第4話 老耄疾駆 その2

 しばらく市中を探しまわった2人は、マッハジジイが山間部に逃げ込んだという情報を入手した。山を上がっていく道路に入って歩いていると、爆速で斜面を駆け上がるマッハジジイを発見する。


「いました!」


「追いかけるぞ!」


 赤マントは羽織っているマントを翻らせると、その一端をワイヤーのように変形させて山の上の方に生えている木の枝に向かって飛ばす。マントから血の糸のような線が出て枝に巻き付く形になり、赤マントの身体は引っ張られるようにして上方へ飛んでいく。


「先回りして迎え撃つ! お前も後ろから追いつけ!」


 怪異を使った変則的な移動により、赤マントは山道を大幅にショートカットして進んだ。コトリバコがいる地点から先はカーブになっていてマッハジジイは速度を落とす必要があるため、挟んで叩くならここだと判断したのだ。

 赤マントの指示を受けコトリバコは走り出す。赤マントが追い付かれるより先に自分が追い付かなければならない。いざとなったら怪異を使うことになる。

 責任が伴う仕事だった。



 地獄のような坂道ダッシュに全身で悲鳴を上げながら、コトリバコはマッハジジイの姿を視界に捉えた。しかしその先には赤マントの姿もあり、もうすぐで追い越されそうになっている。赤マントはコトリバコが走ってくるのを見ると、タイミングを計るように息をついて怪異を発動した。


「怪異『怪人赤マント』」


 赤マントが着ているマントの表面から、先程と同じように血の筋が伸びる。体の前に流れてきた赤い奔流が一本の棒を形作り、さらにその先端に鋭い刃を形成した。

 液体状に変化していたマントが再び固形化すると、背中のマントと同じく真っ赤な色をした大鎌がその手の中に完成した。

 液状に変形させたマントから様々な武器を生み出す、それが赤マントの怪異だった。


「止まれやオラァ!」


 大鎌を構えた赤マントが飛翔し、前方から突っ込んでくるマッハジジイに刃の外側を当てる。激しい衝撃とともに後ろへ吹き飛ばされそうになるが、腕に力を込めて全力で耐える。後ろから追いつこうとしているコトリバコの時間を稼ぐためだ。

 通すまいと赤い大鎌を叩きつけ、後ろへ転がるマッハジジイを見てニヤリと笑った。


 その時、コトリバコの後方から山道を走ってくる車の音が聞こえた。このまま戦いを見られるのは避けたいが、マッハジジイを逃がすわけにもいかないのでコトリバコはマッハジジイに狙いを定め怪異を使おうとする。

 すると、赤マントとコトリバコのちょうど真ん中あたりの位置に倒れていたマッハジジイが起き上がり、コトリバコの方へと走ってきた。


「今だ! 怪異で拘束しろ!!」


 マッハジジイはコトリバコの横を通り過ぎ、山道を上がってきた車を飛び越えていこうとする。コトリバコは指示通り怪異を使おうと、両手を前に突き出して強く念じた。


「ううっ……! あいつを捕まえろ……!」


 地面に黒い淀みのようなものが広がり、何本もの青黒い腕がおぞましい動きをしながら現れる。その腕は逃げようとするマッハジジイに向かって伸びていき、



――突っ込んできた車を縛り上げた。



「………………!?」


 予想外の出来事に体が凍り付く。腕は車の全体に絡みつき、怪物的な力でその車体を持ち上げている。運転席の男はいきなり車が浮き上がったことに動転して気を失ってしまった。


「おい何やってる! ジジイを拘束しろと言ったんだ!!」


「なんで……こんな、はずじゃ」


 拘束を免れたマッハジジイはそのまま走り去っていく。追いかけたくても縛られた車を放っていくわけにいかず、結局マッハジジイには逃げられてしまった。


「俺のせいで……俺が怪異を制御できなかったから」

 

 コトリバコは自分の責任でマッハジジイを逃がしただけでなく、再び人間を傷つけてしまったことに何よりも心を痛めていた。これでは何も変わらない。怪異の力で人間を助けることなどできない。

 赤マントがコトリバコの頬を平手で叩くと怪異は解除され、車は地面へ降りた。


「クソッ……おい、大丈夫か!?」


「すみません、本当にすみません……! ちゃんと制御できればこんな事には……!!」


 地面に蹲り嗚咽をあげるコトリバコ。赤マントは彼の背中に優しく手を置いた。


「気にするな、初めては上手く使えない時もある。わざとやったんじゃないんだろ」


 コトリバコは悔しさに歯噛みし、拳を強く握り締める。赤マントは今日の調査を切り上げることにし、コトリバコを連れて拠点へ帰った。




 




 翌日、寝覚めの悪い朝を迎えたコトリバコは集会室で口裂け女を見かけた。


「怪我はもう大丈夫なんですか?」


「ああ、まだあまり無理はできないけど普通に動く分には問題ないよ」


 怪異の身体は人間よりも治りが早い。とりわけタフな肉体を持つ口裂け女であれば尚更だ。


「今日は赤マントは別の仕事に行ってて調査に来れない。だからちょっと別の場所に行こうと思っててねぇ」


「そういえば、昨日何か言ってましたね。何処に行くんですか?」


「マッハジジイに対抗しうる手立てがあったんだよ。今日はに会いにいく」




 2人が歩いて向かったのは、町中にある白い外壁の建物だった。拠点からはそう遠くなく、とても物騒な場所には見えない。それはこの建物の名前を見れば明らかだった。


「……老人ホーム?」


「マッハジジイの対策を話す前に、都市伝説のある特徴について話そうか。もともと怪異や都市伝説というのは口伝で広まることが多くてねぇ、人から人へ伝わるうちに設定を付け足されたり、話の細部が変わったりすることがあるんだよ」


