第28話 私、ここでバイトします。

「ありがとうございましたー」


 丁寧にお辞儀をして見送ると、馴染みのお客であるおばあさんは笑顔で会釈をして店を後にした。


「ふぅ……」


 レジに並ぶお客がいないことを確認して、少しだけ息を吐く。


 放課後の夕方、俺はバイト先であるドラックストアのレジにいた。転校してからすぐに始めたバイトだ。ゲームや漫画にお金を大量消費する陰キャ高校生はバイトをやらなければとてもではないが趣味すら十分に楽しめない。


 といっても今となっては別の理由もあってバイトをしているのだが。

 

「それにしてもバイトって、辛いよなぁ……」


 ボソッと呟きが漏れる。それと同時に夏の香りが近づくせいか頬を一滴に汗が伝った。クーラーの控えめな店内には少しだけ暑さを感じる。


 その上接客とかレジとか、正直ストレスが半端なかった。しかし学生にとってはなかなか、接客以外のバイトというのも見当たらない。あったとしてもよく分からないことをさせられるくらいなら接客の方がマシではないかと思えた。


 嫌ではあるものの、定番故にバイトのイメージだけは容易だ。


 その中でもまだ楽そうかなぁと、軽い気持ちで始めたバイトがこのドラッグストアの店員である。


 初めて見ればまあ、どうということはない。若い人はほとんど無言で買っていくだけだし、年配の方たちの世間話には適当に相づちを打っておけばいい。


 ドラッグストアと言えば薬について尋ねられることも多々ある。しかしそう言ったことにはそもそもバイトでしかなく何の資格も持ち合わせていない俺には答える権利がない。だから社員の人を呼んで、あとお願いしますで終わりだ。


 思った以上に肉体労働が多いことは想定外だったが、人間関係についても大方良好。付かず離れず、心地いい距離感を保っている。


 と、ここまで色々と並び立てたわけで。もうルーティンワークと化していると言ってもいいバイトなのだが。


 でもやっぱり、辛いもんは辛い。陰キャにとっては知らない人と話す、それ自体がストレスなのだ。だからいくら慣れてきて、機械のように仕事をこなしたとしても精神的にはけっこう疲れる。


 要するに、働きたくないでござる! ということだ。


「ま、もらえる報酬の分は働くんだけどな……」


 バイトで帰りが遅いとアパートで待っている瑞菜の機嫌が悪いというか、いつも以上に引っ付いてくることだけが目下のところの問題である。


「いらっしゃいませー」


 レジにお客がやってきたのを見て、俺は瞬時にバイトモードへと頭をシフトした。仕事をするときは余計なことを考えず、それだけに徹した方がいい。


 だけど、今日についてはそうもいかせてくれないらしい。


「商品お預かりしま――――って……は?」


 お客の顔をちらっと見ると、一瞬にして店員としての仮面が剥がれて素の自分が顔を覗かせた。乾いた声が漏れる。


 また一滴、汗が伝った。


「もしかしなくても、北見くん……ですよね?」


「小暮……さん……」


 そう、目の前のお客は俺がひとり、想いを寄せていた人。


 黒髪の少女、小暮夢乃こぐれゆめのだった。


 だが先日、その想いは断ち切った。


 それでも。いや、もしかしたら。だからこそなのだろうか。


 神さまはまるで、惑う俺をあざ笑うかのようで。人生がそう簡単に上手くいかないことを思いしらされる。


(あんたに逢えるイベントが起こるのは図書室だけじゃなかったのかよ……)


 思わずエロゲ脳な悪態もつきたくなるというものだ。


 断ち切ったはずの、振り切ったはずの想いは俺を追いかけてくるらしい。


「えっと……商品、もらうよ」


「あ、はい。すみません」


 俺はなんとか店員としての仕事をこなすべく商品の入ったカゴを受け取る。


「北見くん、さっきまた小暮さんって言ってましたよ?」


「あーいや、すまん。忘れてた」


「夢乃と呼んでくださいって言いましたよね?」


「いやそんな話をした覚えはないんだが」


「むぅ……さすがに騙されませんか」


 小暮は少し子どもっぽく頬を膨らませた。そんな仕草ひとつひとつが女の子っぽくて、可愛らしい。


 俺は小暮から完全に目を離して、商品のバーコードを通していく。商品のほとんどは洗剤などの日用品だった。知り合いの買った商品を見るのは悪い気もするが、見えてしまうのだから仕方がない。むしろ、ドラッグストアなら日用品で良かったと言うべきか。


「今日はお母さんに頼まれちゃいまして」


 俺の思考を読み取ったように、小暮は補足をする。


「ここのドラッグストア、あんまり来たことなかったんですけど北見くんに逢えたから、こういうのもたまには悪くないですね」


 ちらっと見えた小暮は偽りなく嬉しそうに笑っているように見えて、俺はまた目を伏せ仕事に集中する。


 それから、お会計を伝えた。


 しかし、待てど小暮からの返事はない。


「小暮? どうした?」


「……最近、あんまり図書室に来ませんよね」


 尋ねると、予想外の言葉が投げかけられた。


 俺は内心慌てつつ、言葉を探す。


「……バイトがちょっと忙しくてさ。行く暇がなかったというか……」


「そう、なんですか……バイト、大変なんですね」


「まあ、うん。そうかな」


 小暮の声が妙に沈んでいるように聞こえる。


 やめろ、やめろやめろ。自意識を持ち込むな。過剰に反応するな。


 小暮はただ図書室に来る人間が減ったことを図書委員として、または本好きとして悲しんでいるだけだ。


 俺に対して、何かがあるわけでは決してない。


「もしかして、『星の王子さま』もまだ借りたままですか?」


「……っ」


 先日、図書室で借りた『星の王子さま』。読むことすらなく、しまったままになっていた。


「ふふっ。ダメですよ? 返却期限、もう過ぎちゃってます」


「ごめん。今度返しに行くよ」


「はい」


 やっぱり、小暮の顔は笑っているのにその心は笑っていないように見えた。これは俺の心の奥底に残っている願望? それとも?


 とにかく、未練がましく考えている自分が気持ち悪くて仕方がない。


「お会計、これでお願いします」


「お預かりします。………っと、こちらおつりになりま――――って、小暮?」


 お釣りを手渡そうとすると、小暮が意識を吸い取られるようにレジ前の張り紙を見ていた。


 そこに書かれているのは……。


「北見くん。バイト、忙しいんですよね」


「え? ああ、まあうん」


 バイトが忙しいというのは一応、本当だ。バイトの一人が先日やめてしまったばかりで、人は足りていない。


 だからこその、その張り紙。バイトの募集。


 そして、小暮が続ける言葉を俺は予想出来てしまった。


 予感がしたんだ。自意識過剰でも何でもなく、小暮夢乃ならそう言うのではないかと。


 だから。だからこそ、これ以上彼女に言わせてはいけない。


「それなら————」


「こ、小暮? べつにそこまで切羽詰まってるわけじゃないし小暮が何かすることじゃ……」


 俺はそれをを遮るように捲し立てる、が……。



「――――私、ここでバイトします」



 慌てて紡いだ言葉も虚しく、予想通りの宣言が耳を通りすぎていく。


 俺を見つめる彼女のその真黒まくろに煌めく瞳からは一切の濁りも、揺らぎさえも感じられなかった。



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