第5話 螺旋(らせん)

 ビニール傘が使い捨てになったのはいつ頃だろうか。道の隅、塀の下に置き去られ、空しく助けを呼んでいる。聞く者のないビニールの独り言を聞きながら、私も軽く見捨てて過ぎる道だ。雨を防ぐものが雨にひたっては手遅れだ。骨も折れているだろう。


 母が杖をついて多摩の大きな病院まで一人で来たことがあった。救急救命士でもないのに救命救急に呼び出されて来た。二重の分厚いドアを通り、何本かの管とオムツを着けている私を見た。そこは非常に出入りが激しいところで、入る事情もそれぞれなら出て行く理由も様々だ。モニターが周りに何台もあるようだった。ずっと小鳥のさえずりのようにピヨピヨと鳴いていた。

 私は赤ん坊の頃もオムツを着けていた。その頃も母が側にいた。四〇を過ぎてまたオムツを着けるはめになり、また真っ先に母がいる。母も、底辺ならまだしも、底が抜けて管で吊り下げられたら笑わざるを得ないだろう。


 赤ん坊は一人では何も出来ず、生きられない。乳を飲ませて貰いお風呂にも入れて貰う。乳母車で運んで貰いオムツも替えて貰う。私もそうでなければ死んでいた。故郷ふるさとから長い距離と時間を経て、私はまたオムツを着けている。そのかたわらにまた母が居る。違う所を回って同じ所に着いた。いつか母もオムツを着けるかも知れない。自分で食事もできず、歩くことも出来なくなり、車椅子に座るかも知れない。やはり違う所を回って同じ所に辿たどり着くのだ。互いの一本道は一緒になることはなく、決して接することもなく、螺旋状にあたかも床屋の前にあるくるくる回るあれのように、はたから見れば線となって並んで回っていくのだろう。


 数日後、やさしい薬を沢山貰い、私も杖をつき、二人で杖をつき、病院を出、ふらふらしながらこの道を通り、数日後、母が故郷に帰り、数ヶ月して死んだ。だからこの道が、思わず母と歩いた唯一の東京となった。


 いまこの道に咲いているのは閑人かんじんが暇に任せて植えたただの花だ。たかが紫陽花だ。たかが朝顔だ。黄色いタンポポだ。僅かの風にも折れ、僅かの雨でも溺れる。泳げる分けでも歩ける分けでもない。道の上で朝日を浴び、日光に向い、夕日を見ては、枯れて死ぬ。逃げることは決してない。はかないのではない。強いのだ。それはそれは、ちていくことに耐えられる動かないものの強靱さだろう。凶刃きょうじんを受けても動かないものは盤石ばんじゃくに根強い。



 所詮、生老病死は避けられない。生老病死の苦こそ生き物そのものだ。それでは疲れもするが、詮が無い。

 花のみならず猫や蛙も明確に死をっていたら、とっくに全部ことごとく自ら命を絶って絶滅していただろうが、やはり各々の螺旋を強いられるのだ。それぞれの一本の道は、他の道とは螺旋にしか巡れない、踊れない。花の線、猫の線、ハムスターの線、母の線、私の線。決して触れ合うことなく、距離を保ち、規則正しく回るのだ。そうなればみな妖精だ。精霊だ。妖怪だ。互いに描く螺旋は目眩めまいがするほど、それは退屈で華麗な躍動で、ストリートの舞踏、路地のバレエ、床屋の回転。笑顔の行進に花も舞う。避けられないのなら踊り回り笑えばいい。生きる作法も死ぬ作法も、作法とは結局そういうものだと、ぬるい風が今、過ぎた。




(続く)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る