第15話 神農(てきや)

 進めば三寸の神農てきや、通りを走る車が死走しにばしる鳴動。疾走、轟音、光の線。紛糾ふんきゅう交錯こうさく、不慮の事故。

 道が広がると、心が縮む。

 錯雑さくざつで、陽気に解決など考えず跳ね回る活気、収まりつかず、血の気の振動と荒い息、息巻いて、みな進む。

 道が広がると、心が浮腫むくむ。


 大通り。

 すっかり暗闇くらやんだ道に、しのびのお祭りでもあるまい、小道の妖精のお祭りは過ぎ、手を振っての永訣えいけつで、たもともざっくりと分けたはずだと思っていたら、長屋身ながやみの人々と、暗病くらやみがまだ続いている。


 小さな結構、大きなビル、ともに足下に今様の的屋てきやが並ぶ。ビルの山居やまいにも、燦燦さんさんと生活の山藍やまあいを咲かせる。それを裂く紫陽花が、今度は隠れて咲いている。街の花に変わったつもりで、素知らぬ振りか、こちらを見ながら地蔵と並んで揺れている。

 花は常にいませども、うつつならぬぞ、あわれなる、人の音する夕闇に、ほのかに夢に見え給ふ。


 人の音がする。

 男気おとこけ女気おんなけ、その他の色気が産気さんけづく。そんな中、不図ふと聞こえる風の声で気づくこともある。

 一般、道程どうていには道連れが必要だと、この大通りに出て初めて気づく。ひとりとぼとぼ歩いてしまったあの一本道、伸びきった髪の毛を忘れていたと同じことだろうが、一般は一般に過ぎない一端で、何食わぬ顔で歩けばいいが、歩けば歩くほど腹が減るのも一端だ。


 半身の神農しんのうが、処々地面に埋まり、街ゆく野獣に妖気もて、満腹の方法を教え、市場の開店を伝えたのは三皇五帝さんこうごてい時候じこうの挨拶。それは本草ほんぞうにも淮南えなんの書にも出る。しかし法の報いか、方袍ほうほうの姿で乞食こつじきする凡夫には通じず、路頭に迷うが本懐ほんかいと、胸を張り、やはり路頭に迷って地蔵と固まる。


 動かず揺れて、雨を待ち、日に照らされて、伸びるかしなびるかは別としても、紫陽花ならまとまる話だろうと、通りの花屋が紫陽花をもぎ取って売る。




(続く)


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