その代わり、あなたが王となったあかつきにはワタシを側近として御側おそばに置いていただきたい!」 


 王の側近。

 それは長きに渡ってトキジクが務め上げてきたくらい

 父ではなく自分がその地位に就く。それこそがヨズクの本懐ほんかいだった。


「ワタシからサザキの居場所を聞いたとき――カラスマ王子、あなたの王への道が開けるのです!」

「……どういうことだ?」


 ヨズクは先程の悪しき企みをすべてカラスマへと打ち明けた。

 サザキとアラタカが同じ場所にいて、おそらくは動けずにいること。

 加えてこの場にいるヒバリヒメも合わせて三人を容易く殺せる状況にあること。

 ヨズクの話を聞き終えたカラスマは口の端を歪めてニヤリと笑った。


「なるほどだ。盲点だったぜ。確かに今なら邪魔な連中をまとめて皆殺しにできそうだ」

「そうでしょう! でしたら早速、そこにいるヒバリヒメを亡き者にするのです!」


 カラスマは大きく頷くと背負っていたヒバリヒメを床に横たわらせ、腰に差していた剣を抜き放つ。

 その一連の行動に、ヨズクは己の心臓が早鐘のごとく脈打つのを止められなかった。

 

「よし、分かった。だが、その前にサザキの兄貴とアラタカの兄貴の居場所を教えろ」

「彼らははやぶさの宮の外苑がいえんにいます」


 ヨズクから二人の兄の居場所を聞き出すと、カラスマは再びニヤリと笑い――そして剣をさやへと納めた。


「なっ……! カラスマ王子……なにをっ!?」

「悪ぃがオレの側近は一人だけだ。あんたの策には乗るわけにはいかねぇ」


 そう言って、床に寝かせていたヒバリヒメを再び背負うカラスマ。

 ヨズクにはカラスマの行動が理解できなかった。


「な……なぜですか! サザキ王子といい、あなたといい、王になりたくはないんですか!?」

「オレはただ王になりたいんじゃねぇよ。あいつと……一緒に王になりたかったんだ」

「一緒に……?」


 その考えはヨズクの中にはまるでないものだった。

 『王』とは王子自身がなるもの。側近はその名の通りの側仕えでしかない。

 ところがカラスマの中ではそうではなかった。


「気付いたのは今だったがな。あんたを側近にして王になる未来を考えたとき……ちっとも面白いとは思えなかった。あんなにも王になりたかったはずなのによ」

「…………」

「あんたは『王の側近』にさえなれりゃ、その『王』は誰でもいいのかもしれねえが、それじゃあ本当の意味での『側近』にはなれねえんじゃねえのか?」


 カラスマの言う通りだった。

 ヨズクはトキジクを超えることに夢中になるあまり、仕える王子自身――サザキのことを理解しきれておらず、信頼しきれてもいなかった。

 だからこそ独断でアラタカ軍との抗争を引き起こすも、肝心なところで標的を仕留めそこなったのだ。


 主君を無視して暴走した上で失敗に終わり、逃げ込んだ先で別の王子へ寝返る。


 そんな真似をしたヨズクを、誰がトキジクを超えた『立派な側近』であると認めよう?

 ヨズクは今更になって己の惨めさに思い至り、ひどく恥ずかしい思いがした。


「ワタシはどうすればよかったというのですか……? これから……どうすればよいのですか?」


 すでに立ち去りかけていたカラスマの背中へ、ヨズクは独り言とも思えるか細い声で問いかけた。

 カラスマは振り返りもせず背中越しに言った。


黄昏たそがれの丘へ行ってみな。そこにあんたが目指すべき本物がいるからよ」

「黄昏の……丘?」


 すべてを失った今のヨズクには、その言葉に従う以外に道はなかった。


                   ◆


黄昏たそがれの丘 (ツキノワへの道中)】


「な……なんだ……これは……?」


 黄昏の丘へとたどり着いたヨズクの目に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。

 丘の頂上より広がる大草原は一面真っ赤な血で染まっていた。

 その上には積み上がるようにして横たわる無数のしかばねが――否、よく見ればいずれも重傷ではあるが一命は取り留めているようだ。

 さらによく見れば、倒れ伏す兵士の山はその風体ふうていからツキノワの民であることがうかがえた。

 元が文官であり、戦場いくさばにおいても本営で指揮を執ることがほとんどだったヨズクにとって、この凄惨せいさんな光景は何ともこたえた。

 それでも吐き気を抑えながら、さらに目を凝らせば血だまりの中にただ一人立ったままの人影があるのに気付いた。

 はじめ――ヨズクにはそれが誰か分からなかった。

 ヨズクがよく知るその人物とは、体つきから大きく違っていたし、髪の色もその質も見違えていたからだ。

 それでも生まれてから何度となく見続けてきた――時には憧れ、時には憎しみをもって追いかけ続けてきた背中が、誰のものであるかヨズクは悟った。


「父上っ!!」


 心身共に疲弊ひへいしきっていたヨズクだったが、気付けば大声を上げ一目散に駆け出していた。

 トキジクはその声にわずかに反応したかと思うと、糸が切れたかのようにバッタリと仰向けに倒れた。

 それからトキジクの体は徐々に小さくなっていき、髪も銀から白へと戻っていく。

 人垣を乗り越えようやくヨズクがやってくる頃には、トキジクの姿はすっかりいつも通りのものになっていた。


「父上っ!! 一体、ここで何があったというのですか!?」

「ヨズク……」

「な、なんですか!?」


 信じられないほどに弱々しいトキジクの声。

 その今際の言葉を聞き洩らさぬようにヨズクは耳を目一杯に近づけた。


「あとは……任せたぞ」


 その言葉を最後に、ヒノワ国至高の忠臣はこの世を去った。

 この場で何が起きたのか?

 ヨズクには分からないがこれだけは言える。

 トキジクはこの国のために人知れず戦い抜いたのだ。

 それは今このとき、この戦いだけではなく。

 脚光きゃっこうなどまるで差さない影の中、国のために戦うことこそ――トキジクの人生そのものだったのだ。

 ヨズクが本当に目指すべきもの――その答えははじめから目の前にあった。

 だがヨズクはずっと気付けず、否、気付かないようにしてきた。

 自らの名誉も栄誉もかなぐり捨てて国のために尽くす――その姿を見続けながら、無意識に逃げてきたからだ。

 しかしもう逃げるわけにはいかなかった。

 ヨズクは流れ出た涙を右手で受けると力強く拳を握った。

 そして力強い決意と共に固く誓うのだった。


「お任せください、父上。この国はワタシが命に代えてもお支えいたします。

 ですから……どうぞ安心してお休みください」

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