第56話 純愛厨。
突然の転校だった。
父親の仕事の関係で、俺は遠くの町へ引っ越すことになった。
でも、特段心が揺らぐことはなかった。ふーん、そうなんだって。それくらい。
当時ガキ大将のように振る舞っていた俺は、どこでだって同じようにやっていけると信じていたんだ。今と同じような仲間だってすぐできると思っていたんだ。
ずっと隣にいてくれたあの子の大切さなんて全く分かってなかったんだ。
そして迎えた転校初日。
自己紹介。何を言ったのかは覚えていない。
でも、さぞ生意気な笑みを浮かべていたであろうことは予想できる。
それよりも、直後に襲った奇異の視線だけを覚えている。
クラスの全員がたったひとりのお山の大将たる俺を訝しげに見つめていた。
その時、知った。
ここに俺の居場所は用意されていないのだと。
それからは簡単。自己紹介でやらかした転校生の末路なんてどこも同じようなものだろう。
俺は一瞬にして教室の窓際族へと成り下がった。あわれなぼっちの出来上がりである。
その上、俺の自己紹介は少々生意気がすぎたらしい。
当然のようにそこにも存在したリーダー格の生徒。その仲間たち。
目を付けられないはずがない。
そうして陰キャ人生を歩み始めた俺は日々余りある時間をゲームや本に費やすようになり、やがて数々の美しい物語に魅入られた。
たったひとりの女の子と出会い、恋をして、紆余曲折を経てやがて想いを伝えあい、幸せを手に入れる。そんな夢物語に夢を見た。
それが純愛厨の成り立ち。
現実を見れない大バカ野郎、滑稽な男の出来上がりだった。
◇
「――――瑞菜!!」
「……え?」
惚けた顔で彼女がこちらを振り向く。
やっと見つけた。どれだけ走ったかわからない。ここがどこかだって定かではない。肺は全力で酸素を求めているし、身体だってもう上手く動くかわからない。彼女を残してきた心はずっと悲鳴をあげ続けている。
でも、見つけた。
最後のチカラを振り絞って駆け寄る。
視線の先には、彼女の手を掴んでいた小太りの男。
「この……っ! ――――俺の女に触んじゃねえ!!」
その男をチカラのかぎりにぶん殴った。
拳に鈍い痛みが走る。殴ったのはこっちなのに、目がチカチカして焦点が合わなくなってきた。
殴られた男は戸惑い、尻もちをついて後ずさる。
「さっさと失せろ!」
「ひ、ひぃ……っ」
一言吠えるだけで、男は逃げていった。
これでひとつの安心。
いや、違う。
まだだ。まだ何も済んでいない。
俺は立ち尽くす彼女の方へ身体を向ける。
「ゆ、ゆう……? な、なんで――――」
彼女の小さな声には耳を貸さなかった。
その華奢な身体を思いきり抱き締める。
そして未だに全力で活動を続けている肺にいっぱいに空気を取り込んで。彼女のように完璧な言葉なんて出ないけれど。それでも心を込めた。
「好きだ。大好きだ」
その想いを何度も何度も、伝えた。
強く強く、抱きしめた。
だけど、瑞菜はそんな俺を引きはがすように両手で抵抗する。
「やめて。やめてよ……なんで? なんでそんなこと言うの?」
小さくて、震えるような声だった。
その声は雨の中でも鮮明に聞き取れた。
「違う。違うよ。ゆう、わたしのこと好きじゃないって言ってた。ゆうがずっと好きだったのはひとり。あの子だけだよ。……そうじゃないと。そうじゃないとあの子が……」
「――――うるっせえよ」
「んっ……!? んんン……っ!!!?!」
グダグダとうるさいその口を俺は無理やり塞いだ。
それは当然、唇と唇による接触。
情緒もへったくれもありはしないがそれは確かに、俺の初めてのキスだった。
唇を放すと、瑞菜は息を切らしながらも少しだけ落ち着いた様子を見せる。
「おまえの悩みなんて知らねえ。罪悪感なんてもっと知らねえ。理解してやらねえ。そんなもんどっかに捨てちまえ」
彼女があの夜、寝ている俺に零した贖罪。
俺はそれを知っているけれど。
そんなものは本当にくだらない。
だって、瑞菜は何も間違えていないのだから。ここにいる俺が、その証拠だ。
「ただ、俺は瀬川瑞菜が好きだ。俺の心が見ていた一番大切なモノはずっと昔からお前だけだ」
「一番、大切……?」
「おまえのおかげで気づけたんだぜ?」
大切なものは心で見なくてはわからない。一番大切なものは、この心の最奥に眠っていた。
子どもの頃は家族のような存在だった。
ずっと隣にいた。それもあって、俺がバカだったこともあって。気づけなかった。近ければ近いほど、その大切には気づけない。
一度別れて、また再会して。それでも気づけなくて。彼女の表層だけを見て、幼馴染は変わってしまっただのと嘆いて。
身体から始まる恋愛なんてありえない? そんなの当たり前だ。それだけは言い張ろう。
だけど、俺と瑞菜は決して身体から始まった関係などではない。そこには何年も何年も積み重ねた時間があったんだ。
お互いを知る時間なんて、とっくに終えていた。
ゆっくり、ゆっくり歩み寄ったはずの膨大な時間が過去にはあった。
元々が亀すぎたんだ。だから、あんな最速の一手があっても悪くない。その一手ですべてを教えてくれた幼馴染を、俺は誇りに思う。