 口裂け女はべっこう飴やポマードが嫌い、というのもそうだ。怪異の軸となる部分には全く関係ないのに、後から付け足されたのが広まってメジャーな設定になっている部分である。ちなみに、この口裂け女は別にべっこう飴やポマードが嫌いなわけではない。


「全国各地に目撃例がある怪異は、話が伝わる場所によって似ているけどどこか違う部分がある。名前は違うけど元は同じと考えられる怪異はたくさんいるよ。マッハジジイもいわゆる『派生』の一つなのさ」


 コトリバコもなんとなく理解する。ネットが発達した今と違い、ふるい怪異は要素だけ残ったまま変わっていくということだ。


「実は、マッハジジイによく似た怪異を私達はよく知っている。それどころか、既に一度捕まえてるんだよねぇ」


「えっ?」


「マッハババア。マッハジジイと対を為す、音速で走る老婆の怪異だ。全く驚いたよ、一度出会った怪異の派生が新しく現れるなんてのはなかなか見ないことだったからねぇ。まあ納得も行くってもんだ、何しろマッハババアは日本で一番別名が多いとも言われる怪異でさ」


 コトリバコは驚くと同時に合点した。マッハジジイの話を聞いた口裂け女が何か考えているようだったのは、既に類似の怪異と出会っていたからだった。


「よく言われるものと言えばジェットババア、100キロババア、ターボババア、ダッシュババア、光速ババア、ハイパーばあちゃん……どれも車を追い抜いて走る老婆という点で共通してる。それのジジイのバージョンがちょうど今回のマッハジジイというわけだ」


 名前が違っても性質がほとんど同じ場合、基本的には同一の怪異として見做されるものだ。ジジイかババアかという違いはあるが、怪異としてはほとんど同じであるはずの彼らが同時に受肉していることに、彼女は少し疑問を感じていた。


「とにかく、そのマッハババアがこの施設に入ってるんだよ。ババアの力を借りられればジジイを倒すのも楽になるかと思ったんだけど、まあ望みは薄いだろうねぇ」


 コトリバコはマッハババアのことを詳しく聞こうとしたが、入れば分かるといって彼女は先に進んでいってしまう。施設の職員に入居者の親族であると偽って入り、マッハババアの部屋へと案内してもらった。


松波まつなみさーん、お孫さんがいらっしゃいましたよ」


(松波で『マッハ』なのか……)


 清潔感のある部屋で車椅子に乗り、陽光が差し込む窓の外を眺める老婆がいた。彼女はにっこりとした笑顔を向け、どこか安定せずふわふわとした口調で語りかけてくる。


「おやおや、これはまあ。よく来てくださいましたね」


「久しぶりだね婆さん。私のこと覚えてるかい?」


「あなたはあれでしょう? あの、テレビに出てる……」


「テレビには出てないよ。……とまあ、こんな感じで頭もボケちゃってるのさ。見ての通り足も悪いから、前みたいに音速で走ったりはできない。せっかくの怪異が完全に宝の持ち腐れだ」


 マッハババアはそうですねぇ、などと要領を得ない相槌を繰り返す。見た目は普通のお婆さんと何も変わらないが、本当に音速で走ることができたのだろうかとコトリバコは疑問に思う。


「マッハババアの暴走を止めて正気に戻したときはこんなじゃなかったんだよ。それが段々と弱ってきて、記憶があやふやになった。本当の認知症もこんな感じなんだろうね」


 何と返したらよいか分からず、コトリバコは黙ってしまう。怪異に寿命はないはずだが、彼女がこの先弱り続けたらどうなるのか。恐らくは怪異を使うこともできずに、体は動かせないまま永遠に生き続けるのだろう。


「何か……理由はあるんでしょうか。マッハババアさんを元の健康な状態にする方法があるなら……」


「残念だけどまだ何も分かってない。私達の力だけで解明するには、怪異というものは謎が多すぎる。一つだけ言えることがあるとすれば……私達の体に滅びがないなら、私達都市伝説にとっての死とは……誰からも忘れ去られることだよ」


 口裂け女は寂しそうな表情で言う。元は架空の存在でも、そこにあるのは確かな命だ。決して失われてはならない。


「それでだ婆さん、今日来たのはある怪異の調査に協力してほしいからなんだけどね。この前からマッハジジイの発見報告が出ていて、アンタが何か知らないか聞いてみたいと思ったのさ」


「那覇シティ?」


 マッハババアは首を傾げ、純粋な目で聞き返す。口裂け女は分かりやすく頭を抱え、その後も何度か意思疎通を図ったが結局無意味だったので大人しく引き返すこととなった。


「まあ、これならしょうがない。マッハジジイは私達で捕まえよう。婆さんも元気にしててな、また今度来るから」


「ありがとうねぇ、テレビで頑張ってね」


 笑顔で手を振るマッハババアに、コトリバコたちは微妙な顔で手を振り返したのだった。








 その日の夜――。

 開いた窓から月を見上げ、マッハババアは何か運命的な力を感じていた。

 風が吹き込んでカーテンが揺れる。夜の匂いがもう動かなくなった両足を撫でる。

 月の向こうに、忘れてしまった何かがあるような気がした。



「お爺さん……?」





 翌朝、マッハババアは姿を消していた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る