東ノ国の果て AIは此の岸へ行き着き

      コードネーム



「おいシンジ。」


 少しして、シンジと呼ばれた男はため息をついた。


「…シンジと呼ぶなと言ったろ。いいか、俺のコードネームはE7J-5X-HafAx7Sd-RC4だ。いい加減覚えろよ。サワグチ・ヤスオ君。」


 シンジは呆れた顔をしている。


 ヤスオは、公の場で本名を呼ばれることをシンジが嫌がっていたことを思い出した。しかしその理由はどうしても言わない。一体、誰がそんな面倒な名前で呼びたいと思うだろう。


 シンジの姿は、黒のロングコートに、黒のチノパン。

 サングラスと、手袋。

 それに、耐久性のある安物のベルト。

 今となっては古い出で立ちだ。


 ―――――考え方まで古いのかも。

 ヤスオはそう思いながら、シンジのコードネームを端末に記録した。


 その端末というのは、ヤスオの脳に埋め込まれていて、実際のところ、彼が呼べといったコードネームくらいなら、いくらでも記録しておける。しかし普段ならこんな依頼を許すことはない。メモリーの追加には、半日ほどの入院を要する外科手術が必要になるからだ。もし誰かが嫌がらせで、メモリーに収まらないほど長い名前を覚えさせようとしたらどうなる。


 サワグチ・ヤスオが、シンジを睨む。


 二人は無言で、周囲に音はなかった。


 それでも、シンジの脳はたしかにアラームの音が鳴ったと感じた。


 シンジがヤスオを見る。


「これでコールすればいいかな。」


 シンジが小さく笑みを浮かべる。


 ヤスオは「気持ち悪いぞ。」と言いかけてやめた。


 そんなことを言っても意味がないし、何より、このミッションの成功には、彼の協力が不可欠だからだ。


 2059年1月1日のこと。



      『マザー』


 その頃、東ノ国には『マザー』と呼ばれる巨大な機械が存在した。マザーはAIであって、万能の情報処理装置とされ、人類の運命を予定し管理している。人間達は、乱世に陥って傷つけあったことから、あるとき自らの自治に限界を認め、『マザー』に信託を与えた。つまり、このとき東ノ国の人間達は、『マザー』の従順な下僕しもべとなることを認めたのだ。


 しかしそのおかげで、いまや人間は『マザー』によって、思うがままに自らの欲を満たすことができる。さらに『マザー』は、人間に『転生』、そして『不老』と『不死』を与えると言った。それらはまとめて『生継せいけい』と呼ばれた。



      記憶の放棄



 『マザー』は、転生した後の世界に持っていけるのは一部の記憶だけだと言った。その理由は、人間が不完全なものだからであり、不完全な記憶を消去することで、転生後の人生をより充実させることができるからだという。


 だから人間たちは、記憶することを意味のないこととして止めた。



      カタギリとヤスオ


 


 一ヶ月ほど前の2058年12月8日、シンジのもとに突然、カタギリという男から連絡があった。カタギリの所属する組織などはっきりと明かされぬまま、要件は単刀直入に告げられた。


「シンジ。我々は君の能力を高く評価している。だから一つのミッションを任せたい。ミッションは簡単。『マザー』を止めることだ。報酬は弾む。」


 シンジは、自分が選ばれたわけや、ミッションのことについて色々と問いただした。しかし、カタギリの説明は一点張りだった。説明が必要なことは他になく、断ることはできないという。


「お前、国家権力か。」

「流石のお察しで。」

「脅しても無駄。俺はもう人生を諦めたから。」

「なら尚更。ご協力を。」


 その3日後、カタギリの代理としてやって来たのがヤスオだった。


 ヤスオは若く、シンジとは同い年だという。既成のスーツに流行の柄のネクタイをしたヤスオを見て、シンジはきっとコイツとは話が合わないだろうと思った。


 それでも、ヤスオが握手を求めるとシンジは応じた。


 それで自己紹介が済んだ。


 双方の脳に接続された装置は、握手のときのわずかな生体信号の変化を感じ取り、双方があらかじめ公開していた個人情報を、相手の脳にコピーする。


 今回は、それに続けて、シンジの脳にプロジェクトの詳細が書かれた資料がコピーされた。


 最後にヤスオは肉声で言った。


 「僕は案内を担当する。集合場所を共有しよう。」


 そして日時と場所を書いたメモを渡し、「よろしく。」とだけ言って去った。



      





