第13話 自光(なみだ)

 大通りが歩いて来る。ひざまづいて迎える。

 電車でも、信号であれ、千載一遇せんざいいちぐうと、これが最後といわんばかりに、走り出し飛び込むが、ほぼ一日中、何だったら年がら年中、乗る機会も、渡る切っ掛けも、飽き飽きするほど到来する分けで、それを見ていれば機縁は常に無常に眼前を流れているから暴流ぼる。飛び込む気が失せるほどの退屈に辟易へきえきする。


 歩いて来る。膝にくる。

 闇の中、光が無いのなら自分が光ればいい、足下膝元を照らせばいい、出来るものならやってみろと、駅のあかりだろうか、何れにせよ通りの方、振明が自嘲じちょうぎみに遠吠とおぼえる。見えない慈鳥からすが見えている。遠くぼやける大慈の屋台か、大悲の振り子か、要らぬ灯りに大字が濁り震えている。


 地回りの破落戸ごろつき共白髪ともしらが夜盗やとうが、裏で小童こわっぱに作らせた慈悲の光をばら売りしているが、神童の美少年、而しかして童蒙どうもう遅進児ちしんじ、母に抱かれて袖を絞ってばかりいる。

 生活も極貧、辞ことばも貧しかった。

 誰が助けよう、誰が助けよう、お前のことなど、誰が助けよう。袖を濡らす泣き光りで照り光り。

 お前の自光なみだは乾きはしない。


 しかし、しかして、慈鳥じちょうは闇に隠れて居るんだと、見て居るんだと、餓鬼のもうひらかずとも、お前を乗せて、光に光って羽ばたき飛んで、せめて闇夜に駆け上がり見下ろしてやれ。泣哭きゅうこくごとまるごと降らせてやれ。

 お前の自光なみだは乾きはしないんだと。


 舞え舞え貧しい子、不憫な子。舞はぬものなら、馬の子、牛の子にさせてん、踏破ふませてん。真に美しく舞うたらば、花の園まで、遊ばせん。

 二度と再びお会いはしません。わたし、残老ざんろう、朽ちるようには、憶えますからと行き過ぎる。


 大通りが歩いて来る。

 しかもかくの如くといえども、慈光じこうは万華鏡のように、大通りの千変万化に姿をみせるが所詮、それは催眠で、のぞく穴は片目だけ、狭く回って揺れてまただます。

 大通りが歩いて来る。ひざまづいて迎える。




(続く)



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