第33話 うそ。

 夜も深まる頃、俺は例によってレジに立っていた。先日、瑞菜とカレーを食べに行くために代わってもらった分の補填だ。


 そのため、今日のシフトに小暮の名前はない。今頃はいつも通りに図書委員の仕事をこなしているのではないだろうか?


 と、そんなことはまぁ良くて。小暮がいないのなら俺はただ、機械的に、無感情に、与えられた仕事をこなすだけ。


 とても簡単なお仕事。


「――――のはずなんだけどなぁ……」


 俺の見つめる先には、明らかにおかしな恰好をした不審な人物がいた。


 サングラスにマスク、それにこの季節には暑そうなコートに、フードを深々と被っている。そのくせ下はスカートなのか、生足がちらりと覗き、女性であることが窺えた。

 

 その女性はそさくさと、しかし注意深く店内を見て回り、ろくに商品を見もせずにポイポイとカゴへ突っ込んでいく。客ではあるらしい。


 しばらくすると、女性はレジまでやってきた。


 あまりにも挙動不審な態度から、万引きの可能性なんかも考えていたがその心配はなさそうだ。といっても、ある程度正体の見当はついているのだが……。


 その女性はふんっと少し重そうなカゴをレジへ置く。


「いらっしゃいませ」


 カゴの中を見ると、適当に放り込んだであろう商品がいくつか。そしてその中身の半分以上を占めるのはお菓子だった。


「…………ハァ……なあ、瑞菜?」


 俺がひとつため息を吐きつつも目線を向けると、その女性はビクゥっとあからさまな動揺を見せた。それと同時に、フードの隙間からピンクラベンダーの髪がちらりと覗く。


 しかしその後のリアクションはなし。無視を決め込む腹づもりらしい。


「瑞菜さーん? 聞こえてますよね? まさかこのお菓子、ぜんぶ食べるおつもりで?」


「……っ……あ、あんたには関係ないし! ていうか、瑞菜って誰!? わたしぜんぜんわかんない!」


 いや、半ギレですやん。あーJK怖い。


 しかし、このまま誤魔化されたフリをするのは面白くない。わざわざここに来た理由を知りたいところだし、何よりこいつにこれ以上へりくだって接客をするとか御免こうむりたい。


 俺は何気ない様子で、少し落ち着きを取り戻して油断している彼女に向けて呟く。


「あ、そうだ瑞菜。風呂場の洗剤とかついでに買っといてくれるか。ちょうど切れそうなんだ」


「え? うん、わかった。じゃあちょっと取ってきていい? ――――って、あ」


「俺の目の前にいる不審者もどきは瀬川瑞菜で間違いないな?」


「…………はい……」


 ちょろすぎか。


 瑞菜はしゅんとした様子で力なく頷いた。



 その後、ひとまず会計を終えると俺は問いかける。


「で、何やってんの? 不審者してまで」


「ふ、不審者違うし!」


「いやどう見ても不審者だから。おまえじゃなかったら余裕で通報するわ」


「うぅ……カッコイイと思ったのに……」


 かなり美的感覚が狂っているらしい。さすがのピンクラベンダー。


 しかし瑞菜はふと思い出したように顔を上げて、あっけらかんと自分を指さす。


「ねね、わたし、お客さん。お客さんだよ? 敬語とか――――」


「知るかボケ」


「いったぁ!」


 すかさずおでこにデコピンを放った。 


「店長さんーんこの店員暴力ふるう~」


「おいバカやめろふざけんなっ」


 俺は慌てて瑞菜の口をふさぐ。

 バレたらバレたで開き直ってやがるなこいつ……。


「もう買い物は終わったろ。俺のおまえに対する仕事は終えた」


「けっこう雑な対応された気がするんだけど……」


「いやちゃんと言ったろ。いらっしゃいませって」


「それだけ!?」


「それだけだ」


 そっちが開き直るならこちらだって下手に出てやるものか。


「……で、なんか用なのか? 急用とかなら店長に言って時間作るけど」


「え、ううん、そういうんじゃないよ。ちょっと見に来ただけ」


「そか」


「でも……」


 瑞菜はいかにも文句がありますと言ってふうに顔をしかめる。


「あ?」


「ゆう、やっぱり最近働きすぎ。帰ってくるの遅いし。つまんない」


「つまんないって……お前なぁ」


 俺は用意していた文言を瑞菜へ語る。この状況とは言わないが、似たものは想定していた。


「バイトだってけっこう忙しいんだよ。人足りないし。新しく人入っても今度は教えないとだし。いい子ちゃんな上に有能な俺は引っ張りだこなのだよ」


「うそ」


「………っ、いや嘘なんて何も……」


 間髪入れずに放たれたその言葉に、一瞬の動揺を隠せなかった。


「うそ。ゆう、そんな働き者じゃないもん。どちらかというと怠け者。自分の欲しい分のお金が手に入ればお店のことなんてどうでもいいって言うと思う。それ以上なんて、意地でも働かないと思う」


「いやおまえなぁ、俺のことなんだと思ってんの? 少しは店のために働きもするって」


「何か、わけがあるよね。働きたい理由」


「…………」


「教えて?」


 瑞菜は見透かしたように、藍色の瞳を逸らさない。


 その瞳から逃れられる気がしなくて、俺は悟ったように両手を振った。

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