第2話 助けて。

 ――――助けて。


 瀬川瑞菜せがわみずなからそんなメッセージが俺の元へ届いたのは、日が沈んだ頃のことだった。


 それだけ見て、俺は家を飛び出した。


 連絡先を教えた覚えなんてないのに、とか。そんなことはどうでもよかった。


 好きじゃないとか。ビッチだという噂とか。そんなこともどうでもよかった。


 ただ、心配だったんだ。


 当たり前だろう? 

 ここ数年逢っていなくて、久しぶりに合ったら見違えるようになっていたとしても。疎遠になりつつあったとしても。何を考えているか分からなかったとしても。


 俺と瑞菜はなんだ。


 ほんの少しくらいの情はあって当然だ。


 助けを求められて、助けない道理などあるはずがないのだ。


 だから、走った。


 追加のメッセージで示された場所はとあるマンション。


 当然、俺が知っている瑞菜の家ではない。


 瑞菜が一人暮らしをしているなんて話も、聞いた事がない。


 つまりそのマンションは、瑞菜とは関わりのない場所のはずで。


 イヤな想像が脳裏をよぎる。


 そして十数分後。たどり着いたのはヤケに大きなマンションだった。金持ちが住んでそうな、そんなイメージを抱く佇まいだ。


 眺めるのもそこそこに、エントランスにあった機械でメッセージにあった部屋番号を呼び出す。


 すると扉が開き、俺はエレベーターに乗り込んだ。


「ふう……っ」


 エレベーターが動き出すと、思わず吐息が漏れた。


 ただでさえのっぴきならない状況と思われるメッセージ。それに加えて、入ったこともないマンション。エントランスを通るだけで心臓の音がうるさくて仕方なかった。


 しかし、戸惑っている暇もなかったのだ。


 もしかしたら、この先の部屋で瑞菜が大変な目に遭っているのかもしれないのだから。


 部屋の前までやってくると、俺はひとつ深呼吸をする。


 それから気を抜くと震えてしまいそうな指でゆっくりとインターホンを鳴らすと、「はーい」と聞き覚えのある声が聞こえ、扉が開かれた。


 その瞬間ピンクラベンダーの髪が視界をかすめ、あまり嗅いだことのない女性っぽい香りが鼻腔をくすぐる。


 吸い込まれそうなほどに深い、藍色の瞳と目が合った。


「いらっしゃい、ゆう。思ったよりずっと早かったね」


「は……?」


 にへらと少しだけへたくそな笑みを浮かべる、制服姿の幼馴染がそこにはいた。


 

 瑞菜によって通されたリビングっぽい部屋をぐるっと見渡す。


 綺麗で広くはあるものの、あまり生活感は見て取れなかった。まるで今日いきなりここに放り込まれたみたいな、そんな印象を受ける。


 玄関の靴を見た限り、今この部屋にいるのが俺と瑞菜だけであることも窺えた。ここ以外にもおそらく寝室などがあるのだろうが、物音もなく、人の気配は感じられない。


 ざっと見れるだけの状況確認を終えた後、俺はさっそく本題に入ることにした。


 少しだけ距離を空けて、居心地悪そうにこちらの様子を窺っていた瑞菜に向き直る。

 

「なあ、それで何が――――」


「――――と、ととととりあえずっっ!」


 さっそく本題に入ろうとすると、瑞菜は妙に落ち着かない慌てた声音でピンクラベンダーの髪を振り乱しながら俺の言葉を遮った。


「お、おおう……なんだ?」


「す、座りなよ……っ!」


「わ、わかった」


 必死に「ふんっ、ふんっ」と顎さし指さしソファーへと俺を促そうとする瑞菜に従って、俺は座った。


 もふっと、身体がソファーに柔らかく沈み込む。新品っぽい匂いといい、あまり使いこまれていないことがわかる。


 それから俺に倣うように、瑞菜も俺の向かいにあったソファーにちょこんと座った。


(やっぱりここは瑞菜の家というわけではないのか? それとも、引っ越しとか?)


 いや、とりあえずその疑問は後回しだ。まずはあのメッセージの真意を……。


「で、俺になん――――」


「――――た、たんさん!」


「は? タンさん? 誰? いや牛タンか?」


 そいつが諸悪の根源か!? その魔王を倒すべく呼びだされた勇者が俺なのか!?


「そ、そうじゃなくって! 炭酸! ジュース! 好きだったよね!?」


「え? ああ、炭酸、ね。炭酸。まあ、好きだけど……」


「じゃ、じゃあ入れるから! ちょっと待ってて!」


「お、おう」


 そう言ってキッチンの方へ行ってしまう瑞菜。どうやら飲み物を用意してくれるらしい。


 なんだかその様子は、ギャルビッチのそれとは思えなくて。昔の瑞菜を思い出すようだった。


 昔の、髪も染めておらず眼鏡をかけていた、いつも俺の後ろに引っ付いていた彼女の姿が脳裏によみがえる。



 今、俺と会話していた少女はどっちなんだ?


 ふと、そんな疑問が湧いてしまう。俺の知っている彼女と、知らない彼女がせめぎ合う。


「ほ、ほら、どうぞ?」


「……さんきゅ」


 手渡されたグラスの中身を喉に流し込む。


 走ってきたこともあって、喉はかなり乾いていた。


「うげ。なんだ、これ? 変な味だぞ?」


「え!? そ、そそそそうかな? わ、わたしは普通だけど!?」


「そうかぁ? 何のジュースだ? これ」


「な、何だったかなぁ~、よくわかんない。なんかあったやつ適当に!」


「そんなよくわからんもん出すなよ……。一応客なんじゃないのか……俺」


「い、いいでしょ別に! これしかなかったの!」


 文句を言いつつも、俺はその謎の飲み物を一気に飲み干した。喉の渇きには代えられまい。


 しかし、喉が潤うのと同時に熱くなるのを感じた。喉の奥がカッカしてくるとでもいうのだろうか。今までに飲んだことのない感覚だった。


 だんだん喉だけでなく、身体全体も熱くなってきてるような……。


「お、おかわりいる?」


「……まあ、一応もらうわ」


「うん。ど、どんどん飲んで!」


 それでも身体がまだまだ水分を欲しているのは事実で、俺はグラスを瑞菜に手渡す。


 それにしても、瑞菜はなぜこんなに挙動不審なんだ?


 まるで何かを隠しているかのような。まるで何か、俺に対して後ろめたいことでもあるような。そんな態度に思えた。


 やっぱり、あのメッセージ。それについて話しづらいことがあるからなのだろうか。


 俺は新しく注いでもらった謎のジュースをあらかた飲み干し、一息ついたところで両手で包んだグラスをちびちびと口に運ぶ瑞菜に目を向ける。


「で、そろそろ話してくれてもいいんじゃ――――」


「――――あ、見たいドラマが始まる時間だ! 見ないと!」


 パンっと、まるで今思い出したとでも言うように手を叩いてテレビのリモコンへと手を伸ばす瑞菜。


「おい。いい加減に――――」


 その瑞菜の態度にしびれを切らした俺はそれを止めようと少し腰を持ち上げ手を伸ばす――――が、


「って……あ……れ……?」


 俺の手は瑞菜の元まで届かず、空を切った。



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