第45話 ――祐樹くんっ!

「やっぱりあなたが祐樹くんなのね~。初めまして、夢乃の母の陽菜乃ひなのです」


 テーブルの向かいに座る黒髪の女性――陽菜乃さんは柔らかく笑った。


(母親だったのか……)


 あまりにも若々しくて、最初は小暮の姉だと思ってしまった。


 それにしてもこの状況。一体に何がどうなっているというのか。どうすればいいというのか。何が正解なのか。


 端的に言えば、さっさと帰りたい。


 しかし外の雨はまだ、止む気配をみせてはくれなかった。


「それでそれで~? 二人は今日はデートだったのかな?」


「んなっ」


「ちょっとお母さん!」


 陽菜乃さんの隣の小暮が嗜めるように口を挟む。


「え~だって今日は朝からとっても張り切ってたじゃない? 髪もお化粧も手伝ってあげたんだから少しくらいデートの話聞かせてほしいな~」


「そ、それは……っべ、べつに頼んでないでしょ! お母さんが勝手にやったんじゃない!」


「それはそうだけど~、ねね、祐樹くん。今日の夢乃、可愛かったでしょ? でしょ?」


 陽菜乃さんは小暮からターゲットを逸らすように、俺へ問いかける。


「え、いやー、その、はい。まあ、可愛かったと思います……はい」


「でしょ~? ほら~お母さんのおかげよ~?」


「……むぅ…………」


 小暮は母への抗議と恥ずかしさが入り混じったように、唇を尖らせながらも顔を真っ赤に染め上げた。


「あら夢乃ったら。ふふっ」


「………………お母さん」


 小暮が少し低い声で呟く。


「なあに?」


「……今日はヨガ教室に行くんじゃなかったの?」


「あーそれね~、お母さん日付間違えてたみたいで。行ってみたら誰もいなかったわ~」


 てへぺろ、と陽菜乃さんはおどける。ここまでの様子を見るに、小暮よりも随分とマイペースと言うか、陽気な雰囲気の人だなと感じた。歳を重ねれば、小暮もこんなふうになるのだろうか。


「もうっ、いないと思ったから祐樹くん連れてきたのに!」


「あらそうなの~? あ、もしかしてお母さんお邪魔だった?」


「じゃ~ま~! 最初から! ずっと邪魔! もうどっか行ってて!」


「あらあらあら~?」


 小暮は席を立つと、陽菜乃さんの手を取ってずるずると引きずっていってしまう。


 なんだか、家族の会話と言う感じで小暮も普段よりフラットな印象だ。敬語も抜けている。


 今日はどれだけ小暮の新しい顔を見ればいいのだろう。


 

 それからしばらく、小暮と二人で雨が止むまでの時間を過ごした。

 途中、陽菜乃さんが何度もお茶菓子を持ってきたり、夕ご飯のお誘いをしてきたり、挙句の果てには止まっていきなさいと言い出したり。その度に母娘喧嘩が勃発したりして、なかなかにアウェーな状況が続いけれど、それはとても充実した時間に思えた。


 だけど陽菜乃さんと小暮の様子を見れば見るだけ、胸に痛みが走るような気がした。あの日にが流した涙が少しだけ、思い出された。


(そういや、母さんにも約束させられてたっけな……)


 夏休みになったら、一度実家に帰ろう。彼女を連れて。きっと温かく迎えてくれるはずだから。





「じゃあ、帰るよ」


 夕日が落ちきる前には、雨もやんでいた。


 玄関先で、小暮に別れを告げる。


「はい。今日は楽しかったです。その……たくさん、ありがとうございました。本当に」


「別に。俺は俺が思うことを言っただけだし。その後はふつうに楽しかったし。こっちこそ、ありがとう」


 じゃあ、ともう一度口にして俺は背を向け歩き出す。


 夕日がとても綺麗だ。鮮やかなオレンジ色に、世界が染まっていた。


 あいつは今日一日、何をしていただろうか。今頃、夕飯の準備をしているだろうか。「美味い」とはなかなか言えないが、「普通」程度にはなってきた彼女の手料理。今日はどんな出来だろう。


 半日会っていないだけなのに、少しだけ久しぶりな気がした。


「――祐樹くんっ!」


 背後から、俺を呼ぶ声。今日はずっと、その声を聴いていた。


 そして、タッタッと心地よい足音が響く。


 俺が振り向くと、彼女はもう目の前で――――。



「――んっ」



 温かくて、柔らかいものが触れた。知らない感触だった。でも、知っている気もした。


 その意味についてはもちろん、迷う必要もなく知っている。


 夕日故にそう見えたのか、彼女は真っ赤な顔で逃げるように自宅へ駆け込んでしまった。


 くだらないと思っていた予想が、世迷言が、自意識過剰が――真実になった瞬間だった。




〜〜〜〜〜〜〜




唇か、それとも…?

夢乃デート編終了です。


次話からやっと幼馴染様の出番が来る…?

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