第3話 老耄疾駆 その1
2人がいたのは住居棟のある部屋の前だった。部屋番号を見て誰の部屋だったか思い出そうとしていると、赤マントがドアを叩く。
「メリー、仕事だ。起きてるか?」
しばらく待っているとガチャリとドアが開き、眠そうなメリーが姿を現した。
「早くない? いつもこんな時間に出ないでしょ……」
「兵庫まで頼む。具体的な目撃情報があったのはここだ」
赤マントはスマホで地図を見せ、兵庫県のとある町を拡大して示す。
「3人送ればいいのね? じゃあさっさとやるから動かないで」
「ん? 『送る』……? うわあああっ!?」
彼らのやり取りを疑問に思いながら見ていたコトリバコだが、突然地面がなくなったような感覚を受けて転びそうになる。見るとメリーのスマホからは光が放たれ、コトリバコたち3人の身体を包み込んでいる。
「怪異『メリーさんの電話』」
メリーがそう呟くと同時にコトリバコたち3人の身体は宙に浮かび、メリーのスマホへと吸い込まれていく。
「えっちょっ何これ……!? 聞いてないんですけど!? うわああああああ!!」
自分の身体と世界の境界が曖昧になり、非物質化する工程を彼は味わうことになる。気が付くと彼らがいたのは光でできた通路のような空間で、そこが現実ではないとすぐに認識することができた。
「これがメリーの怪異だ。電話やインターネットの回線を通じて、端末から端末へとワープする。俺達が今通っているのはネットの中の電脳空間だな」
コトリバコは自分の身体が宙に浮かび、しかも高速で前進していることに気が付く。周囲では無数の0と1の数字が後方へと流れていっている。
「そろそろ着く頃か。出たら着地には気を付けるんだよ」
口裂け女の言葉通り、前方には白い光が見え始めてどんどん大きくなっていく。眩しさに手で顔を隠し、全身が強い光に包まれたとき、コトリバコは体に風が当たるのを感じた。慌てて目を開けると彼は空中に投げ出された状態で、体勢を立て直す間もなく地面に落下した。
「痛った…………」
起き上がって周囲を見渡すと、赤マントと口裂け女は綺麗に着地を決めたところだった。彼らの後ろには公衆電話が設置されており、先程はそこから出てきたのだと理解する。
「だから言ったのに。大丈夫かい?」
「はい、なんとか。できればもっと事前に説明してほしいですが……」
改めて周りを見てみると普通の住宅街だ。ふと電柱に目を向けるとそこには兵庫県の地名が確かに記載されていて、自分が本当に電話を通って移動したことを知る。
「さて、観光はしないで仕事だよ。目撃情報があった怪異についてもう一度聞こうかい」
「兵庫県神戸市の各地で老人がいきなり現れて、気付いたら消えているという報告が出ている。最後に目撃情報があったのがこの周辺だ」
赤マントの説明に、口裂け女は顎に手を当てて黙考する。何か思い当たる節があるようだった。
「老人そのものが怪異ではなく、何らかの空間接続のような特性を持った怪異が老人をターゲットにしている可能性もある。とにかくまずは手がかりを集めなければ始まらないからな、手分けして探すぞ」
「本当に見つかりますかね?」
「お前に仕事を教えるためとは言え、本当なら1人派遣すれば十分なベテランの相談員が2人も揃ってるんだ。必ず見つけ出す」
赤マントの自信に満ちた言葉にコトリバコも少しだけ安心した。実際この2人ならすぐに調査を終わらせてしまいそうな実力があると感じていたのだ。
調査の手順としてはまず二手に分かれ、情報提供者に直接話を聞きつつ目撃情報があった場所を順に調査する。何か新たな発見があれば共有し、必要によって合流するということだ。コトリバコは口裂け女に同行し、3人の調査が始まった。
2人が調査を始めてからおよそ4時間後。結局目ぼしい手がかりは見つからず、陽は既に高く昇ってしまっている。
「つ、疲れました……もうお昼時ですよ、そろそろ休憩しませんか」
老人が集まるような場所を探してみたり、目撃情報があった場所の周辺で聞き込みを行ったりもしたが、失踪者のようなものは1人もいなかった。
「そうだねぇ。このスーパーで何か買って食べようか」
今は特に目的地を決めず歩いていたところだった。その日は休日ということもあってそこそこ客は入っているようだ。
口裂け女は先に歩いてスーパーへ入っていく。コトリバコもついていこうとしたその時だった。
(……ん?)
コトリバコの視界の端で、何かが消えたような気がしたのだ。
ほんの少しの違和感。だが見過ごせなかった。
何故なら、今消えた何かが老人の後ろ姿だったからだ。
「っ……口裂けさん! こっちに!!」
老人がいた方へ走り、スーパーの裏手へ回り込む。コトリバコの声を聞いた口裂け女もすぐに駆けつけた。
「どうした!?」
「多分お爺さんだと思うんですけど、今何か消え……あっ!?」
コトリバコが前方に目をやると、降りたシャッターの前に1人の老爺が佇んでいる。老爺は振り返って2人を見る。黒く濁った虚ろな目が不気味に動いた。
「まさか……!!」
老爺は2人に背を向けると、その上体を前傾させる。前後に開いた足が地面を蹴った瞬間、一陣の風が吹き老爺の姿は消えた。
「アイツだ……アイツが怪異だ! よくやったねアンタ、今すぐ追いかけるよ!!」
突然の出来事にコトリバコは困惑したままだが、何が起きたかは理解する。あの老人は消えたように見えたが、その真実は走るのが速すぎてそう見えていたということだった。
「私の腕、いや脚の見せ所だね。怪異『口裂け女』!!」
口裂け女はマスクを外し、クラウチングスタートの体勢を取る。地面を蹴って走り出すとアスファルトが砕け、後方まで伝わった衝撃がコトリバコの身体をよろめかせた。
「いやちょっ速……追いつけないんだけど!」
異次元のスピードを持ち合わせていないコトリバコは、2人が走っていった方向へやみくもに進んでいくしかなかった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……! 待ちな! くっ……!!」
全速力で走る口裂け女。前方には先程の老人が走り続ける姿が見えるが、距離は縮まるどころか開き続けている。
(いくらなんでも速すぎる! 間違いない、あの怪異は音速の老骨・マッハジジイ! どうやって追いつけって言うのさ……!)
