第9話

 男の顔が、歪んだ。

「そうか――機はまだ熟していなかったんだね……」

 女の躯の内側から戻した手を、篩(ふる)う。


 その男の様子を見て、女は確信した。



 ――機はいよいよ熟した



と。


「まだ体内に不浄物が――汚物が残っていたとは……人間とはなんて醜い生き物なんだ」

 男は女の目に浮かんだ涙を見て、言った。

「早く君を無に……綺麗な――浄化した君と……早く一つになりたいよ」


 女は、待っていた。

 声を出すことも、動くことも――泣くことも、せずに。

 ただこの時をひたすらに、待っていた。


「僕は閃いたんだ。無の君と一つになる……それは、僕が君の中に入るのではなく、君を僕の中に入れてしまえばいい――と」

 男は女の躯から、降りた。

「それには体内の汚物を全て出し切って浄化しないとね」

 さらにベッドからも、降りた。

「あんなに水を飲ませ吐き出させ、枯らせてもなお、涙が未だ残るとは……」


 水を大量に飲まされ、吐き出し垂れ流し、全てを――躯も心も干からびさせる、男。

 女はいつしか、分かり始めた。



 ――私は泥鰌の如く、食される



 男と一つになるとは

 食べられた後、男の血となり肉となり

 永遠に無で合わさる――



 男はそう考えている、と。


「その涙が枯れるには、あと何日必要なのだろう。衰弱死してしまう前に――生ある時に血を抜かないと、生臭くなるらしいから……もうあまり待てないね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る