と、それが表向き。バカでどうしようもない純愛厨を納得させるための言葉。
本当はもっともっと単純なはずで。難しい言葉なんていらないはずで。
一度抱いた女のことを忘れるはずがない。
一度好きだと言ってくれた女のことを忘れるはずがない。
自分を否定して生きてきた俺に、それが響かないはずがなかったんだ。
俺なんかのことを昔から好きだったと言ってくれるんだよ。こんな、今の俺のことも好きだと言ってくれるんだよ。そんな言葉を、初めて聞いたんだよ。
誰よりも早く、それを俺に伝えてくれたのは瑞菜だ。
そんな彼女の心を純愛といえず何と言おうか。
これは真に純愛を抱えていた彼女が、自分のチカラで手繰り寄せた物語だ。
最速にして最強の一手によってルートを固定してしまった物語だ。
これは、彼女が創った物語なのだ。
「俺がウソ言ってるように見えるか? てか、俺がお世辞とか取り繕ったことをおまえに言わねえことくらいわかるだろうが。ましてや好きだなんて、適当に言えるはずがない」
「ぁ……。うん。わかる。それは、わかるよ……」
何も見えてなくて、考えもまとまっていなかったあのときの俺が「好き」だなどと言えるはずはなかった。
俺は格好悪くて恥ずかしくて、どうしようもないやつなのだろう。
だけど、彼女を抱いたあの日から正面きって彼女と向き合い続けたことだけは自信をもって言えるのだ。それだけが、純愛厨の最後の矜持だ。
ふっと、瑞菜が笑みを見せる。それだけで空気が弛緩したのを感じた。
「料理も全然、お世辞言ってくれない。そこはお世辞でも美味しいって言ってほしいのに……」
「い、いやそれはな? おまえが下手すぎるのが悪いだろ……お世辞とか誰でも無理だって。まあでも、最近はそれなりになってきたけどな」
結局、未だに俺が「美味い」と言った瑞菜の料理はカレーだけである。
それ以外はよくて普通。まあ食えるな、くらいだ。
「だから、これからも食わせてくれよ。カレー以外でも美味いって言える日を楽しみにしてるからさ」
「うん。……うん。作る。たくさん、作るね」
「ああ。だからさ、ずっと傍に、隣にいてくれよ」
「うん。隣に、いさせて……?」
再びその身体を抱きしめると、瑞菜は初めて抱きしめ返してくれた。
完全に視界から外れてしまっていたが、いつの間にか雨は止んでいた。
少しだけ、人通りも見え始めている。
それに気づいて、俺はパッと瑞菜の身体を離した。
「ハッズ……なにこれめっちゃ見られてるじゃん。あ、今写真撮られたんだが! ……もう死んでいい?」
「ええ!? よわ! わたしの幼馴染弱すぎ!? さっきは格好良かったのに!」
「おまえの幼馴染はなぁ……色々あって注目されると死んでしまう身体になってしまったんだよ……」
「そ、そうだったんだ……」
知らなかった、と瑞菜はヤケに神妙な様子で頷く。
そしてその後、なぜかニヤッと笑って離れた分の距離を詰めた。
次の瞬間、唇が再び出会う。その感情を思い出す。
「――――ちゅっ」
「バっ!? おまえなあ! ハズいっつってんだろ!?」
「ねえ、ゆう」
「……な、なんだよ」
今度は一歩、瑞菜は後退する。
それからグッとチカラを込めるように、一杯に息を吸い込んだ。
「大好き!!!! 大、大、大、大、……だ~~~~~い好き!!!!」
それは雨雲の切れ間から夕日がチラつき始めた街に響き渡るような大声。
こんな大声出せたんだなって。そう思ってしまうくらいのものだった。
再会した幼馴染の根っこは何も変わっていなかった。
それはずっと俺の隣にいた幼馴染そのものだった。
だけど、案外成長もしているらしい。
瑞菜は姿勢を正すと、派手なピンクラベンダーの髪をなびかせながら深い藍色の瞳で俺を見つめる。
「大好きです。愛しています。だから……だからずっとずっと、一生、一緒にいてください。隣にいてください。弱いわたしを、永遠に支えてください」
頼み込むように、瑞菜は丁寧に頭を下げた。
それはまるで彼女によるプロポーズのようで。相変わらず、初心で小心者のくせにその暴走列車は止まらない。いつだって彼女は俺の心を鷲掴みにするような、そんな最強の一手を携えている。
「……ああ。おまえがヨボヨボのババアになって、死ぬまで一緒にいてやるよ」
「そのときはゆうもおじいちゃんだけどね」
「そりゃそうだ」
笑ってやると、瑞菜も泣き笑顔を返してくれた。
そんな彼女を再三、抱きしめる。
ついでに、いつの間にやらさらに増えていたギャラリーからわけのわからない大歓声も飛んできた。
煌びやかで、明らかに学生が来ていいところではないこの場所は意外と温かいらしい。
今だけは、この注目も悪くない。
「じゃ、帰るか」
「うん。帰ろう」
二人の住む部屋を目指して、俺たちは雨上がりの街を歩き出す。
二人の手はしっかりと、強く優しく繋がれていた。
その手が、心が離れることはもう永遠にない。
それもまた純愛厨――いや、俺という人間が彼女だけに掲げる誇りであり、絶対だった。
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