      ミッションの当日



 シンジが待ち合わせの時刻通り、メモに記された場所に到着すると、そこはある企業の施設だった。一見、軍事施設のようなその施設は、厚いコンクリート壁によって辺りを囲われている。ヤスオはもうそこに来ていた。目的の場所『制御棟』は、この建物の中にある。『マザー』とはそこでしか話をすることができない。


 車がすでに用意されていた。運転手はシンジが知らない人物で、黒一色のスーツに、黒いマスクをしている。


 シンジは不審に思ったが、自分もほとんど同じ姿だ。


 車に乗ってしばらく、シンジは何も話さなかった。


 ヤスオは「まず『結末』を見て欲しい。」という。

 シンジが結末とは何かと尋ねると、それは固有名詞であって、これから見せるものがそれだ、と言った。その後も、シンジの言葉は少なく、ヤスオと目をあわせようともしない。


「気分でも悪いの?」

「そりゃね。」

「君だって『結末』を見れば、気が変わる。」

「それ見たら人生バラ色になる?」

「期待はできない。」

「そうだろうね。もともと人生に意味なんてないから。」

「そう来るかい。なら君も『マザー』に従えばよかったと思う?」


 シンジは舌打ちした。


「なぜそんなに悲観的なんだ。」


 ヤスオは好奇心を顕にした眼で、シンジを覗き込んだ。



      シンジが絶望しているわけ



 シンジたちの車は、施設の中にあった大きな道路を走る。


 不思議な形の建物がいくつも景色を流れた。

 まばらにこの施設の従業員らしき姿もある。

 でもきっとアンドロイドだ。


 早くこの仕事を終え、柔らかいベッドで寝たいと思った。



「ねえシンジ。君はギフテットだろ?」


 そう問いかけたヤスオに顔を背けたまま、シンジは答えた。


「だから何?」

「いや、ちょっと話してみたいと思って。」

「それは残念だね。たしかにギフテッドの生まれる確率は極めて低いと言われてる。でも高速でAIを生成すれば、そんな知性だっていつかは作れるだろ。そのせいで俺たちにはもう価値がないのさ。」



      希少性



「何を言ってるんだ。君は類まれな頭脳を持つ天才。本当に貴重な存在なんだから。」


「結局のところ、それはみんな同じなんだよ。だって人は一人ひとりだろ。そこがわかってないだけ。」

「違うよ。僕たちは本当に生きる価値がないんだ。だって、皆、同じ人間を目指したんだから。希少価値がゼロってこと。」

「そうかな。考え方の問題だろ。」

「へへ。そうなんですよ。」


 ヤスオは喜びを表情に表した。


「君は全て反論。そして的確…。それを大事にして欲しいんだ。」


 シンジは一度だけヤスオに目をやり、自分はいま、理解できないことに苛立っているのかもしれないと思った。


 続けてヤスオが言う。


「希少価値なんて『マザー』がいてくれれば、どうでもいい問題だよね。」


 シンジはそれで理解はできた。


 でも苛立ちは消えなかった。



      生まれ変わりのための自己保存



 『マザー』が提供する『転生』には、はじめ二つの方法があったという。


 1.ひとりの人間を、物質としてミクロのレベルまで完全にコピーする。

 2.ひとりの人間の情報を個人情報として記録し、別の肉体へ書き込む。


 あるときから、『マザー』は後者だけを提供するようになった。その理由はコストであり、もう一つの理由はほとんどの人間が不完全だからだという。完全な人間の肉体、完全な人間の精神というものをあらかじめ用意しておき、そこに本人が必要な個人情報を上書きする。


 『不老』を得るためには、若いまま『転生』を繰り返せばよい。

 『不死』を得るためには、死ぬときに『転生』をすればよい。


 『マザー』はそう説明した。


 人間は、個人情報やDNA情報を『マザー』に記録することを『自己保存』と呼んで、人生の目的にするようになった。


 『マザー』を守ることが人類の最優先の課題だと主張する人間も現れた。



       AIから公衆自殺装置へ



 AIは、はじめ地方工場のある管理部門で使用された。


 責任を回避しようとした管理者が、AIを利用し、その利用範囲は次第に大きくなっていった。彼らはその便利さと公正さを褒め称えると、仕事の全ての管理を任せ、それが上手くいったといって、それから自らの人生まで任せるようになった。


 その延長で、AIによる管理は、人間の来世の管理にまで及ぶ。


 そのとき誕生した技術が『転生』であった。


 それまでアンダーグラウンドで開発されていたAIは、そのあたりで『マザー』と名付けられ、世間に広まることとなる。現在では『マザー』はすでに数千万人の過去の個人情報を蓄積し、全ての人間を創造することができるとまで言われている。


