第10話 言絵(ことえ)

 夕暮れでも路地裏の少年は見つけやすいが、少年の路地裏は永遠に気づかれないのと同様に居て、稲妻が闇に一瞬であるように刹那せつなに壊す柔らかい心、やはり一瞬で居てと蛍火ほたるびの華奢に完成された未熟さが、明滅し暗転し始めたら道を歩き出す。


 

 かつて雨が綺麗に見えたのは止まらず流れ落ちたから、続いて降って染みたからと、ふり返る。四つの葉、紫陽花あじさいこうべを垂れる、雨水、蛍火、夕日に追われる高い風ひとつ。触れない風は吹いても夢で、吹かずとも夢で、高い空。


 夢は、また目覚めなければ夢にならないし、目覚めたとき覚えていなければ見たことにならない。そんな時には在りはしないから、そこには夢はない。しかし所詮、夢は起きたら幻で錯誤さくご、解体を経て、情動に乱れ飛ぶ光の粉砕、紫陽花の激香げきこうみるに過ぎず、語れども話せども幻の絵。

 恐れて泣いた夢の物語を母に語って父に聞かせるは、幼き言葉の積み木。上手に出来たら菓子も増える、魔法の言絵げんえ、夢には楼閣ろうかく

 目覚めることなく見る夢こそ本当の夢か。


 ならば豊穣ほうじょうな死と生の、映し鏡の映し合いで、作柄さくがらによって豊凶も左右されるのなら、芳情ほうじょうあいででもこうべを垂れるはみのりの情け、咲く殻にさえ虫がくように夢がく。

 逝くとき何も持ってはいかない、体さえ心すら。

 悦びも大罪も何もかもここに置いて逝く。夢と空だけ持って逃げるんだ。豪華な死もあるだろう。それは私の夢と空模様、如何いかん。


 いやいや、避けられぬ死が、受け容れ可能な最高に尊いものなら、あの人の受難も意味を失い、悪魔も失職して、信仰も歴史も消え、何も無い平野が風に吹かれて、死者がまた迷う。バロックの音も絵も出涸でがらし音頭とポンチ絵に入れ替わる、すり替わる。

 嫌でも嘘でも死に震え、泣き叫び、否定しなければ何ひとつとして始まらなかったのだろう。皆、分かっていても、いまさら変えられない道徳喜劇、理の光、神の天秤。その根拠云々などと、やはり言絵げんえの幻影、皆、狂人で酔人、夢人。抱えて生きろ、その後に死ね。生老病死で死は後だ。


 弘法が筆の誤りか、六大、無碍むげにして常に瑜伽ゆがなれば、四種の曼荼まんだら、各々離れず、三密加持さんみつかじして速疾そくしつに顕われ、重々帝網じゅうじゅうていもうなるを即身と名づけよ。体とすがたと用と坐と。その果てにある円鏡えんきょう力の実なる覚智が成仏と、沈む陽の幻惑に照らされてもみる。






(続く)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る