015『結局、博士のエゴじゃないですか』

 トラックは昼夜、移動してゆく。

 シンバシ、ヨコハマ、サガミハラ、ハコネ、イズ。

 何度ライブを繰り返しても、ニシキは負け続きだった。


 氷河期派  65349

 砂漠派   96532


 それが今日のライブでの結果である。

(ボクにしか持っていない力なんて、ある訳がない……)

 真夜中、ニシキはトラックの屋根に上って、雲の切れ間からのぞいた星空を眺めていた。


 もういい加減、疲れてしまったのかもしれない。

 ライブ配信の視聴者の数も、ニシキのファンも増えてはいる。けれど、コウへの投票数が圧倒的なのだ。

 コウの票数と比べれば、ニシキなんてたった六万人。ライブでも、コウへの歓声があまりにも大きいから、比べてつらくなってきてしまった。

 もちろん、ニシキにもコアな人気はあった。ライブでは必ず最前列で、ニシキに熱烈なアピールをしてくれるファンが存在する。


(けれど……それに何の意味があるんだろう)


 ニシキは膝を抱えてうずくまった。

 結局、いま、世界は砂漠なのだろう。

 どこかでそんな気がしていた。

 きっと世界が砂漠化しているから、観客はコウのパフォーマンスに励まされるのだ。砂漠のなかをどこまでも進んで行く曲に、花火の夜の熱を力強く歌った曲。どちらもきっと、砂漠になった世界に生きる人々の心を救うものだろう。

 ニシキの歌なんて、本当はもうそぐわないのだ。


(ボクは、アイドルになって、ほんとうに正解だったのかな)


 アイドルになったばかりの頃は、容姿端麗な自分こそ、この職業に向いていると思っていた。この道を選んだ自分を、心から誇りに思うことができた。

 けれどいまは、もう違う。

 人気を得ること。受け入れるパフォーマンスをすること。ファンが求めているものを考えること。自分というブランドを維持すること。そして勝つこと―その重要さを、知っている。

 だからこそ結果がすべてで、コウと比べれば、ニシキはアイドルに向いていなかった。


 もともとは、家族として造られた〈虚構体〉だ。

 博士は応援してくれたけれど、どこかできっと勘違いしていたのだ。

「あ……あれ」

 ニシキは自分でも驚いて目を見開く。

 膝から顔を上げれば、ホログラムでできた涙が、頬を伝って落ちていた。

 こんなの、博士が死んでしまったとき以来だ。

「はは……」

 おかしく思って笑った。

(どうして、ただのAIなのに……)

 博士はどんな意図があって、ニシキをこんな繊細な人格にプログラムしたのだろう。

 いつかも、そんなことを聞いた気がする。


『それは、まあ……情緒豊かなほうが、ニシキも楽しいかと思ったからだよ』

 脳裡でそっと遠い昔の声が聞こえた。

 そのときも博士は、困ったような笑みを浮かべていたのだ。

『……ボクを慰めているつもりですか。ボクは博士にボトルシップを壊されて、絶賛落ち込み中なのですが』

『慰めているつもりなんてない。ただ正直なことを言うとね、アタシにはたまたま才能があったから、誰よりも情緒豊かなAIを生み出すことができたんだ』

『結局、博士のエゴじゃないですか。あなたはいつもそうだ』

『うん。本当は、そうかもしれない』

 ―—ごめんね、と。

 博士はそう言って、ニシキの頭を撫でてくれた。


「……ボクには、才能なんてないです、博士」


 はじめから、別の誰かの家族として、第二の人生を踏み出せばよかったのだろうか。

 そうしてアイドルにもならず、自分の能力を生かせばよかったのだ。


『―—ボクはきっと、世界一有名な〈虚構体〉になってみせます』


 そんなことを言って、難しい夢なんか追いかけなければよかったのだ。

(『ボク』とは常に、『決めたことは必ず実行するモノ』なのに……)

 はじめて、後悔をしてしまった。

 ずっとこんなふうに後悔することが、こわかった。

 心に浮かんでも抑圧していた。

 けれどもう、自分のなかの後悔の存在に気づいてしまった。

 これからどうすればいいのだろう。


「……さん」


 もう、アイドルなんて辞めてしまうか。


「……キさん!」

 

 ふとそう思ったら、それが一番いい選択であるような気がした。

 ニシキは、もう氷河期の虚構なんて歌わない。

 明日からもう、歌わない。

(それがいい……)

 夜が明けたらきっとコウに、そのことをちゃんと伝えなければ……。


「ニシキさんっ‼」


 その声にようやく気づいて、ニシキは弾かれたように顔を上げた。

「へ……」

 見ると、銀髪の青年がこちらをまっすぐ見上げている。

 十八歳ぐらいだろうか。ダボダボの黒いジャケットを羽織っていて、少し長いえりあしが、白い首筋に沿って垂れていた。


「あ……あなたは、もしかして……」

「はい。俺はフジ・シェルターのクリストファー。―—全国ニシキファンクラブの会長、、です」


 ニシキは泣いていたことも忘れて、ぽかんと口を開けた。

 

 いつのまにか昇っていた太陽がニシキのことも銀世界のことも、たった今産み落としたかのように照らしていた。


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