美の女神の救済のとある日


「壁に穴がありまして…。」

「どこの?」

「8階のトイレです。しばらく前から、入り口の右手の壁に罅があったと報告しておりましたが、ここ何日か、壊れ方が激しいようなんです。」

「危険な状態なの?」

「見栄えの問題といえばそれまでですが…。」

「ふーん。わかった。後で確認しておく。報告ありがとう。」


 報告をうけた茂暮もぐれがそのトイレに向かうと、確かに壁のタイルに崩れている箇所がある。


————業者を呼ぶか…。軽微な壁の補修は基本サービスに入っていたと思うが…。電話は…明日になるか。


 茂暮がタイルを触ってみると、すぐに隣の一枚が剥がれ落ちた。


 壁の中が空洞になっている。


————どこもスカスカだな…。

 穴の中は埃で埋まっていた。


 その穴の中には、埃の下に埋まった金属のようなものが見える。


 茂暮は、階下の倉庫からおしぼりと割り箸を取り出し、また8階に戻ると、壁の穴からそれをつまみ出し、丁寧に拭いてみた。


————トイレに神様?


 それは仏像であった。金属でできているようで、所々に金色の光沢が見えるが、埃で汚れ、あちこちに細かい傷がついている。


————箔…ではなさそうだ。

 いつもは手際よく仕事を切り上げる茂暮が、その仏像を眺めてじっとしている。


 仏像は悲しげな表情をしていた。

 目の下には、一粒だけ、小さく光るものが付いている。


 おしぼりで拭いてみたがそれは取れなかった。


————仏像なんてよく知らんが、こうしてみると…、

    綺麗じゃないか。


 茂暮は、その仏像を回収袋にしまうと、トイレの電気を消して管理室に運んだ。


 1時間後。


 茂暮は、ビルの戸締りを確認してその日の夜勤を終えると、地下1階の裏口にある従業員用の出入り口を開けた。


 びゅう。強い風が吹き込む。

 天気予報では、氷点下になると言っていた。


 茂暮は厚手のジャンパーのポケットに両手を突っ込み、首を縮めて両肩を上げると、数メートル先にある地上へと続く階段に向かった。


 従業員に労災とかで騒がれたくないから、普段はこの階段では必ず電気をつけるように指示していた。しかしこのフロアはよく知っているからと、茂暮はポケットに手を入れたまま、足元が滑らないかを確かめて慎重に階段を上った。


 冷たい風が吹き込んだ。

 暗くて何も見えない。すぐそばの駐車場がいつもより遠く感じた。

————早く地下駐車場を作らせたい…。


 地上まであと数歩。


 目の前に人影があった。

 茂暮が顔を上げる。

「誰だ。」


 そこには人影があった。


 茂暮が身構えると、急に街灯の明かりが差して、人影が女だとわかった。


————あの仏像と似ている。

 茂暮はなぜかそう思った。


 女がぽつりと言った。


「あなたたちは、いけないことをした。」


——————————————————


その仏像は、その日のうち、美の女神が天界に運んだ。

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