第3話 ねえ、エッチ……しよ?

 視界が揺れた。焦点が定まらない。瑞菜みずなの顔が歪んでいく――――いや、違う。歪んでいくのは、周りの景色。


 瑞菜のことだけはなぜかはっきりと視認できた。それはむしろ、普段よりもずっと鮮明に。くっきりと。彼女のことしか目に入らないほどに。


 自然と彼女の胸元に、短いスカートに、目が惹きつけられそうになった。 


「なんだ、これ……」


 また、ゆるやかな眩暈を感じて額に手を当てる。


 俺はこんなに疲れていたんだろうか。けっこう走ったからな。運動不足の帰宅部高校生にはなかなか重労働だったのかもしれない。


 助けに来たつもりでこのザマなんて、本当に情けない。


「ゆう……大丈夫……?」


「――――っっ!?」


 心配そうにこちらを見つめる瑞菜の藍色の瞳と目が合った瞬間、心臓がドクンっと跳ねた。


(な、なんだこれ、……なんだこれなんだこれなんだこれ……っ!)


 返答の遅い俺に、瑞菜がさらにこてんと首を傾げるようにして俺の顔を覗き込んでくる。


 その顔から、瞳から、目が離せない。離したくない。


 さらっと揺れたピンクラベンダーの髪から香る匂いが、とてつもなく甘美なものに思えてくる。この香りをずっと嗅いでいたい。


 それほどの、これは……トキメキ? まるであの子に感じていたような……恋、みたいな。


 いや、違う。やっぱり違う。俺は自分の中に生まれそうになった何かを振り払う。これはもっと、別のものだ。


 これはもっと別の……生物としての本能とでも言うべき興奮。生物の根源とでも呼ぶべき原始的衝動。


 瑞菜に、触れたい。触れたい。触れたい。触れたい。触れたい。


 それからもっと、もっともっともっともっと……。


「ハア……ハア……ハア…………」



 俺は――――――――瀬川瑞菜を犯したい……っ!



「――――ぐっ……っ!?!!?」



 ふっざ……けるな……っ!


 唇を噛みちぎるくらいのつもりで思いきり引き結んだ。


 おい、どうなってんだよ、俺。


 俺は、純愛がしたいんだろう?


 たった一人の、好きになった女の子のためにこの人生を使いたいんだろう? 


 だったら、理性を手放すな。なに……幼馴染に発情してんだよ、童貞のクソ陰キャがっ。


 俺はここに、何をしに来た。俺は瀬川瑞菜を助けに来たんだ。



 ――――わたしと、エッチしてくれない?



 故郷に戻ってきてから、何度も聞いた彼女の言葉。


 違う。違う違う。

 彼女を犯すことが、正しいはずがない。そんなはずはないんだ。


 だから、この汚らわしい本能を理性で押さえつけろ。


 大丈夫、大丈夫だ。俺はまだ、いつもの俺でいられている。


「ほんとに大丈夫? ちょっと休む……?」


「あ、ああ……すまん。少しだけ……」


 少し休んだら、ちゃんと話を聞くから。ちゃんと、おまえを助けて見せるから。


 だから、今は少しだけ。この、バカみたいに湧いて出てきたこの場にふさわしくない衝動を押さえつけるだけの時間を……俺に……。




「気分はどう?」


 朦朧とする意識の中、リビングを移動し別の部屋にやってきた。


 ベッドがあるため、おそらくは寝室か、瑞菜の部屋なのではないかと思う。


「あは……わたしもちょっと、回ってきたかも。すごいね、これ」


 二人並んでベッドの端に座ると、瑞菜はヤケに熱い吐息をついた。その顔はほんのりと色づいていて、とても艶めかしく見える。


 それから瑞菜はベッドの中央に移ると、するすると制服を脱ぎ始めた。


「お、おま……何して……」


 やめろ。やめてくれ。


 それは洒落にならない。


 だから………っ!


 しかし俺の願いもむなしく、瑞菜は一糸まとわぬ姿となって俺を見つめる。


 そんな瑞菜の姿がとても綺麗で。白い肌が、こちらを見つめる彼女の藍色の瞳が、ひどく淫靡に思えてしまって。もう、今すぐにでもすべてを貪ってしまいたいという欲望が押さえつけられなくなりそうで。


「ねえ、エッチ……しよ?」


 その声が、魅力的としか思えなくなってしまった淫魔な誘いが。理性の深奥に溶けていく。


 でも、でも俺は……。


「わたしを……助けて……?」


「――――っっ……」


「きて……ゆう……」


 淡く微笑む瑞菜がゆっくりと、俺を迎え入れるかのように両手を広げる。


 その最後の一押しで、俺がギリギリで繋ぎとめていた一本の糸は切れてしまった。


 その欲望に塗れた手のひらを、幼馴染へ向けて伸ばす。


 そうだ。俺は瑞菜を助けに来たんだ。こんなことで助けられるというのならお安い御用さ。いくらでも抱いてやるに決まってる。



 理性を捨てた俺は欲望のままに瑞菜を、好きでもない幼馴染を抱いた。その性欲が果てるまで、何度も、何度も、幼馴染を抱いた。



 そこが、俺の思い描いていた純愛の、始まる前に訪れた終着点だったのかもしれない――――。


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