カラスマとクタカケ

黄昏たそがれの丘 (ツキノワへの道中)】


 ヒノワ一族が統治する王都のほど近く――黄昏の丘にて繰り広げられるカラスマ第四王子軍 対 ツキノワの民との戦争。

 両陣営にとって期せずして始まったこの戦いは、開戦から数刻にも及ぶ膠着こうちゃく状態が続いていた。

 お世辞にも気が長いとは言えないカラスマ第四王子と彼につらなる兵隊たちは、当然何度も特攻を試みてはいるのだが、どれだけ矢を射かけようと幾たび剣で斬り込もうと、ツキノワの民たちは誘いには乗ってこない。

 先の第二次ツキノワ征伐せいばつにおいて、野性味溢れる彼らの戦闘を知っているカラスマからすれば、この大人しさは何とも不気味だった。


「おい、クタカケ! くっそ……どこ行きやがった、あの臆病者チキンめ」

「……お呼びですか、カラスマ王子?」

「お、いたか。なあ、連中どうにもまどろっこしい戦い方しやがって。一体どういうつもりなんだ?」


 側近のクタカケを呼びつけたカラスマは彼の意見を聞く。

 小心者であるがゆえに敵の観察を怠らないクタカケの戦略眼に、カラスマは強く信を置いていた。


「ええ、わたくしめも妙だと思いまして。何かの罠でも張られているのかと周囲を確かめてきたところでございます」

「道理で姿が見えねえはずだ。てっきり逃げたか、くたばっているのかと思ったぜ」

「勝手に殺さないでいただきたい」

「で? どうだったんだよ?」


 軽口を叩く余裕よゆうまである穏やか過ぎる戦場。

 この裏でツキノワの民の何らかの策が進行しているのであれば黙って見過ごすわけにはいかない。

 しかし、カラスマからの問いにクタカケはかぶりを振る。


「少なくともわたくしめが確認した限りでは、怪しい動きはありませんでした」


 敵の腹の内が読めないことに加え、暴れたくとも暴れられない欲求不満も相まって、とうとうカラスマはいら立ちを隠そうともせず怒鳴り散らす。


「意味が分からねえな! あいつらオレたちを殺すつもりできたんじゃねえのかよ!?」


 カラスマの癇癪かんしゃく辟易へきえきしながらも、クタカケはその言葉に心中でうなづいていた。

 そもそもこの戦争は、王都寸前までひそかに迫っていたツキノワの民を、偶然にもツキノワへ向けて進軍中だったカラスマ軍が差し止めた形で始まったものである。

 にもかかわらず、仕掛けた側であるツキノワの民が戦闘を引き延ばしているのは明らかに矛盾むじゅんしている。

 奇襲きしゅうに失敗したという予想外の出来事が起こったにしても――いや、だからこそ一刻も早くカラスマ軍を打破したいと考えるのが自然の流れだ。

 こんな場所で時間をかけていては、いつ他の王子たちの援軍がくるかも分からない。


「そうか……時間……もしかしたら……」


 そのときクタカケに一つの閃きが下りてくる。


「あん? 時間が何だって?」

「ツキノワの民にとって、この場所で我々との戦闘が始まることは予想外だったでしょう。それは同時に『この時間』に戦闘することもまた予想外だったということです」


 何かに確信を得ているような、いつもの弱々しい態度と打って変わり力強く言葉を口にするクタカケ。

 しかし一方のカラスマは、クタカケが何を言いたいのか今一つ見えてこない。


「……夜襲でも仕掛けたかったってことか? いや、仮にこいつらが真っ直ぐに王都に向かっていたとしても日が暮れる前には着いてるぜ」

「ええ。それに夜襲が狙いならば、すでに我々に見つかった時点で時間を稼ぐ意味はありません」

「じゃあ一体何のための時間稼ぎだってんだ? 奴らは何を待っている?」

「それは――うっ……!」


 その瞬間、急に辺りが薄暗くなったかと思うと、何の前触れもなくクタカケは手に持った弓矢を取り落とし、そのまま地面に倒れ伏した。

 それに続くようにカラスマの周囲にいる他の兵たちも次々に倒れていく。


「なっ……! おい、お前ら! 一体どうしたってんだ!?」


 ただ一人健在のカラスマが必死に呼びかけるも皆苦しみうめくことしかできない。

 そこへ見計らったかのようになだれ込んでくるツキノワの民。

 まさにツキノワの民が待っていた時とはこれだったのだとカラスマは気付く。

 しかしそれこそ時すでに遅し。

 雨のように大量の矢がカラスマ目掛けて迫りくる。

 突然の事態に動揺するカラスマにこれをかわす余裕などなかった。


「くそったれ……!」


 咄嗟とっさに目を閉じ身をかがめるカラスマ。 

 ところが、いつまでたってもあの大量の矢が自身に刺さる感覚がない。

 恐る恐るカラスマが目を開けると、そこに飛び込んできたのは――


「クタカケっ!?」


 なんと、すでに自力で立つことも困難だったクタカケが、我が身を盾に矢の一切を受け止めていたのだ。

 

「カラスマ……王子……ご無事……で……?」

「ああ! オレは大丈夫だ! それよりてめえこそ……おい! 誰か助けてくれ! 早く! クタカケが……!!」


 もうどうあっても助かりようがない事実を分かっていながら、それでも必死にクタカケを救う術を探そうとするカラスマ。

 クタカケは自分を案じる主君の声を聞きながら、穏やかに微笑ほほえむと――そのまま静かに息を引き取った。


「おい! クタカケ! クタカケぇ!!!」


 カラスマがどれだけ語りかけようと全く反応はない。

 クタカケの死を認めると、カラスマはすぐにかたわらの剣を手に取り立ち上がった。

 

「てめえら! よくもっ!! よくもクタカケを!」

 

 怒りに燃えるカラスマに容赦ようしゃなく第二陣の矢の雨が降り注ぐ。

 いかな達人だろうと防ぎようのない物量の矢。

 ところがカラスマが大きく剣を振りぬくと、とてつもない風圧と共にすべての矢が消し飛んだ!

