第9話 わたし……は、初めてだったわけでして……。

「ふうっ……意外と多いな」


 とりあえずリビングの端においてもらった段ボールに詰められた荷物のうちのひとつを寝室へと運び、俺は一息ついた。


 母なりに気を遣ったのだろうがその荷物は生活必需品から俺の私物までかなりの量で、なかなかに骨の折れる作業になりそうだ。


 ちなみに、この部屋は1LDKであるらしく基本的にはリビングと寝室から成っている。つまりは、それぞれの私室を設けることはできないということだ。


 正直それは避けたかったが、部屋がない以上は仕方がない。もともと、雲隠れした瑞菜の両親は一人暮らしと思って借りたのだろう。


 リビングがあるのは救いで、俺は基本的にリビングで行動すれば問題はない。ただ、私物を人目に移る可能性もあるリビングに置いておくのもどうかということでそれらは寝室に押し込むことにした。


(エロゲとかリビングに置いておくわけにはいかないしな……)


 かと言って幼馴染の生活空間にそれがあっていいのかという話なのだが、なんとかバレないよう工作していこう。


「よっし、まあさっさと終わらせちまうか」


 この作業だけで一日潰れるとかは御免こうむりたい。


 それからリビングへと足を運ぼうとすると、廊下にてもじもじとした足取りで段ボールを運ぶ幼馴染に遭遇した。


 彼女は俺に気づいた瞬間、なぜかカァっと頬を染めてうつむく。


「おまえ、何してんの? さっさと運べ?」


 重そうなものは俺が運んでいるので、瑞菜が持つ段ボールはそこまで重くもないはずなのだが……。


 彼女はぷるぷると何かに耐えている。


「……どした? さすがに非力すぎない? 戦力外すぎじゃんこのエセビッチ……」


「……がうの」


「あ? なんて?」


 声が小さくて上手く聞き取れなかった俺は瑞菜の顔を覗き込む。


「――――ち、違くて。その、わたし……は、初めてだったわけでして……」


「お、おう。それはわかってるが……」


 初めて、が指すことはもちろんすぐにわかる。

 だけどそれがどうしたというんだろう?


「あっ……」


 少し考えると、それはすぐに思い当たった。


 そうだ、あれだけ血が出ていたんだから……。


「痛むのか?」


「え、えっと……ちょっとだけ? いろいろ安心したらですね、気になり始めちゃって。歩くのに少し、違和感があるというか。その……」


 恥ずかしそうに膝をこすり合わせながら消え入りそうな声で話す瑞菜。


「あーいや、すまん。聞くことでもなかったな」


「う、ううん。大丈夫、です……」


 瑞菜はさらに顔を赤らめて縮こまった。


 そんな瑞菜に俺は一歩距離を詰めて、瑞菜が持っていた段ボールを取り上げる。


「あとは俺がやるから。おまえは適当にしてろ」


「あっ……ご、ごめんね? 手伝えなくて……」


「いいっつの。謝んな。こんくらい普通だ。一緒に暮らすんだったら変な遠慮はするな」


「う、うん。……わかった」


 瑞菜は申し訳なさそうにしながらうなづく。


 そんな姿を見ていると昔の瑞菜を思い出す。


 まったく、手がかかる。


「いいか? おまえにできないことは俺がする。俺にできないことはおまえがやる。一人一人でできないことは協力してなんとかする。それが共同生活だ。それでいいだろ」


 ぶっきらぼうにそれだけ言って、俺は寝室へとんぼかえりすべく反転して歩き出した。


 数秒、ボーっと突っ立っていたようだった瑞菜だが、不慣れな歩みで駆け寄ってくる。


 それから俺の隣に並んで、ちらっと顔を覗き込んできた。ピンクラベンダーの髪が揺れて、少しだけ甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「……あ、ありがと。わたしも出来ること探して、ちゃんとやるね」


「邪魔にならん程度にな」


「じゃ、邪魔なんかしないし! ていうかゆう、だんだん意地悪になってない!? コ、コクハクしたときも酷かったし……」


「知らん。俺は昔からこんなだ」


「そ、そうだけどぉ。優しくなったかと思ってたのに~」


「いや優しいだろ。この上なく」


「むぅ……せめてもう少し口調を優しくして欲しいかも……」


 口を尖らせる瑞菜を無視して、俺は歩みを進める。


 昔の自分とは袂を分かったつもりだ。あの頃の俺は、調子に乗っていて。できないことなんてなくて。まるで自分のために世界があるかのように思っていた。自分が世界の王様だった。


 でも、そういうのはやめたんだ。そうして、今の純愛厨であり、教室の隅で数少ない友人とだけ戯れるような陰キャの俺がいる。


 その生活を、俺は気に入っている。


 だけど、この幼馴染に対してはこれでいい気がした。


 それはきっと、昔に戻るわけでもなく。これが瑞菜との一番落ち着くあり方で。昔と今が混ざり合う、俺の素に最も近いものだと、そう思った。

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