第32話 『星の王子さま』
「美味かったな、カレー」
「うん」
俺たちは二人の住むマンションを目指して歩いていた。二人の間には、ちょうど一人分くらいの距離。
いつもはもう少しだけ近かったような。そんな気がした。
「あー、料理の参考にはなったのか?」
「ぜんぜん!」
「ですよねー」
知ってた。
正直、俺もカレーのことなんてよく分からない。使われている肉は牛だなって、分かることと言えばそれくらい。
何も知らされずに今日食べた欧風カレーと普段食べる市販のルーを使ったカレーを食べ比べたら市販の方が美味いと言い出す可能性まである。美味しいとは思うのだが、やはりお店のカレーなんて食べ慣れていないのだ。
いや、ここは近年の市販ルーのクオリティの高さを褒めるべきだろうか?
何はともあれ、たかが高校生の俺たちには家のカレーで間に合っているらしい。
「まあ、いいか。美味かったのは確かだしな」
「じゃがバターがさいつよ」
「じゃがバターかよ……」
呆れる俺に、瑞菜はにへへとはにかんで笑った。
◇
「カレー、美味しかったなぁ」
マンションに帰ってきたわたしはさっきまで何度も話していたことをもう一度、誰に言うでもなく呟く。
彼はいない。コンビニに出かけてしまった。
べつに、もっと早く言ってくれればわたしもついて行くのに。彼はマンションの目の前まで来てから言うのだ。ここまで来て先に帰ってろと言われたら、甘えるしかないじゃないか。これじゃあ彼ばっかり来た道を戻って二度手間だ。
そんな幼馴染への不満を唱えながらも身体は何となく重たくって、わたしはベッドで横になった。
ふわりと、柔らかくベッドは迎えてくれる。
でも胸を包むのは、ほんの少しのモヤモヤ。
思い浮かぶのはカレー屋さんで時折見せていた、上の空な彼の顔。
「はぁ……」
最近の彼はバイトばかり。バイト先のドラックストアは22時までだから、帰ってくるのも遅いことが多い。
そんな日はいつも、夕食を作って待っている。
最初のうちは、旦那さんの帰りを待つ奥さんみたいだなぁとか思って浮かれていたりもしたけれど。今はもう寂しくなってきてしまった。
奥さんって、けっこう孤独な職業らしい。
いつか結婚したら早めに子供を作らないとだね。あ、それとも彼の家族と一緒に暮らすことになるのかな。それはとても、とっても、わたしにとっては幸せなユメかもしれない。
「………………」
二人で住むには少し狭いかもしれないけど、一人には広い部屋。
妄想が途切れて部屋の隅にできた暗闇を眺めていていると少しだけ、怖くなってくる。
もう、オナニーでもしちゃおうかな。このベッドにはもう、彼の匂いが染みついているから。だから、いくらでもできてしまう。
ああでも、途中で帰ってきちゃったら困るなぁ。この前だってとっても恥ずかしかったし、やめておこう。
ぶんぶんと頭を振って邪念を払う。するとふと、彼がいつも使っているカバンが目に入った。
何を思ったのか、わたしは自然と身体を起こしてそれへと手を伸ばす。
それからゆっくりと、中を覗いた。
何やってるんだろ。入っているのなんて、わたしも持っている教科書くらい――――
「……え?」
思わず、声が漏れる。
見つけたのは一冊の小さな文庫本だった。
『星の王子さま』
それはわたしにとって、とても懐かしいタイトル。
もしかしてあの時の――――ううん、そんなわけないよね……。
その本には見覚えのある図書室のラベルが張り付けられていた。
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