第29話 北見先輩?

 あれから、店長に話を通して後日面接を行った小暮の採用はとんとん拍子で決まった。当たり前だろう。むしろ採用しない理由の方が見つからない。


 ドラッグストアのバイトでは染髪やネイルなんかは禁止されていることが多いが小暮についてはまったくその心配がないし、面接での受け答えも好評だった。


 というわけで、数日後。俺と小暮はバイト先であるドラッグストアの休憩室にいた。


「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。北見くん……じゃなくて北見先輩、でしょうか?」


 ドラッグストアのシンプルな緑のエプロンに身を包んだ小暮は丁寧にお辞儀をして、こちらへ上目遣いに瞳を寄せながら笑みを浮かべる。


 一応は俺の紹介のような形でバイトを始めた小暮の新人教育は、当然のように俺が受け持つこととなった。


「先輩はよしてくれ。いつも通りでいいよ」


 先輩とか、呼ばれるこっちが落ち着かない。こちとら女の子に先輩と呼ばれることなどない人生を送ってきたのだ。


 その上同級生であるはずの小暮に言われるとなると、ムズムズしてたまったものじゃない。


 しかし小暮は俺の気持ちを知ってか知らずか一歩、ちょこんと距離を詰めてくる。


「え~、いいじゃないですか。私、バイトって初めてなのでたくさん教えてくださいね? 北見先輩?」


「いやほんと、先輩は勘弁して? 同級生だから~とか言って俺に敬語やめさせたのはそっちだろ? てか近いし」


 俺はスッと小暮から一歩離れる。


 同級生だから敬語やさん付けを俺にやめろというのなら、先輩呼びをやめろというのもまかり通るはずだ。


「それは学校では、の話です。この場では私が後輩で間違いないですよ?」


「それはそうだが……なんつーか、恥ずいだろ……」


「むぅ……まぁ恥ずかしがる北見くんが見れたのでとりあえずは良しとしましょう。……では北見くんは北見くんということで。他の先輩方は先輩と呼ぶことにしますね♪」


「いやそれもなんか、なぁ……」


 少しだけ複雑だった。


「どうかしましたか? 北見くん?」


「いや、なんでもない」


 間違いなく分かっていて「くん」を強調してくる小暮をかわしながら、俺は仕事のレクチャーを始めたのだった。 




「まずは商品の前出しかな」


 タイムカードを押して休憩室を出た俺は適当な商品棚の前まで小暮を連れ出した。


「前出し、ですか?」


「お客さんが商品を買うと棚に並んだ商品は奥にある物しか残らないだろ? だからこうやって、前に出しておくんだ」


「なるほど……」


 俺が実演すると小暮はうんうんと頷いて、すぐさま手帳にメモをした。そのあたりは真面目な小暮らしく感心するとともに、バイト初心者らしい緊張感も感じられて少し微笑ましい。


「本当は少なくなっている商品があったら裏から持ってきて補充もするんだけどな。とりあえずは前出しだけで大丈夫だ」


 小暮はさらにメモを取りながら真剣な様子で頷く。


「じゃあとりあえず、しばらくはこの前出しをしながら商品の場所を把握してみてくれ。と言ってもすぐには覚えられないだろうから、少しずつでいいけどな」


「了解です。あ、でもお客さんに話しかけられたりしたらどうすればいいですか? ドラックストアってけっこうそういうことありますよね?」


「そうだな。特にクスリの効能についてとか、商品の場所については聞いてくる人が多いから。困ったらすぐに俺か、店長を呼んでくれ。ムリに答えようとはしなくていいから」


 小暮はまた、ふんふんと大きく頷いた。やはり普段よりは緊張していることが窺える。


「まあ、あんまり気張らなくていいよ。小暮ならいつも図書委員の仕事をしてる感じでいいんじゃないかな」


 小暮については言葉遣いも、その物腰の柔らかさも知っている。心配はないだろう。これが瑞菜だったら心配が絶えないところなのだが……。


「わ、分かりましたっ。……で、でも、何かあったら助けてくださいね?」


「わかってる。そのために俺はいるんだからな――――っと……」


 不安な様子の小暮に、思わず頭を撫でてしまいそうになって俺は手を引っ込めた。幼馴染の瑞菜と同じようなノリで異性の頭に触れていいものでもないだろう。


「……?」


「……っまぁとにかく、気楽に、でも真面目に。頑張れ、新人」


 四六時中見ているわけにもいかず、俺は自分の仕事であるレジをするべく小暮の元を離れたのだった。


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