異空間

ボーン

第1話

 ドドン!


 巨大な爆発。コンクリートが破壊されて、粉塵が舞い上がる。その影に紛れるように走る、一人の男がいた。


 男の名は玲。

 疲労と苦痛に顔を歪め、せかせかと酸素を肺に送りながら足を動かし続ける。冷たい空気が肺に入る度に、体が冷却されて体力がわずかに回復する。もはや腕をぶんぶんと振る余力はなさそうで、だらりと垂れて体の揺れに任せている。身に着けている服は破れ、一体どう着ればそんなに汚れるかというほどに汚い。

 

 この描写だけで、玲がどのくらい走り続けてきたか伝わるだろうか。冒頭の爆発が読者の想像を邪魔しているだろうが、ここは日本、丸の内である。

 爆発は東京駅で起きた。その威力は凄まじく、あの赤レンガ駅舎は一瞬で半壊して原型がわからないほどになった。でも大丈夫。人の気配は一切感じられない、まるで廃墟のような丸の内だから、怪我人はいない。この爆発で、追手は強力な兵器の持ち主であると再認識する。捕まったら最期。玲の逃げなければという気持ちが余計に増した。


 玲は丸一日逃げ続けている。その間、ほとんど休みなしだった。


 この街から人は消えていた。なぜかは不明。玲はただひたすら逃げ続けた。人がなぜ一人もいないのか、はじめは疑問に思っていたがそれどころではない。時に無人店舗から服や靴をいただいて着替え、追手の追跡をかく乱しようとした。あまり意味はなかったが。玲は体力に自信があった。それは、走ることは彼の得意分野だったからだ。

 玲はマラソン選手だった。と言っても、それを仕事にしているわけではない。あくまで趣味。かの有名な東京マラソンの市民ランナーなのである。オリンピック選手に選ばれるような記録は持ってないが、サブ4と呼ばれる、4時間を切るタイムは持っており、そこそこの中級者と言える。忙しい日々を送る中でも、3日に1日は近所の周りを走るようにしていたのだった。

 

 それではなぜ、玲は追われることになったのか。その話をする前に、彼の本職に触れなければならない。


 玲は都内の有名大学で働く、磁場に関する研究の第一人者であった。強磁場下での様々な物質の機能を研究していて、つまり、強い磁場の中で金属などの物性がどう変化するのかを調査して論文にまとめるのが彼の仕事だった。


 ある夜、玲は研究の息抜きに、いつものように外に走りに行った。年末のことだった。息が白くなる季節で、外は凍える寒さ。玲は研究室の暖房を付けっぱなしにして外へ出たのだった。

 1時間後、彼が戻ってくると、研究室は大変な騒ぎになっていた。同じフロアの教授や学生らが玲の部屋に集まっていたのだ。その理由は事情を聴くまでもなく、一目瞭然。玲の部屋の窓が粉々に砕け、室内は白い煙に包まれていたからだった。


 磁場を発生させる装置と近くに放置した物質、実験器具、さらには温度を上げた部屋という環境が予期せぬ化学反応を起こし、常識では理解しがたいことが起こっていたのだ。

 玲が部屋に入ると、空中に大きな白い丸が浮かんでいたのだ。白くて大きなそれは玲の体よりも一まわり大きい。

 彼はその丸いものに近づいた。しかしその表現は正確ではない。なぜなら、それは「もの」ではなかったからだ。玲が意を決してその白くて丸いものに触れようとすると、伸ばした指は奥へと吸い込まれていったのだ。

 それは、空間だった。白くて丸い空間。その円、というより、輪の中に別の空間が広がっていたのだ。


「異空間だ」


 玲は呟いた。その場にいた人はみな、目を疑った。でも、夢だ、とか、どんなトリックだ、などと言う者はいなかった。誰もがその光景を黙って見ていた。まるで、玲が行う神聖な儀式を見守っているかのようだった。


 言うまでもなく、これは世界で初めての現象だ。今まで玲がやってきたどんな研究をも凌駕する素晴らしいもの。でも残念ながら、よかったこれで論文が進む、とか、大金持ちになれるぞ、というような展開にはならない。

