第21話 もう一歩、進んでみますか?
俺は本を差し出す、……が小暮さんはそれを受け取らず「むぅっ」と少しだけ頬を膨らませていた。
「
「え? なに? なんのこと……ですか?」
「さんはいりません。それから、敬語も出てますよ?」
「あー、はい」
「さっきは小暮さんって言いました。さんも敬語もいりません。私たち、おんなじ2年生じゃないですか」
「いやそれはそうだけど、なんというかですね? ……てか、そっちだって敬語じゃないか?」
我ながら謎な口調になっていると思いつつも、言葉に詰まった俺は緩い反撃を試みる。片想い中の高校生男子には色々あるんですよ……。
だが、小暮さんは自分に白羽の矢が立ったにも関わらず得意そうに人差し指を立てて「ふふん」と息を漏らす。
意外とお茶目というか、掴みどころのない人だ。
「私はこういうキャラですから。いいんですよ?」
「いや何それ意味わからんし。でもそれなら俺もそういうキャラってことで」
「それはダメです。北見くんは同級生にさん付けや敬語を使う人ではありません。それに、すでにそのキャラ崩れてますよ?」
「うっ……」
小暮さんがおかしなことを言うから、完全に普段の口調が出ていたらしい。
しかし決めつけるように言うということは、小暮さんは普段の俺を知っているんだろうか。そう思うだけで少しだけ嬉しく感じてしまう俺がいた。
「わ、わかったよ。えっと、小暮」
なんだか気恥ずかしくて、俺は思わず小暮さん——小暮から目を逸らす。
わずかに見えた小暮は表情を緩めて、満足そうに微笑んでいた。
「ちょこっとですけど、距離が縮まった気がしますね」
「そうか?」
「はい。どうせならもう一歩、進んでみますか?」
「は?」
「
「いやそれはさすがに……」
いきなり名前で呼ぶとか無理でしょ……。そもそも、そんなことをされて小暮は嬉しいのだろうか。俺のようなよく知りもしない男子生徒に。
思った以上にぐいぐい来る小暮にたじたじになってしまう。
「じゃあじゃあ、一回だけでいいですから。呼んでみてください」
「えぇ……いやでもだな……」
「ほらほら、はやくしないと閉館しちゃいますよ?」
「むぅ……わかった。わかったからそんなに前のめりにならないでくれ……」
小暮は自然と、俺へ迫るようにカウンター越しの身体をこちらへ寄せていた。
制服の隙間からちらちらと胸の谷間が見えてしまいそうで。ダメだと思いつつも目が引き寄せられそうになってしまう。
「へ? あ、はい。すみません私ったら……」
小暮はさっと身体を離して、恥ずかしそうに顔を赤らめてはにかんだ。
俺としても、ホッと一息。と言っても、それは本当にひと時のことだが。
小暮は期待を込めるかのように意気込んだ様子で俺を促す。
「で、では、どうぞ」
「お、おう……じゃあ、えっと、その……ゆ、夢乃……」
……言っては見たものの、なんだこれなんだこれ恥ずかしさがパないの!
やっぱ女子を、それも片想い相手は名前で呼ぶとか無理だって! 何この罰ゲーム!?
「……?」
しかし俺の脳内パニックが落ち着いてきてもなお、小暮からの反応がないことに気づく。
なんだ、この沈黙。そ、そんなにキモかっただろうか。気分を害しただろうか。
まずい、ここはまず謝るが吉!
「あ、あの小暮さん?」
「……ふへへ」
「……え?」
俺が敬語に戻りつつ話しかけようとすると、小暮の口から聞いてはいけないような声が漏れた。しかもそれは女子がしちゃいけないような表情で、よだれが垂れんばかりの勢いだ。それはもう、キモオタが美少女をスコッてるときにする類のもので。
小暮は「ふへ、ふへへ」と幸せそうに、恍惚とした表情を浮かべている。
「こ、小暮……?」
「ふへぇ……――――って、え? あれ? 北見くん……? ご、ごめんなさい私今ちょっと脳内麻薬が!?」
俺の呼びかけによって正気を取り戻したらしい小暮は勢いよく頭を下げた。長く美しい黒髪がバサっと俺の視界を埋め尽くす。
しかし脳内麻薬て。なにそれ怖い。エンドルフィンとか、ドーパミンとかだっけ? どうして今そんなのが出ちゃったの?
脳内麻薬が出るレベルで俺の名前呼びは肉体的苦痛でしたか?
「こほんっ。そ、それでは北見くんは合格ですので本の貸し出しを許可します」
小暮は慌ててよだれを拭いて、身だしなみを整えるように制服を撫でると、誤魔化すようにひとつ咳ばらいをした。
「いや何の合格? 本借りるには小暮を名前で呼ばなきゃいけないの?」
「え? そんな決まりは……い、いえ、その通りですっ。北見くんだけ今日からそうなりました!」
「えぇ……俺のメンタルがもたないからやめない?」
「むしろ私の身体がもたないのでやめてください!」
「なんかもう支離滅裂なんだが……」
「いいんです!」
言ってることがごちゃごちゃだ。しかしいつも落ち着いている印象の小暮が慌てている(?)のは新鮮で、少し笑みがこぼれそうになる。
なぜ小暮がこんなに取り乱しているのかはさっぱりだが。
考えられるとすれば、やっぱり俺の名前呼びが死ぬほどキモかったのだろう。小暮からキモオタの笑みを引き出すくらいに。もうそれしか考えられない。
「で、では本を一度貸していただけますか?」
「おう、これだ」
俺は適当に持ってきてしまった本を改めて差し出す。
そういえば、俺は何の本を持ってきたのだっただろうか。
「はい。たしかに。ってこれ……『星の王子さま』じゃないですか」
小暮は少し興奮した様子で嬉しそうに笑みを浮かべた。
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