第8話 shooting coins その3

――ずっと、現実に興味がなかった。


――怪異も人間も、自分にとっては全てがどうでもよかった。


 メリーはコトリバコのことが嫌いだった。新入りのよそ者が気に食わないというのもあるが、人間や他の怪異に対して妙に熱い性格が気に入らなかったのだ。


――スマホの中の世界さえあればそれでよかった。怪異が人間を傷つけようが、人が何人死のうが、そこで起きたことに微塵も興味が湧かなかった。


 メリーは受肉してしばらくの間、同年代くらいの少女を狙って誘拐を繰り返した。都市伝説「メリーさんの電話」は、少女に捨てられた西洋人形が復讐のために何度も電話をかけながら戻ってくるというものだ。理性を失い暴走していたメリーは、本能的に持ち主を探そうとしてそのような行動を取っていたのだ。


――帰る場所が、欲しかったんだと思う。


 赤マント達に暴走を止められて、なし崩し的にロストマンズネットに入った。彼らの人助けごっこにも別段興味が湧かず、仕方なく移動手段としてチームでの役割を果たすようになった。


『ここにいるみんなを守らないといけないんです』


――そういうところが嫌いなのよ。どうして人間なんか守ろうとするの? そんなことに命を懸けるの? 意味が分からない。


 怪異にとってのアイデンティティはそれぞれ異なる。しかしコトリバコのそれはメリーから見ても常軌を逸しているように思えた。






 閃光と共に金属音が鳴り響き、狐狗狸さんの指先から10円玉が発射される。怪異のリソースをほぼ全て1枚に回し、指向性を一方向に絞って放ったものだ。弾丸を超える速度で飛翔したそれは酒井の額を容易く貫き、鮮血と脳漿が後ろへ飛び散る。




――――はずだった。


「え………………」


 酒井の前にはコトリバコが立っていた。

 その手に持った箱を掲げ、直線軌道で発射された10円玉を受け止めている。10円玉には酒井の頭部を貫くためのエネルギーがまだ残っており、ギャリギャリと音を立てて箱の表面を滑っていた。受け止める片手は細かく震え、額から汗が滴り落ちている。


「お前……どうして…………」


「ちょっと貴方、何考えてるの!? そいつはさっきこの男を殺そうとしたのよ!? 守る必要なんかないじゃない!」


 コトリバコは硬貨が放たれる瞬間、一瞬の判断で走り出し怪異の箱を使って酒井を守ったのだ。ここに来る前に自室で試した通り、この箱にはあらゆる衝撃に対する耐性がある。狐狗狸さんの全力を受けても壊れないという自信があったのだ。その代わり、受け止める自分の腕が大きな負担を受けることになってしまうのだが。


「酒井には、直人に謝って罪を償う時間が要る。ここで死んだら駄目なんだ」


 コトリバコは軋む左腕を振るって硬貨を弾き飛ばし、緩やかに口を開いた。


「簡単に結論を出せることじゃない。でも自分なりに、こうでありたいという目標は見つけられたと思います」


 驚いて目を丸くしている狐狗狸さんを見据え、コトリバコは言葉を続ける。


「都市伝説が人間に危害を加えることもある。人間が都市伝説と共謀して誰かに害を為すこともある。人間と怪異の間でちゃんとした折り合いをつけるのは難しいんだ。でも……それでも俺は、怪異と人間が笑い合って生きていける未来を信じたい!!」


 力強い眼差しでそう言い、手に持った箱を握りしめる。今はまだ、怪異の力というものは人間を傷付けるものだが、暴走を乗り越えて制御すれば人間を助けるものにもなり得る。全ての怪異が人間と協力できれば人間の生活はより豊かになり、怪異にも居場所ができる。そんな彼の願いが初めて明確に形を成した瞬間だった。


「ごちゃごちゃごちゃごちゃと……うるっさいわぁ。怪異が人間と仲良く? 何を言ってはるねんアホンダラ」


 狐狗狸さんは焦りながらも怒りを見せ、また周囲に10円玉を浮かべる。それを見たコトリバコがメリーに視線を合わせて指示を出す。


「メリーさん、4人を連れて逃げてください。こいつは俺が倒します。……俺を、信じてくれますか」


 メリーは言葉に詰まってしまった。決意に満ちたコトリバコの視線に気圧され、目を丸くしている。


「わ…………私は…………」


「せっかく怪異を制御できるようになったんです。守られてばかりじゃいられません」


 本気だ。

 怪異と人間の共生。あまりにも実現しがたい目標なのは分かっている。それでも、自分の力で世界を変えることができると確信している目だった。

 コトリバコの言葉によって感情が動かされ、メリーの中に言い様のない気持ちが湧いてくる。


「そう……そうね。貴方もなかなか、面白いこと言うじゃない」


 メリーは立ち上がり、スマホを出して怪異を発動した。酒井達4人とメリーの体が光に包まれる。


 コトリバコは狐狗狸さんに向かって走り出し、同時に怪異を発動する。床から伸びてきた腕が一瞬で狐狗狸さんの体を掴み、壁に叩きつける――のではなく、黒い影に覆われた壁に彼女は沈み込んでいく。

 影に潜ることで物質を透過できる怪異の性質を利用し、隣の教室へ追いやったのだ。壁に向かって走ったコトリバコも影になった壁をすり抜け、同じ教室へと移動する。


「続きをやろうか。ここでなら思いっきり動ける」


 狐狗狸さんの体は壁を通り抜けた後、さらに奥の壁にぶつかって止まっていた。

 コトリバコは床一面に影を広げて邪魔な椅子や机を飲み込むと、大量の腕を出現させる。


「ぐっ……はぁ。右肩の傷はどないしはったん? まさか、もうそんなに動けるわけ――」


 狐狗狸さんの目前に青黒い腕が殺到した。咄嗟に横に転がって回避したが、彼女がいた場所の後ろにあったロッカーがぐしゃぐしゃに破壊されている。


(速さも強さもさっきまでと比べ物にならへん! 感情の力で箱の呪いが増幅されて、怪異がパワーアップしてるんや……!)