 玲はお金に無頓着であることもここで述べておこう。むしろ、この摩訶不思議な現象によって事態は悪化するのだった。ここから、この物語は急展開を迎える。


「みなさん、これ見て!」


 一人の学生が走ってきた。手にはスマートフォンを握っている。「やばいやばい。どうなってるのでしょうか」その学生はがっしりとした体格で、屋外でやるスポーツに励んでいるのであろう、日に焼けた茶の肌をしており、見た目は研究生というよりは体育会系の男子だった。その彼が、大きな目をさらに大きくして息を荒げているのだから、見ているこちらは何事かと不安になる。


「ええ、本当かこれは」

「合成じゃないだろうな」

「この建物って・・・この上空で起きてるじゃないか!」

「ニュースを見せろニュースを」


 その場の誰もが学生のスマートフォン画面を見て、ヒステリックな声を上げた。まるでSF映画の一コマだ。でも残念なことに、本当に今、外でSF映画のような事が起こっているのだった。それも、どちらかというとホラー寄りのSFだ。


「俺にも見せてくれ」


 玲は廊下の皆に言った。が、直後に大きな揺れが皆を襲った。大地震だった。皆が一斉に慌てふためく。でも、揺れ方がいつもの地震と違うことに玲は気づいた。小さくなったり、大きくなったりと、揺れに違和感があった。


「なんだ今のは」


突如、目の前が眩しく光ったかと思うと、世界が音を立てて崩れ始めた。廊下の奥から、天井が落下し、窓ガラスが割れ、床が沈み始めていた。


「ああああああああ」


 そして、学生や教授の叫び声がかき消されるほどの轟音。

 自分の頭上、部屋の天井も崩れ始めたのを察知した玲は、あたりを見渡し、直感的にさきほどの白くて丸い「異空間」に飛び込んだ。

 途端に騒がしい音が止んだ。


 

 *


 白い空間。玲は少しばかりそこでじっとしていた。そこは何もない、広い真っ白な空間だった。元の世界とここをつなぐ輪っかを通じて、向こうの世界から注ぐわずかな光がこちらを照らしている。そのために視界はよくないが、白い壁や床に囲まれていることと、何もないことだけはわかる。向こうの世界からの光が本当にわずかなことから、玲は停電が起きていると考えた。

 ここの世界のことも知りたいが、まず外に出なければ。スマートフォン画面を見た教授らが口々に叫んでいたのを思い出す。

 一体、何が起こっているのか。


「大丈夫かー?」


 外から人の声が聞こえた。救助隊か!

 玲は外に出た。そして、自分の部屋へと戻ってくると、廊下に出た。


「嘘だろ」この建物は大変なことになっていた。

 廊下は原型をとどめてなく、部屋の境界はなくなり、ひどい部分は床が崩れて下の階とつながっている。


「生存者はいるか?」


やはり聞こえる。瓦礫の破片でケガをしないよう注意しながら、玲は外へ出た。崩れた箇所を利用して滑り降りるように階下へと降りる。


 ガタッ。

 玲は自分の足音が思ったよりも響いて驚いた。しかし、驚くのはまだ早かった。顔を上げた先に広がった光景に、玲は声を上げそうになってしまった。

 数メートル先に一人の人物が立っていたのだ。

 見たこともないスーツに頭まで身を包んだその者は、大きな銃を構えて前方を向いていた。玲は慌てて傍の壁に隠れたが、時すでに遅し。音に気付いて向き直ったスーツの者は、玲めがけて発砲した。


ドドン!


 その想定外の威力に、壁が崩れ、床に亀裂が入った。そして、玲は落ちた。

舞い上がった埃やコンクリート片で視界が塞がれ、方向感覚を失った状態で、玲は何メートルか下へと放り出された。体のあちこちに激痛が走った。でも、幸い命に別状はなく、骨折といった大けがもなさそうだった。


 コツ、コツ、コツ。

 追手の足音が聞こえた。振り向きざまに撃ってきた相手に違いない。一刻も早くここを出ねば。玲はフラフラになりながらも立ち上がると、走り始めた。



 *


 ただひたすらに走る男がいた。その者の名は圭。玲の居場所はわかっている。圭は急いだ。白い息を吐きながら、余裕はないものの、負けてたまるかといった表情を浮かべて走った。

 

