第34話 ……にへへ。

「はいはい、わかったよ。ったく、仕事中だってのになんでこんな話してるんだか」


 俺は呆れたように愚痴をこぼす。


「あ、ごめん。後でもいいよ? もう終わるんでしょ?」


「いや、残念ながら客もいないからな。べつに良いだろ」


 閉店間近の店内。新しいお客の姿はなかった。店長も、多少の雑談にとやかく言うような人ではない。


「まあ一応言っておくと、人が足りないから、新人教育があるからってのも理由のひとつだからな?」


「うん」


 瑞菜はすなおに頷く。


 しかし俺はまだ、その先を話すべきか迷っていた。


 こういうのってバレたら本当に、ただ単に格好悪いだけだと思う。


 それもこれも、俺の想定を超えてシフトに入らなくてはならなくなったタイミングの悪さと、目の前の幼馴染が妙な勘の良さを発揮しているせいだ。


 先日の膝枕の件といい、幼馴染への隠し事ほど難しいことはない。ほんの些細なことで、表情の違いで、行動の違和感で、それはバレてしまうのだから。


「あーっと、な。まぁ、今二人暮らししてるわけだろ? そのアパートの賃料を払ってるのとか、おまえの生活費を用意しているのは誰だ?」


「え……? わたしのパパとママだけど……」


「ああ、そうだ。おまえを置いて行った、いや捨てたふたりだ」


「うん……」


 瑞菜は両親のことを思い出してか、悲しそうに瞳を伏せる。


「おまえたち家族の関係を詳しくは知らないが、俺はそんなやつらを信用できない。つまり、いつおまえへの仕送りがなくなってもおかしくないんじゃないかと懸念している。それどころか仕送りをされている状況自体に、疑問を持っているといってもいい。どうにかしてきっぱりと縁が切れるのなら、さっさと切った方がいいんじゃないかってな」


 そうだ。今まで、俺は瑞菜の問題の肝心な部分にはノータッチできた。それは家族の問題で、それでいてきっと大人の話が絡むことでもあって。俺の関与できる領域ではないと思うから。


 だけどそれでも俺にだって考えることはあり、最低限の準備をすることもできる。


「……まぁ、そういうことだ。わかったら帰れ。帰ってまずい飯でも用意してろ」


 俺はシッシと手を振り、瑞菜を促す。


 しかし瑞菜はきょとんとした顔で立ち尽くしていた。


「どういうこと? それでなんでゆうが働くの?」


「いや、おまえなぁ……ちっとは頭使えよ。察してくれよ……」


「……?」


 それでも瑞菜はバカみたいに首をこてんと傾ける。いや、実際バカだ。


「……っ、だからさぁ!」


 くそ、こんなことは言いたくなかったのに。さっさと納得して、帰ってくれたらよかったのに。


「俺はおまえがいつ一文無しでそこらへほっぽり出されてもいいように! 働いてんだっつの!」


「…………ふぇ……?」


 意表を突かれたかのように、瑞菜の口がぽっかりと開く。まさしく、間抜け面というやつだ。


「ああもうなんなんだよおまえマジで……察しが良いのか悪いのかどっちかにしてくれよ……っ!」


 本当に、第六感で動いているだけらしい。


「ほ、ほんとに、わたしのため……? ほんとに……?」


「……ああそうだよ。まぁさっきも言ったように、他にも理由はあるけどな。買いたいゲームや漫画だってそりゃああるし」


 付けようと思えば、理由はいくらでもある。 


 それに、学生の身である俺がこんなふうに働いてどれだけの足しになるんだという話でもある。実際にそんな事態になったらきっと、俺は俺の家族を頼るのだろう。


 だから、これは気休めでしかない。


 俺には、何のチカラもないのだ。


「そっか。そう、なんだ。わたしのため、なんだ……にへへ」


「なんだと思ってたんだよ、おまえ」


 ヤケに安心した様子の瑞菜に、俺は問いかける。


「え? えっと、その……浮気、みたいな。バイト先に可愛い子とか、いるのかなぁって……だから……」


「はぁ? いやおま、そんなことあるわけ……」


 一瞬、小暮の顔が思い浮かぶ。


「ね、ねえだろ……」


「え? え? ! なんか今、間! 間あったよね!?」


「いや、ないから。ないない。そもそもおまえ、浮気とか。何様だよおまえおい」


「今誤魔化してる! ぜったい誤魔化してる!」


 ああもう五月蠅い五月蠅い。


 美少女がいたら一瞬くらい頭に浮かぶだろうが。それが、片思い相手ならそりゃあ浮かぶだろうがよ。そんくらい許せ。


「わ、わわわ……っ」


 キャンキャン喚いている瑞菜の頭をぐりぐりと撫でる。


 すんと大人しくなる瑞菜。


 これ以上言葉にするのは恥ずかしさでおかしくなりそうだから。


 ぐりぐりと、目一杯にそのバカな頭を撫でた。


「……落ち着いたか? それなら帰れ。それかもうバイト終わるし、少し待ってろ」


「うん……ぁ……」


 瑞菜は一度小さく頷いたが、まだ言いたいことがありそうに口を開く。


「どした?」


「わたし、わたしも……その」


「あ?」


「バイト……わたしもしたい! ここで!」


 俺を見据えたその藍色の瞳は、小暮のそれと少しだけ似ている気がした。

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