第6話 風景

 ぬるい風が吹いている。妖精たちのお祭りは通り過ぎた。

 雨が上がっただけではなく、雨上あめあがりも終わったようだ。この道そのものはお祭りとはほど遠く、さびれた一本道で、両側に小さな立身出世の建て売りが並んでおり、月極つきぎめの駐車場が幅を占め、何を作っているのやら町工場が建っている。またもの言わぬ花に眺められながら、芭蕉でも見えればいいが、紫陽花もやぶ小庭こにわの崩れ塀と、今度はぬるい風に吹かれて、ここを進まざるを得ない風と景。



 風景がない。殺風景だ。風景が殺されて死んだままたたずんでいる。私が育った街並み、ほこりの街並み、三軒長屋の真ん中で外壁がトタンなど、いまではあり得ない建築と意匠いしょうと雨漏り。そこにも暮らしはあったし、我々の如き生き物はいた。夜のみならず昼もって生きていたようなものだ。人は心も知らず故郷ふるさとはいざ、花ぞ昔の姿に変われ、と貫いてみても、誰の心も知らぬ芭蕉の花、と容易たやすく折れてしまうのが落ちだ。


 時の展開は街並みを綺麗にするのか。あの頃のバラック小屋は小さな建て売り、古びたマンションに変わったか。しかしこの街並みにも所々にトタンの家が、まだある。その暮らしは分からない。ただ所々にある風景殺しは他の景色殺しと手を組んで殺風景の大海原を作る。やはりそこに暮らしが展開、相続されていて、中ではうねうねと湿った生活に溺れて濡れてあえいでいるかも知れない。螺旋を描いているのかも知れない。劇場の舞台の組み立てが開演を待つようにしずかにたたずんでいるような一本道の風景だ。探せばまだ美もあるだろうが、そんな駄菓子屋の軒に吊られたような美は五十円としないので、態々わざわざ立ち止まって見る時給ほどの嘆美たんびもないだろう。やはり進んでみた。


 殊更ことさら言挙ことあげするものもない街並みなのだが、あえて言えばこれがびだろうか、それがびだろうかと、枯淡こたんだけがそれを言う謂われはないと、枯淡そのものが言っているようでもある。侘びも寂びもいまではすたれて廃屋と化し、後々産業廃棄物の山脈を作って冬になれば雪を被る。これも結局、麁相そそうの顕われかと、ふとまた一本道に続く殺風景に朦朧もうろうとなる。


 こんなところを見るなと、早く行けと、道の督促状とくそくじょうは積み重なり、アパートに積もる督促状に似て、雨水も止め、陽も明りにもかげりをもたらす。殺風景と侘びしさと共に積み上がる督促状にかされるも打つ手なく、また朦朧と歩く風と景の極み。




(続く)



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