 圭は玲が好きで、嫌いだった。あの考え方、自信家なところが鼻についた。

二人が知り合ったのは高校生の頃。二人はあの頃から似ていて、正反対だった。

都内でも比較的裕福な家庭で育った圭と比較して、玲は貧しかった。詳しい話は圭は知らなかったが、孤児だったとは聞いている。養子として優しい父母に迎えられ、玲たち家族はつつましく暮らした。勉強とスポーツに熱心だった彼は、奨学金で高校に通い、陸上部では部長となってチームを引っ張った。

 一方で圭は、中学の成績表と取った資格で玲と同じ高校に入学。成績はそこそこ、スポーツでもパッとしなかったが、玲と同じクラスで同じ陸上部ということもあり、入学当初から二人は親友であり良きライバルだった。


 二人は仲が良く、いつも一緒にいたが、高校生活も終盤になり将来のことを考えるようになると、二人の間にやや亀裂が入り始めた。まず玲は物理や科学といった、いわゆる理系に興味を示し、都内の理系大学を志望。その道の記事や雑誌を読んでは、論理的な、理系的な思考に偏り始めた。

 一方の圭はというと、文学人の内面といった文系から入り、さらには超常現象や超能力といった非科学、オカルトに傾倒し始めたのだった。


 二人は真逆だった。玲は圭の考え方をきっぱりと否定した。二人で飲みに出かけた際にも、少しその手の話を持ち出すと、論文にあるのか、と全く聞き入れなかった。圭からすると、視野を広く持つことこそが大切なのだということだ。圭の考え方はもっともで、理系として可能性を潰すのはおかしい。圭はそんな玲が嫌だった。玲の考え方、世の中のすべては数式に置き換えられる、と聞くだけで気分が悪くなった。玲は、嘘は無駄なもの、数式の前ではただの邪魔者とも言った。圭は反発した。 この宇宙に広がる自然界のすべてを人間の視点でとらえて、人間の考え方に置き換えるというのはおかしい。地球の大きさに対する宇宙の広さがどれほどのものか、理系なら考えるだろ、と。


 人間がほかの生きものと違うのは何か。フィクションである。フィクションを生み出すことで、人類は進化してきた。今の世界を見よ。国家、政治、経済、お金、物語。すべてフィクションだ。人間が作り出して、そこにあるものとして扱ったものが、ひとりでに歩き出したようなもの。フィクションは真実に紛れていく。すると、そこで真実が生まれ、フィクションがあるからこそ、人間は成長し続けるのだ。真実があるからこそフィクションは生まれ、フィクションから真実は生まれるのだ。

 100年以上も前の人がこう言っているのを忘れたか。


「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」


 想像とフィクションは違うが、まあそういうことである。

 圭は、オカルト作家になっていた。



 過去を思い出しながらも、圭は足を止めなかった。もう呼吸が苦しい。心臓が締め付けられ、脇腹はえぐられるような痛みが続く。最寄り駅からの距離はわずか20分ほど。それでも、近頃走っていなかった圭にとってはしんどかった。

何の前触れもなく、空からとてつもない轟音が響いた。圭は思わず足を止めた。


「まさか・・・」


 近くを歩いていた若者が天空を指さした。寒空、どんよりとした雲から突如、それは現れた。巨大な銀の物体。形は、かつての日本に存在した、資料集で見たような戦艦に似ていた。圭の「まさか」は現実となった。オカルト誌で特集されていた、「宇宙船の奇襲」は現実となったのだ。


 某雑誌によると、といってもどこの誰がとった観測データを参考にしているかわからないが、数週間前から謎の飛行物体が地球に接近していたという。その高速移動の様子から、人類とは比べ物にならない高度な技術を持った生物だと一部で噂になっていた。

 気づいたか玲、フィクションから真実は生まれるとあれほど・・・

 そう言っても何も事態は好転しない。


 宇宙船は建物に着陸、ではなく不時着した。といっても、宇宙船に損傷はなさそうである。むしろ、建物は崩れていた。その建物とは・・・玲の勤める某大学である。

 圭は、まずいと思った。


 圭は再び走り出した。時間はない、というより手遅れになってしまったが。圭は、以前取材した某雑誌の編集部から、飛行物体に関する最新の情報を手に入れていた。遅れてしまっても、これを玲に届けたい。人の専門に口を挟むのは憎たらしいが、玲に伝われば、これを役立てて何かしらの対策を打てるかもしれないのだ。