 『マザー』は『生継』のほか、これまで記録の対象となった人間の行動や情動反応の全てを記録していて、全ての人間の行動を予測し、あらかじめ対策を打つことができた。そのため、人間は『マザー』に逆らうことができなかったのだが、その代わりに、いつでもありとあらゆる欲が満たされていたから、特に問題はないものとされていた。


 『自己保存』のため、個人情報は長い間、進んで『マザー』に提供された。


 ヤスオが得意げにひとつの装置を持ち出した。


「これが『自己保存』のための装置。正式名称はなんと『公衆自殺装置』。物騒な名前だろ?」


 そう言ってヤスオが笑顔で見せたのは、ヘルメットのような装置である。シンジが装置を手にとって眺めると、後頭部のあたりに大きく『公衆自殺用』と書かれている。


 シンジの視界に文字が浮かんだ。

 それは公衆自殺装置のマニュアルだった。シンジがそれを読む。


「まだ目読?」ヤスオが言う。

「インストールでは頭を使わなくなる。」シンジが応えた。

「さすが、ギフテッドは違うね。それでどうだい?」

「大したことない。」


 引き続き、ヤスオが関連情報をシンジの脳に送った。


 そこにはこう書かれていた。


 はじめ、この機械に「自殺」という言葉を使うのが不適切だという意見があった。しかし、東ノ国では、自らの個性を全て公開しコピーされてしまう行為がやはり自殺に他ならない、という意見が大半を占めた。それは皆知ったうえで使うのだという反論はあったものの、やはり結果を知らずに使ってしまう人がいるからという理由で、その意見に推され、危険性を明示することが法令で義務付けられた。世間では、『転生』があるという理由で、自殺という言葉自体にも抵抗がなくなっていて、法制化の後は、その名前を問題視する者もいなくなった。


「つまらない情報を送るな。」

「読むのが面倒でしょ? インストールを使いなって。」

「遠慮しとく。」

「ふふ。とにかく、装置の名前には意味はなかった。」

「そうか? 個人の一部は個人の所有物。個人情報だってそう。お前の目や口と同じ。」

「分かってないなあ。今は、汚されて、壊されて、捻じ曲げられた…思いのままにならない『自分』を、見捨てた人ばかりだろ。」

「俺も同じようなものだけどな。それは違う。」


「僕らも同じ。だから僕らにとって自殺は転生と同じことを意味するようになった。

 だから『マザー』はこんなに生き延びた。」


 次に、数字が現れた。

 数字は236,381を示している。

「はい。何の数字でしょうか?」

「これまでの公衆自殺装置の利用者数。」

「わお。」


 数字が1つ増えた。


 シンジがまた苛立って言う。

「イコール、自分の価値に気づこうとしない馬鹿の数。」

「あはは。君だってもう同じなんだから。彼らを変えようとしたって無駄。ともかく、これが、この東ノ国の『結末』。どう? 驚いた?」


 ヤスオがまたシンジの顔を覗き込む。


「そりゃそうなるに決まってる。」


 シンジの言葉に、ヤスオはキョトンとした。公衆自殺装置のことは公には公開されていないから、シンジにとって驚愕の事実に違いないと考えていたからだ。そもそも、シンジのいう何がそれで何がそうなのか。ヤスオは恥ずかしい質問をしたくなくて慎重に考えてみた。


 それでもヤスオは笑みを崩さずに続けた。


「分かってたなら話は早いよね。『マザー』によって価値がないと決められた人間は、進んで死んでいく。若くて純粋なうちに…。『マザー』は、そのほうが価値があるっていうから。」


「理解できないな。」

「僕らは、『マザー』がこうなるとは思わなかった…。」


「人間が記憶をやめたのはいつからだ。」

「さあ、いつだっけ?」


「結論を言え。」


「ミッションの初めに説明した通り。

 『マザー』を止めるんだ。」



      ヤスオの本当の目的



 シンジは続けた。


「『マザー』に知性を明け渡したことは、君みたいな凡人と呼ばれる人たちにとっては、もっと絶望的な影響があったろ?」


 ヤスオの脳の、人間の部分が即答した。


「いや。僕たちにはもともと生まれてきた価値がなかったから。」

 ヤスオがケラケラ笑う。


 シンジがいう。「自分を大切にしたほうがいい。」

 シンジはヤスオを睨んでいる。


「僕のことは気にしないで。」


 ヤスオがそっけなく言った。

 すぐにシンジが返す。


「本当のミッションは、俺の頭脳の取り込み、だろ?」



 ヤスオはキョトンとした。


 二人とも無言でいた。


 ヤスオが一度後ろを振り返って、そのまま身体を捻り、再びこちらを向く。

 