マッハジジイはその名の通り、音速に近い速度で走ることができる。口裂け女ほどの速さ自慢でも100m3秒ほどが基礎スペックであり、本気を出してやっと新幹線に並ぶかといったスピードである。マッハジジイの亜音速とは3倍近い開きがあるのだ。もちろんそこまでのスピードで動けば体がただでは済まないため仮定の話である。
辛うじて見失わない程度にはついていけているが、どれだけ足を動かそうとも追いつくことはできない。追いつけるはずがない。
(動け、もっと動け私の足! 速さが私のアイデンティティだろ……! それさえ無くなったら、私は――)
『美しくないうえに弱いなんて、本当に女として無価値ね。惨めな出来損ないだわ』
走り続ける口裂け女の脳内で、仇敵の言葉が思い出される。ねっとりと嫌な感触で耳に絡みつくそれは未だに彼女にとっての呪縛となり、頭に響き続けていた。
(違う、違う! このままじゃ何も証明できない! あれだけ鍛えて、あれだけ強くなったのに……速さで負けたら、怪異として誇れることが何もなくなる!!)
息も絶え絶えに、ただひたすら遥か先の相手を追い続ける。もはや走るフォームも形になっていない。スピードに体が耐えられない領域に入ったのだ。
「あれ、力…………入、らな…………」
足がもつれ、姿勢を崩す。トップスピードで転べば当然ただでは済まなくなる。受け身をとって最低限のダメージ軽減を試みるが、地面に投げ出された口裂け女の身体は数十メートルの距離を転がり、電柱にぶつかって停止した。
口裂け女の怪異発動中は体も頑丈になるため命こそ助かったが、彼女はその場で気絶することとなったのだった。
「………………おい! おい!! 大丈夫か!!」
「口裂けさん、大丈夫ですか!? ひどい怪我だ……!」
赤マントとコトリバコは地面に倒れた口裂け女の体を揺する。コトリバコは口裂け女に置いていかれた後、赤マントと合流してここまで追ってきたのだ。一般人の目に触れないよう市街地での戦闘は避けたいところだったが、今回ばかりは仕方が無い。
「う…………」
口裂け女は苦しそうに唸り声をあげながら目を覚ます。口の端からは血が流れ、脚にも怪我をしているようだった。周囲には崩れたコンクリートや石垣の欠片が散乱している。
「……すまないね。私のせいで取り逃がしてしまった。私がもっと速く、もっと強ければ……」
口裂け女は手を強く握り、地面を叩く。悔しさに涙を浮かべるその姿が普段の大人の女性としての振る舞いとは対称的で、コトリバコには年若い少女のように見えた。
「お前が強くなるために誰よりも頑張ってるのは知ってる。お前のせいじゃない。怪異は見つかったんだから、これから捕まえる方策を立てればいい」
口裂け女は俯いたまま数秒間動かなくなり、腹を括ったような顔をすると電柱にもたれかかって座った。
「上には上がいる、って感じだったね。まずあの怪異の正体はマッハジジイだ。ありゃどう見ても暴走してたね、とにかく音速で走るのだけが脅威だ」
「マッハジジイ、となると……そいつはもしかして」
「ああ。明日私はアレに会ってくるよ」
2人の会話の内容を、またしてもコトリバコは理解できない。教えてもらおうと思ったが、まずは口裂け女の怪我が心配だった。
「お前は先に拠点に戻って休んでろ。マッハジジイは俺達が追う」
「分かった。……大丈夫、これくらいの怪我はすぐに治るさ」
コトリバコに向かってそう言うと、口裂け女はスマホを取り出してメリーに連絡する。少ししてスマホが光り出したかと思うと口裂け女の体は端末に吸い込まれ、やがて端末自体も光の中に消える。怪異って便利だな、とコトリバコは思った。
「行くぞコトリバコ。俺達にスピードはないが、作戦でカバーすることはできる。2人で挟み撃ちでもすれば捕まえられるかもな」
赤マントはマッハジジイが逃げた方向を確認し、コトリバコを背に歩いていく。
「赤マントさん、俺も怪異を使ってみます。うまくできるかは分からないですが、
怪異として自分が出来ることは何かって思って……少しでも役に立てるなら」
マッハジジイに追いつけなかった口裂け女の顔が思い出される。彼らにとって自分を象徴するものである怪異は極めて重要であり、それを否定されることは何よりも怖いことだ。敵を討つというわけではないが、口裂け女が怪異を使って追いつけなかった相手を自分が怪異を使って倒したいと思ったのだ。
「ああ。次に奴を見つけたらやってみよう」
2人は再び標的を探して歩き始めた。
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