 しかし、宇宙からの未知なる生物は容赦しなかった。


 地球上に、紫のビームが放たれた。

 一瞬の出来事だった。


 地球上のすべての人類が消えた。

 全世界のどこにいる人も消えた。

 服や帽子、スマートフォン、車、猫、犬だけがこの世に取り残された。


この宇宙からの使者の目的は、昔からフィクションで幾度となく記されてきた、「地球を支配すること」だった。

 詳しく言うと、他に大きな理由があるのだが、それは物語の最後に取っておくとする。何度も多くの人に語られてきた、あまりにもシンプルで野蛮な目的だが、その手段が人類を一瞬で消すことだと想像していた者はいただろうか。

 もちろん、圭も消えた。身に着けていた服と、手に持っていたファイルが、地面にパタッと落ちた。



 *


 東京駅を過ぎて、秋葉原を越え、上野まで来てしまった。人気のない都内を走り続けるのはとても違和感があった。玲が「異空間」に入っていたとき、地球で何が起こったか、玲は知らない。でも、それも考えていられない。自分が消えるのを防ぐには、逃げるしか方法はない。追手は玲だけが消えないことに不思議を感じつつも追っているはずだった。捕まったら終わる。


 追手の詳細はよくわからないが、エイリアンであることに間違いはない。たしか、圭が飲みの場でそんな話題を出していたような気はするが。圭と会って話を聞けば詳しいことがわかるのだろうか。そう考えてから玲はすぐに首を横に振った。オカルトマニアが具体的な対処法を用意しているとは考えづらい。未知なる存在の有無は彼らが語るが、一度認識されれば、あとは玲たちの出番である。


 ドドン!


 再び爆風を感じた玲はよろける。でも、すぐに追手の死角になりそうな場所へと移動した。追手の攻撃は激しく強力だ。しかしその逆手をとれば、瓦礫や粉塵の舞い上がった瞬間は、忍者が煙幕を使ったように相手からこちらの動きを隠せるため、逃げるのには好都合だ。


 玲はそのタイミングを見計らって、美術館内へと入った。そのまま地下へと逃げ込む。身を隠すところを探した。

 玲は少し休みたかった。さすがに走り続けて体はボロボロである。

外の爆発音が止まり、静かになった。玲は音をたてないよう慎重に動いた。どこか、いい場所はないか。

 そして、一つの部屋の扉のドアを開けて感じた違和感と、その正体に玲は愕然とした。


 白い部屋だった。深く言及しなくても伝わるであろう、あの空間だった。

玲はそっと足を踏み入れた。


 そこは倉庫だった。美術館だから、展示しきれない作品を飾るところである。電気を付けると、部屋は明るくなった。暗くてよく見えなかっただけだったのだ。奥に、大きな丸が浮かんでいた。今度は白くはなく、研究室のドアが見えた。

玲は「異空間」を作り出したのではなかった。瞬間移動するための穴を開いたのだった。


 なぜ研究室と美術館の倉庫をつないだのか、玲にはわからなかった。しかし、いつか数式で表して見せる、と彼は思った。と、そこからスーツの男が現れた。二人だった。手には銃を持っている。


「終わった」玲のそれはもはや声にはならなかった。疲労困憊でまともな反応ができない。すると、スーツの頭の部分がパカッと開いた。中から、男のヒトの顔が現れた。


「やっと見つけられたよ」


 ヒト型のエイリアンだった。人間とそっくりである。


「よくぞ、この世界で生き延びられたな、我が息子よ」


 玲は倒れた。もう逃げる気力はない。横になった状態で二人のスーツのエイリアンを見て、彼は自分が疲れで頭がおかしくなったのかと思った。朦朧とした頭で今の状況をぼんやりと考えた。


 そう、玲はエイリアンだった。宇宙から降ってきたのだった。川で拾われた彼は、見た目が人間そっくりだったために、孤児院に預けられたのだった。そしてエイリアンの目的は、自分の息子を探すことだった。息子を探すうえに地球を乗っ取ろうと考えたときに好都合だったのが、邪魔な人間を一瞬で消すビームを放つことだったのだ。


 玲はまさか自分が人間ではない、フィクションだとは気づかなかった。真実があるからこそ、フィクションが生まれるとは、このことかもしれない。

 

 フィクションか、玲は呟いた。

 

 


                                     (完)

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異空間 ボーン @tyler019

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