 明らかに人智を超えた――神の御業みわざと呼ぶべき芸当。

 ツキノワの民たちは動揺のあまり追撃の手を鈍るが、カラスマ本人は怒りのあまり自身の変化にも一切動じない。

 銀の髪を振り乱しながら、そのまま単騎で大軍の山へと突撃する。

 

「おらぁあ!!」

 

 一太刀払う度に数十人が悲鳴を上げて宙へ舞う。

 ツキノワの民は予想外の反撃に大きく陣形が崩されていく。

 しかしそんなカラスマ王子の快進撃も長くは続かなかった。

 所詮は多勢に無勢。いかに一騎当千の強者であっても万の兵には届かない。

 カラスマはついに力尽き剣の林に貫かれんとしていた。


「ちっ……くしょう……!」


 今度ばかりは万事休すと諦めかけた――そのとき。

 カラスマの前に滑り込んできた謎の影。

 影は巧みな足技でカラスマを襲う刃をすべて叩き折り、同時に周囲の兵も残らす吹き飛ばした。

 まるでその場が台風の目であるかのように、カラスマを中心に同心円状に影の猛攻が広がっていく。

 そうして百にも上る敵兵を文字通りに蹴散らすと、影はカラスマの前まで戻ってきた。

 新たに現れた一騎当千を前にツキノワの民たちは自然、様子見の姿勢となる。

 そんな束の間の休戦をもたらした影――その正体は……。


「てめえ……トキジクのジジイじゃねえか! 何でこんなところにいやがる!?」

 

 あまりにも意外な人物の登場に目を丸くし驚くカラスマ。

 彼がこの場に現れたこと自体も驚きだが、その出で立ちもまたカラスマを驚かせた。

 トキジクは総白髪そうしらがの老体――その体つきは年の割にはたくましいものの一線を退いて久しいもののはずだった。

 ところが今のトキジクは、かつての全盛を取り戻したかのように背筋が伸び全身に力をみなぎらせ――何より髪が銀色に光り輝いていた。

 だが、そんな豹変ひょうへんよりもさらに驚くのはトキジクがその背に一人の女性を背負っていたことだった。


「何だその髪は? 急にかぶきだしやがって。

 いや、その前に今のバカみてえな力はどういうことだ?

 それよりちょっと待て、その背中にいるのはヒバリヒメじゃねえか! どうなってやがる!?」

「ご質問は一つにまとめてくだされ、若」


 矢継ぎ早に問いを投げかけるカラスマをトキジクは冷静にさとす。


「申し訳ありませんが、今は若のご質問にごゆっくりお答えしている時間はございません……失礼」


 そうして背負っていたヒバリヒメをカラスマに担がせると、懐から取り出した巻物をやはりカラスマの懐に忍ばせた。


「お……おい! 何だこりゃ? 一体、何の真似だ?」

「この場はワタシが食い止めます。

 カラスマは王子は急ぎ、ヒバリヒメを連れて王都へお戻りください。

 そしてヒノワ国の五王子を集めはやぶさの宮へ向かうのです。

 あなた方が真に戦うべき敵の正体や狙いは、道すがらその巻物をお読みいただければお分かりいただけます。

 細かな経緯や説明は、隼の宮にいる坊ちゃまからお聞きください」


 突然、まくしたてるトキジクの言葉は、カラスマにとって一つも腑に落ちるものがない荒唐無稽こうとうむけいなもの。

 いかに戦闘中とはいえ、あまりに説明不足過ぎる。

 それでもカラスマはトキジクの言う通り動くことにした。

 今、何かとてつもないことが起きていることが、そしてそれは王子全員が力を合わせて乗り越えなければならない危機であることが、カラスマも肌で感じていたからだ。

 だからカラスマは色々と聞きたい気持ちをグッとこらえ、一つだけトキジクに質問する。


「五王子……つっても、キギスの兄貴はもういねえぞ」

「ええ。ですが、あの方の血はここにあります」

 

 トキジクの視線の先にいるヒバリヒメ。

 すでに出産間近なのだろう、意識はあるもののひどく憔悴しょうすいしている。

 こんな状態の彼女をここへ連れてきたことの意味を知り、カラスマはしっかりとその体を背負い直した。


「さあ、お急ぎください!」


 ツキノワの民もいつまでも待ってはくれない。

 この大軍を前に一人立ち向かうことが何を意味するか、カラスマは知っている。

 それでも、だからこそカラスマはこの場を急いで去らなければならなかった。


「仕方ねえな。今際いまわの頼み事くれえ聞いてやる。

 ……安心しろ。ぜってぇ、やり遂げてみせるからよ」

「お願いいたします。どうか、この国をお救いください」


 トキジクの覚悟を背中で感じながら、カラスマは王都へ目掛け全力で駆け出した。

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