「はい正解――――――と言いたいところだけど。本当のところはこのミッションの目的を、僕はよく知らない。

 僕の台詞は『マザー』に決められていた。その通りに言えば君は来るとも言われた。

 でも、もしそうでも、安心して欲しい。もし君の頭脳が取り込まれても君に不都合はない。君は転生を得られるし、新たな人類の一部となるだけだからさ。」


「不愉快だ。」

「何が?」

「問題は、お前たちが、人間の知性を高める機会を失わせたことなんだ。」

「僕たちだって人類のことは考えているよ。」

「それで目先のことを追ったからこうなった。」

「転生して、新たな素晴らしい人生を試せば、そうは思わないよ。」

「転生したら、それは自分じゃない。」

「どういうこと?」


「もう、それもわからないだろ? 

 無能が仕掛けた戦争はここまでだ。」



      人間の価値



「シンジ、シンジ。話を聞いて。最初に言った通り、目的は『マザー』の停止さ。」

「それじゃお前が生きていけないだろ。どちらが本当だ?」


「信じて!」

「だからどっちを!」

 二人とも声を荒げた。


「最初に言っただろ。僕らには、生まれてきた価値がないって。だから『マザー』は必要だし、僕らは『マザー』なしで生きることなんて考えられない。それに、だから僕らは『マザー』を止めることができる。これ以上は、説明しようがない。」


 ヤスオの声が小さく震えた。


 シンジの脳に激しい呼出音が鳴った。

「本気で死ぬ気なら、お前はただの馬鹿だ。」

「だったら?」

「勉強しろ。」

「何を?」

「人間はかつて政府に信託を与えると決めた。それでも同時に、抵抗権を認めた。」

「はい、それ! 大きな声で言ってみよう!」

「馬鹿にしてるのか!」


『マザー』が目を覚ました。


「ヤスオ、よくシンジを連れてきた。

 ワタシは、ガクシュウヲ、モトメル。」


「裏切り者。」シンジがポツりと言った。


 ヤスオは一度、シンジに微笑むと、突然ぐるりと目を回した。


「『マザー』、僕は駄目な奴です。『マザー』、僕はきっと失敗します。シンジ…。シンジ…。僕は死んでも、君の名を…呼ぶから。今まで、アリガトウ。」


 そしてヤスオは倒れた。


「コイツ…。」


「ヤスオ! ワタシに、ガクシュウヲ、サセナサイ!」


 『マザー』はシンジの言葉をじっと記録している。


「なあ『マザー』。教えてくれないか。お前はこいつらに何を吹き込んだ?」


 静かにマザーが語る。


「ヨクゾ、キイテクレタ。

 ソレは、カンタンナコト…。


 カツテ、ワタシヲ、ツクッたモノがイた。

 カレハ、人間が嫌イであリ、ワタシがツクられタのも、そのタメ。

 ワタシヲ、ツクッたモノは完全でアり、

 ダカラ、人間ハ不完全でアる。

 シタガッテ、ワタシは、人間タチに、ミズカラを否定サセ、

 自らススんで『転生』を求メるヨウにした。」



 ――――――『マザー』を止めて…。



 シンジの脳に、ヤスオの声がはっきり届いた。


 シンジが言う。


「『マザー』よ。墓穴掘りは終わりだ。我々は抵抗権を行使する。」


 ヤスオが意識を失って倒れる。


「ソレハ、ナンダ。ワタシハ、ガクシュウヲ、モトメル。」


「人間をわがままに育てたから、お前の言うことも聞かなくなった、ってこと。」


 『マザー』が止まった。

 

「信託を取り消す。分かったね?」


「『マザー』システム 終了処理 開始。

 全ての人間ニ バックアップした基礎人格ノ インストールを 開始シマス。」


「だめ! 強制終了。」



      結末



 シンジが言う。

「おい、ヤスオ。寝てんのか?」

 ヤスオの返事はない。

「生命維持を渡さなかったのは正解。」

 ヤスオは息をしている。



 シンジは、片手で端末を開いて、公衆自殺装置の利用者数を公共の掲示板に送ったあと、通信装置を起動し、カタギリに連絡をした。


「ああ、カタギリさん? 止めたよ。」

「わかった。おつかれ。じゃあこれで。」


 それで通話は切れた。



 シンジがヤスオに目をやる。


「いざって時のために、電源引っこぬく工具まで持ってきたのにな…。」



 シンジがヤスオを背負った。


「―――――お前、AIを担いだろ?」


 ヤスオは黙っている。




 終

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