第5話 だってわたし、あんたのこと……

「わたし、ひとり暮らしを始めたの。わたしがそれを望んだ。そういうことに、なってるの」


 リビングへ移動した後の、瑞菜みずなの最初の一言がそれだった。


 瑞菜はデニムのショートパンツに淡いピンクのTシャツというラフ目な服装に着替えている。


 昨夜の出来事については、お互いにまだ触れようとしなかった。


「……このマンションでってことでいいんだよな?」


 俺が聞くと、瑞菜はこくんと頷いた。

 

 学生の一人暮らしにしては広い部屋だ。全体を見たわけではないが、1LDKは確実にあるだろう。


「パパとママね、離婚したの。その上、わたしを置いて二人ともいなくなっちゃったの」


「……は? なに、……言ってんだ? 瑞菜?」


 離婚して、二人ともいなくなった? そんなこと、あり得るのか? ふつうはどちらかについて行くものじゃ?


 いや、だからこそ瑞菜が望んで一人暮らしを始めた。そういうことになっている、のか……。


 俺の疑問に答えるように、瑞菜はあくまで冷静な語り口調で話す。


「二人とも、わたしのことなんていらなかったみたい。連れて行きたくないみたい。だから、ここで一人暮らししろって。大学卒業までなら、お金は用意するからって」


「な、なん……だよ、それ……っ!」


 まさかの告白に動揺が隠せなかった。理解が追い付かなくなりそうだった。自然と、握る拳に力が入った。


 瑞菜の両親とは、俺はほとんど面識がない。昔から仕事で家にいることも少なく、忙しい人たちだったという印象だ。だから、あの頃の瑞菜は俺によく懐いていたのだと思う。


 これが、瑞菜がメッセージを寄こした本当の理由? でも、だからって俺にどうしろと? なぜ、俺なんかを頼ろうとした?


「わたし、こんなだから。お勉強だってそこまで出来るわけでもないし。家事も得意じゃないし。何にもできない……。だから、わたしのことなんて、好きじゃなかったのかなあ……」


 まるで自分を納得させるための言葉を求めるように。感情を押さえつけるように。瑞菜は「あはは」とチカラなく笑った。


 強がろうとしているのは明白で。もう、冷静さを保ててなどいなくて。藍色の瞳には今にも涙が溢れそうに見えた。


「っ……あー、もう! おい、瑞菜……っ!」


「は、はいっ。な、なに……どう、したの?」


 いきなり語気を荒くした俺に瑞菜は目を丸くして背筋を伸ばす。


 しかし、そんなことは構うものか。


「瑞菜、おまえは俺に何をして欲しい。俺に、どうして欲しい。なぜ、俺を呼んだ」


 瀬川瑞菜はだ。


 どうしたって切り捨てられない情がある。助けなくてはならない。幼馴染が幼馴染を助けるなんて、当たり前なんだ。


 法律的なこととかは俺には分からないけれど。それでも瑞菜は俺にできることがあるから、頼ったはずなんだ。


 それを前にしたら昨日のことですら、今だけは後回しだ。


 そう思った。だけど……


「一緒に……いて欲しかった」


「一緒に……?」


「うん。一緒にいて、温めてほしかった。抱きしめてほしかった。寂しさを、埋めてほしかったの……」


 切れ切れに言葉を繋いでいく瑞菜によって、話は昨日の夜に巻き戻る。


「だから、ゴメンね。わたし、ズルした」


 藍色の瞳からついに涙が一つ、伝った。瑞菜はそれに抗うように笑う。

 

 そのズルが指すものが何なのかは、すぐに分かった。しかしそれを責める気はなかった。俺が気にかけるべきは、もっと別のことだったから。


「だからって、なんで俺を……。俺なんかじゃなくても、おまえ可愛いんだからさ! もっと他に良いやつが……っ! おまえ……なんで俺なんかに初めてを……っ!」

 

 俺は俺の中に生まれてしまったやりきれない気持ちをなんとか、言葉にする。


 そう、瀬川瑞菜はだった。


 噂なんてすべては嘘っぱちで。きっと、彼女を僻む人間のついた嘘とか。彼女の見た目だけで判断したバカどもがいただけの話だ。


 彼女は、俺の幼馴染は決して、ビッチなんかではなかった。


「……いいの。わたしは、ゆうに抱いて欲しかった。わたし、ずっと言ってたよね? わたしとエッチしてって。何度も、言ってたよね?」


「それは……言ってたけど。あんなの、上辺だけのもので、冗談みたいなものなんじゃ……」


「違う、違うよ。わたしは本気だった。毎回、本気だったんだよ」


「な、んで……そんな……」


 本気だった?


 本気で、エッチをしようって? それを処女の女が男に言う理由なんて、一つしかないじゃないか。それしか、考えられないじゃないか。



「だってわたし、あんたのこと……ゆうのこと、ずっと好きだったから……」



 瑞菜は潤む瞳を恥じらうように逸らしつつ、霞むような小さな声でその秘めたる想いを口にした。

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