第36話 私は、そういうキャラですから。

「おはよう」


 自然と、声が小さくなってしまう。それは緊張ゆえか、覚えのないはずの後ろめたさゆえか。


 瑞菜が今、どんな表情をしているのか。それを見る余裕もない。


「今日もよろしくお願いしますね。……あれ? そちらの方は……」


 小暮が俺の影に隠れ気味になっていた瑞菜の存在に気づいた。


 俺は咄嗟に、あわよくば何事もなくと願って瑞菜の紹介を始める。


「ああ、今日からバイトに入る新人なんだけど……、っておい瑞菜……っ?!」


 しかし瑞菜は紹介しようとした俺の言葉を待たずに小暮の元へすたすたと歩み寄った。


(おいおいおいおいこいつ何する気だ……?!)


 あわよくば、なんてそうは問屋が卸してくれないらしい。


 小暮のについては心配していないし心配する様な理由もあるはずがないのだが、瑞菜が一体何をするのか予想がつかなかった。


 元々、浮気とかいうバカげたことを心配してバイト先にまでやってきた瑞菜だ。


 瑞菜の表情を見やるが……イマイチその感情の機微は読めない。



「えっと……? あの、新人さんなんですか?」


 小暮が問いかけるも、瑞菜は黙って小暮を観察するように見る。


 そんな瑞菜に少し首をひねりつつも、小暮はめげずに自己紹介を始めた。


「わ、私、小暮夢乃こぐれゆめのと言います。私も最近始めたばかりなんですけど、よかったら仲良くしていただけると――――」


「――――小暮、夢乃……?」


「え? は、はい。そうですけど……」


 瑞菜の小さな呟きに、小暮は困惑しつつも応答していく。


 しかしそれでも瑞菜の表情は緩まない。


 それはまるで、記憶を手繰り寄せるように。瑞菜は小暮を観察し続けている。


 そして……


「……ねえ。あんたって、そんなだっけ……?」


 その言葉はまるで、口からそのまま出てきたかのように自然と発せられた。


「へ……?」


「ご、ごめんねいきなり。何ていうか、すごく違和感があって。なんか、違うの」


 慌てて謝りながらも、瑞菜はまたすぐに考え込むように顔をしかめた。


 そんな中、俺は会話の流れがまったくつかめずにいた。


 瑞菜の言っている意味が分からない。違和感とは、何のことだ? いや、言ってる本人である瑞菜さえも分かっていないように見える。


 それなら、分かっているのは……。


 視線を向けると、小暮だけが青ざめた様子で立ち尽くしていた。


 ――――私はこういうキャラですから。


 以前聞いた、小暮のそんな言葉を思い出した。


「……なんか、髪とかも……もっとボーイッシュな方がしっくりくる?」


「ど、どういう、ことですか」


 ジリジリと、詰め寄られているわけでもないのに小暮が一歩、身を引く。


「それに、その敬語。それもすごく……」


 瑞菜はまた、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にするようにあっけらかんと言う。


「――――嘘くさい」


「……っ!?」


 その表情の名前は、おそらく驚愕だ。小暮は今まで見たこともないほどに顔を青ざめ、驚きをあらわにする。


「あ、またゴメン。なんかこれじゃすごく失礼……そういうことじゃなくて、うーん、でもやっぱり似合ってないっていうか、すごく違和感……~~~~……っ!」 


 その小暮の様子に気づいてすらいない瑞菜はやっぱり謝りながらも、純粋に悩むそぶりを見せた。


 それから瑞菜はふと、痒いところに手が届せようとするかのように小暮の顔を今一度、ジッと見つめる。


「あっ……」


 数秒後、瑞菜は腑に落ちたのか声を漏らした。

 その手がやっと、届いたらしい。


「もしかしてあんた、あの時のリ――――」


「――――っっ。やっぱり、あなた……っ、ちょっとこっちに来てください!!」


「え、ちょっと!?」


「いいから! 来て!」


 瑞菜が何か、その一言を呟いた瞬間、小暮は瑞菜の手を取って無理やり休憩室の外へと連れ出してしまう。


 休憩室には、まったく理解が追い付いていない俺だけがとり残されたのだった。





「そういうこと、だったんですね」


 しばらくして休憩室に戻ってきた小暮は硬い表情を浮かべていた。瑞菜は店長に呼ばれて事務室にいるため、今は二人きりだ。


「は? いや、なに?」


 先ほどから、何もかも意味が分からない俺は純粋に疑問をぶつける。


 しかし、小暮は自嘲気味に笑みを浮かべた。いつもの柔らかい笑みはどこかへ鳴りを潜めてしまっている。


「瑞菜になんか言われたか? それなら俺が……」


「いえ、何でもありません」


 きっぱりと拒んだ小暮は「そういえば、幼馴染なんですよね」とお茶を濁すように雑談を始めようとする。


 幼馴染ということは、瑞菜から聞いたのだろうか。


「できれば教えてほしいけどな。さっきのこと」


「……ただ、私がバカで、鈍間になってしまっていた。それだけですよ、北見くん」


 やはりぼかすように悟ったふうな顔をして、俺には分からない言葉を小暮は連ねていく。


「――――いちばんたいせつなことは、目に見えない」


「え?」


 それもまた、以前小暮に聞いた『星の王子さま』の引用だ。


「だから、待っているだけのお姫様ではダメなんですよね。それでは、本当に欲しいものを取り逃すばかりです。一番大切なものは、心で見に行かないと。そして心と行動の全てで、求めなければならないんです。それが分かりました」


 彼女の言葉はふわふわと宙を漂うようで。しかしそれでいてとても力強く俺の心のどこかに染みこむ。


「ねえ北見くん。私はまだ、語っていませんよ? まだまだ、ぜんぜん語りつくせません。私の物語は、これからなんです」


 小暮は自分を落ち着けるように。あるいは何らかの決意を胸に宿すように、深く深呼吸をした。


 それから表情を緩めて、柔らかく笑みを浮かべる。


「だから、覚悟していてくださいね?」


「……やっぱり、意味わかんね」


「ふふっ。文学少女らしく、夢見ているんですよ。私は、そういうですから」


 それは、俺の知っている小暮夢乃の微笑みだった。



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