第16話 北へ。

 北へ。


 馬車は北に、ひたすら北に進む。


 目の前に見えるは荒野。遠くに見える山脈は白く雪がかかっている。

 幌馬車はダイトウのツテで入手した。一刻も早くと焦るセリーヌであったが、状況的にジルの龍化に頼ることもできなかった。

 相手の戦力もわからない。それでなくとも相手は神だ。いや、神として崇めていたはずの相手だ。


 セリーヌの胸にあるのはただただ兄を助けたい、それだけで。

 もちろん兄以外の人々も、放ってはおけなかった。


 ☆☆☆☆☆



 執務室に乗り込んだセリーヌが見たのは抜け殻のように呆けているギリアだった。

 その頬はこけ、数日食も満足にとっていない風が見てとれ。


「どうしたの! 一体何があったの!」

 思わずそう叫んでいたセリーヌ。

「ああ。セリーヌか」

 そう弱々しく呟くギリアに駆け寄ると、

「俺は、馬鹿だった……」

 と、項垂れ椅子から崩れ落ちる彼。

 セリーヌが伸ばした手をすり抜けるように、彼は床に膝をついた。


「神が俺に囁いたのだ。お前が王になれ、と」

 歯を食いしばり、そう声を絞り出すギリア。

「しかし、そんな甘言に乗った俺が馬鹿だった。あの時は、それが正しいと思ったのだ。しかし……」

 右手を床にドン、と打ち付ける。

「俺は、取り返しのつかないことをしてしまった……」

 そう、床に額をこすりつけ、

「すまない、セリーヌ。俺は、王を、この手にかけて……」

 嗚咽と共に、言葉を絞るように吐き出すギリア。


「ねえ。兄さんがどこにいるのか、知ってる?」

 差し伸ばした手を引っ込め、セリーヌはそれだけを言葉にした。

「わからない。だが、この王宮にいた者の多くは漆黒機に連れ去られた。外苑を警備する人材を確保するのももう限界に近い。ジークも生きているのならば彼らと共に連れ去られたのかも知れぬ」

