第2話 経験

「作家は経験しなかった事しか書けない」という言説が、時折話題になる。勿論、その理論だとファンタジーやSFを書いている作家は宇宙人や未来人ばかりになるので、一笑に付すような言説である。しかし、何事にも例外は付き物である。

田中さん(仮名)は小説家デビューを夢見ている青年だった。軍資金を貯めるのと話のネタを探す為に色々なバイトを掛け持ちしていた。特に、バーのバイトは時給が高い上に色々な客が来るため非常にありがたかったという。

田中さんが働いてたバーの常連客にSさんという男性がいた。Sさんは、田中さんとほぼ同い歳で趣味で小説を書いていたため、すぐに意気投合し、プライベートでも遊ぶ仲になったそうだ。

ある日、田中さんはSさんと小説を見せ合うことになった。そして、今度会うまでに感想や改善点などを教え合うことになった。田中さんは、喜んでSさんと原稿を交換した。

田中さんはSFが好きで、デザイナーベビーをテーマとした小説の原稿をSさんに渡していた。Sさんはどんなジャンルの小説を書いてるのだろうと、原稿を見る。

田中さんは原稿を見て絶句した。Sさんの書いている小説の内容があまりにも残酷だったためだ。

小説の内容は、青年グループが少女を車に連れ去り強姦しようとした際、誤って殺害してしまい、少女の死体の処理に悩むというものだった。そして、連れ去りから殺害までの描写があまりにも詳細に書かれており、吐き気を催すものだった。

本気で抵抗してきた少女の腕力は意外と強く複数人で抑えるのが精一杯だったこと、少女が事切れた後、尿や便などの排泄物が漏れて車の中が異臭で覆われたこと、死後硬直した身体は堅くて車から出すのも一苦労だったこと…

あまりにも凄惨な描写に、田中さんは口の中が胃液で満たされた事に気づき、トイレに駆け込んだ。

Sさんと会う日が来たが、田中さんは家から出る気力がわかなかった。Sさんに「体調が悪くなった」とだけメールし、布団に寝転がりあの忌まわしい文章を忘れようとしていた。

Sさんから返信が会ったことに気づき、メールを開く。

「読んだけどさ、全然現実感なくて俺はあんまり楽しめなかったわ。そっちもまた感想送ってきて。」

その日以来、田中さんはSさんとの連絡を全て断ち、小説を書くのも辞めてしまい、バーのバイトを辞め、就職活動をするようになった。

ある日、田中さんは企業との面接を終え、家に着いた。テレビをつける。ニュースしかしていない時間帯だったが、適当なチャンネルにしニュースを流し聞きしていた。しかし、次のニュースで田中さんは絶句した。

Sさんが強姦致死と死体遺棄の容疑で逮捕されたからだ。ニュースでは、Sさんを含めたグループが女子大生を車に連れ込んだ後殺害し、山に遺棄したと報道されていた。

Sさんのニュースは次の日の朝刊でも大々的に報道された。犯行の手順は、あの小説の内容とほぼほぼ同じだったという。

「Sの現実感がないって言葉がトラウマで…あれ以来小説を書くのも読むのもできなくなりました。」

田中さんは溜息をついた。

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