 狐狗狸さんは負けじと10円玉を取り出し、教室内の空間全体を撫でるように飛ばした。腕がコトリバコの体を守るように広がり、飛んでくる硬貨を叩き落とす。


 コトリバコは感覚を研ぎ澄ませる。全力をもって相手を倒すという強い気持ち、つまりは勇気の感情が彼を奮い立たせていた。受肉した怪異の体は人間と異なり治りが早く、勇気によって痛みが薄れているため右肩を貫かれたダメージは大したものではない。


「お前の怪異の弱点は分かった。


 嵐のように吹き荒れる無数の硬貨が青黒い腕の手首を捉えた。2階での戦いでは問題なく切れていたはずが、腕は先程よりも硬くなっていて切断することができない。

 数枚の硬貨が落とされたところで狐狗狸さんは自分の手の指先に硬貨をセットし、酒井を狙った時ほどではないが周囲を飛び回る硬貨よりも速いスピードで発射する。

 それをコトリバコは腕達より遥かに硬い不壊の箱で受け止め、簡単に弾き返してしまった。


「同時に操る硬貨の枚数が多くなるほど、一つ一つの速度と精度は落ちる。複雑な動きより一直線の軌道の方がパワーを込めやすい」


 コトリバコが口にしたその性質は、彼の怪異にも当てはまることだった。怪異の使い方、力のリソースの割き方によって攻撃方法が変わる。自らの怪異について研究を重ねた彼だからこそ分かったことだ。


「そやかて、それが分かったところで何になるっちゅうねん。普通の速さで対処されるなら、もっと速くするだけや」


 狐狗狸さんは手元に10円玉を集めると、指先からの狙撃を連続で行う。速さに特化した方がコトリバコを倒しやすいと判断したのだ。

 それに対し、コトリバコは横に転がって回避する。椅子と机が消えて広くなった教室を駆け抜け、躱しきれない硬貨は箱を使って軌道を逸らしながら狐狗狸さんに近づいた。


「それを待ってたんやでぇ……!!」


 狐狗狸さんの体が硬貨に吸い込まれる。最初に現れた時に見せた憑依だ。

 彼女の怪異は硬貨が本人の近くにあるほど動かす速度と精度が上がる。これはコトリバコの怪異にはない特性だった。


 つまり、硬貨に憑依した今の狐狗狸さんは、怪異の力を最大限に発揮することができる。


「近い方が当たりやすい。当然のことや」


 狐狗狸さんが宿った10円玉が急激に加速、コトリバコの心臓を目掛けて飛び出す。

 その距離およそ1m。回避は間に合わない。

 これは当たる、と思った時、コトリバコの姿が一瞬にして掻き消えた。


「!?」


 空を切った10円玉の中から狐狗狸さんが出てくる。教室のどこを見渡しても、コトリバコの姿はない。唯一、彼のスマホだけが床に落ちているのを見つけたとき、真後ろから突然声がする。


「私メリーさん。……今、あなたの後ろにいるの」


 振り向こうとした狐狗狸さんの首を、いつの間にか背後に立っていたメリーが掴んだ。そのまま羽交い絞めにし、身動きを取れなくする。


「メリーさん、助けに来てくれたんですね」


 床に落ちていたスマホからコトリバコが姿を現して言う。

 狐狗狸さんの攻撃の直前、怪異を使ったメリーはコトリバコのスマホだけを残して彼を離脱させた。そして攻撃が終わったタイミングで現れて不意をついたというわけだ。


「少しだけ力を貸してあげるわ。感謝しなさいよ」


「ありがたいんですが、こいつに拘束は無意味です!」


 メリーに羽交い絞めにされた狐狗狸さんは暴れもせず、硬貨に憑依することで抜け出してしまった。危険を感じたメリーはすかさず距離を取る。


「うぅ、一人増えたから何や……! どうせスピードでは上回られへんくせに!」


 狐狗狸さんは10円玉に憑依した状態で他の硬貨を操り、教室全体を飛び回らせる。コトリバコはすかさず床から無数の腕を出し、メリーと自分を守るように取り囲ませて飛んでくる硬貨を弾いた。


「飛んでいる中のどれかが本体です。特に動きが速いのを見つけて叩くしかないですね」


「了解。私がサポートするから、死ぬ気で合わせてよね」


 コトリバコは頷き、守りに徹していた腕達を教室中に開放する。防御ががら空きになった2人に目掛けて10円玉が何枚も飛んでくるものの、その動きを見切って怪異を発動したメリーがコトリバコとの位置を入れ替える。


 メリーがいた位置にコトリバコが、コトリバコがいた位置にメリーが来たことによって体格差で狙いがズレる。スレスレで10円玉を躱したコトリバコは怪異の腕を操って10円玉を床に叩き落とした。

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