「連れ去られたって! どうして!」

「神は我らを見捨てたのだ。俺は、恐ろしい。ああ、なぜ、なぜ神は私たちをお見捨てになられるのか。私はこれからどうすればいいというのですか!」


 最後、もうギリアはセリーヌを見ていなかった。心ここにあらず、ただ宙に向かってそう縋るような目を向けている彼を残し。


 セリーヌとジルは王宮を後にした。

 ひとまず王都を抜けアストリンジェンに戻ることにして。

 そうして意識してみると、王都の家屋には人の気配が極端に減っている。残されたものは怯えているのか明かりも灯さず閉じこもっている様子にも見えた。


「まるで廃墟だな」

「ええ。ジル。こんなにも人の気配がしないなんて。王都の人々はどこへ連れ去られてしまったのか……」

 そう会話をしながら王都のハズレに差し掛かった時だった。

 ガタ

 暗がりから黒い塊が飛び出して。

「お願いします! 助けて、助けてください!」

 そうセリーヌに抱きつかんばかりに飛び出してきたのは、黒いぼろを身に纏った少女だった。


 薄暗い路地、月明かりも届かないそんな場所で長い間うずくまっていたのだろう、そこにはボロボロの毛布がちょうど少女の抜け殻のような形を維持したまま残っていた。

「大丈夫。もう大丈夫だよ」

 セリーヌは腰にしがみついて泣く少女を軽く撫でながら、そう優しい声をかける。


 怖い目にあったのだろう事は、わかる。

 に、しても。

 少女の目線に合わせるようにしゃがみ優しく微笑むと、怯え震えていた小さな体、その肩を優しく両手で包み込むように抱き留めるセリーヌ。

「ねえ、お姉ちゃんに何があったのか教えてくれないかな」


 泣き止んだ少女の瞳を覗き込み静かに語りかけた。



「空に龍が出た日——

 父さんも母さんも浜辺に動員されてあたいは一人お留守番だったの。

 夕方になっても誰も帰ってこないから心配になって外に出てみたら……

 あれ、が、いたの——」


 たどたどしくゆっくりと話し出した少女。龍が出た日、それはセリーヌが処刑されるはずだったあの日の事か。


「あたしびっくりして。でももっと近くで見たくって。浜辺にかけて行ったの」


「綺麗、だった。金色に輝く雲の割れ目から現れた龍。眩しくて、走って行ったけど間に合わなくて」

「辿り着く前に、その龍は飛び立ってしまって。ああ間に合わなかったって残念だって思ってた時——」

 うっとりとした口調で話し出した少女の表情が一変、恐怖のそれに変わる。

「黒い怪物が現れて! 父さんも、母さんも、みんな、食べられて!」

 ガクガクとまた震え出した彼女を優しくハグし、背中を撫でて、

「大丈夫よ。もう、大丈夫。化け物はもういないわ」

 そう宥めるも、

「怖いの。あれは今でも時々街を徘徊しては人を食べていくの。おうちの中にいても、見つかるの。怖くて怖くて、あたい……」

 そうまた震え出す。


 ☆☆☆


 セリーヌの腕の中で泣きつかれ眠ってしまった少女をジルが優しく抱き上げて。

 とにもかくにもそのまま王都を離れた二人。

「黒い化け物っていうのは漆黒機のことだろう。この子供は食べられたと言っていたがギリアは連れ去られたと言っていたな。であれば、だ。王都の人間は攫われどこかに連れて行かれたと見るのが正しいか」

「でも、どこに?」

「ああ、それなんだが……」

 王都を出てすぐそう会話しているその最中だった。


 背後で、ズンという音と共に上空に黒い塊が数機打ち上がるのが見えた。


「漆黒機!」

(見つかった!?)

 瞬間、そう思ったセリーヌ。

 しかしそれは穿ち過ぎで。

 漆黒機たちはそのまま北に向かって飛び立って行く。

「北、か」

「王都の北には街も何もないはず?」

「そうだ。それこそがおかしな話じゃないか? 王国の王都の北がいつまでも森や荒野しかないというのは」

「それは……」

 そう。セリーヌにとっては当たり前のように刷り込まれている事実であったけれど、王都周辺東西南の方向はそれなりに開けた街となっていて。

 北方にはケンタウリと呼ばれる森林と、その向こうには荒野が広がるのみと教わっていた。人の住む場所とは違う未開の地と、そう。

 最初にジルに助け出された時訪れた遺跡もケンタウリにあったはず。そう思い出し。


「北には何かあるの!? ねえ、ジル! あなた何か知ってるの!?」

 セリーヌは思わずそう叫んでいた。


 この世界の神。デウス・エクス・マキナとは。

 そもそもセリーヌ自身にとって、神とは王家が崇めていた全てだった筈だった。

 世界に施しを与え、天候を操作し、人々を慈しみ育む。

 人はその与えられる恩恵に浴し、そして。

 神を崇めその神の代行として民を治めるのが我られ王家の一員としての役目である、と。

 物心がつく前からそう諭され育ってきた。その思想は簡単には変えられないほど。


「ラギは、この煉瓦がどこで作られているかを知っているか?」

「え?」

 地面を舗装する煉瓦。それを指差しそう言うジル。

 セリーヌはその意味がわからず聞き返す、が。

「じゃぁ、言い方を変えよう。ラギはこの世界の建物や舗装、それらに使われている煉瓦がどこで生産されているか、理解しているか?」

「ごめんなさい、知らない、です……」

「では、布地や皮製品、窓のガラスやゴムなどの生活にまつわるものの素材が一体どこで生産されているか、と言うことは?」

 沈黙し、首を振る。


「オート・マタ、や、魔道具、照明器具、そういった物は? もちろん知らない、か」

「神の恩恵、としか、知らなかったです……」

 項垂れそう返事をするセリーヌの頭を撫で。

「悪かった。少し意地悪だったかもな」


 そう言って微笑むジル。



 世界に点在する街。王都周辺に住む人々。

 セリーヌにとって、世界とはそれだけで。

 点在する都市が各地に数十存在することは知っている。でも。


 今ジルがあげた画一化された製品の素材の数々がどこで誰が作っているのかなど、それまでのセリーヌの知識にはなかった。

 王都に住む一般の市民の七割は郊外に広がる小麦の生産にに携わり、一割が商店などの販売に、残りの二割が木工や服飾などのの工房で働いている、そう習った覚えがある。

 畜産は極々一部。他の街には畜産が盛んな街があり、芸術関連の盛んなアストリンジェンのような街もあるけれどそれらは商人の交易によって流通し。


 あ、と、

 市民権の無い人々によって運営されている冒険者ギルドと言うものもあるにはあるが、そのどれもがこの目の前にある煉瓦一つとして生産しているとは聞かない

 これらは全て神の恩恵、天の恵み。


 そもそも、この道路一つとってみても人の手で作られることは無いのだ。

 舗装も修繕も全て、人の手は一切入っていない。

 自然と出来上がった道路。壊れてもいつのまにか直るそれ。


 今まで、なんでそんなことにも気がつかなかったのか?


 セリーヌは両腕でぎゅっと自分を抱きしめて。

 身を震わせた。

 背中に冷たいものが走る。そんな気がして。

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