ギター偏愛記(下)

ギター偏愛記(下) -オレの愛器遍歴-


<空白の時代>


やむなくSGを手放してしまったオレは、ドッと虚脱状態に陥った。これから受験勉強を控えて忙しくなることはわかっているが、やはりエレキなしの生活なんて、味気ないものにしか思えなかった。


「でも、フォーク・ギターが一台あるんだから、それでいいかぁ…」


そう思うことにして、しばらく手にも取っていなかったフォーク・ギターの置いてあるロッカー・ルームに行ってみたのだが…。


なんと、ギター・ケースは影も形もなかったのである。一ヶ月くらいまでは確かにあったのだが。


つまり、何者かが盗んでいったに違いなかった。オレは呆然とした。


思えば、オレは全然、そのフォーク・ギターをかまってやらなかった。ずっとエレキに首ったけで、つまびくことさえ滅多にしなかった。ましてや、手入れなどまるでせず、ケースに入れたまま、放っておいたのであった。酷い話だ。


一年ほど前に、ひさしぶりにケースを開けたときには、ネックが根元からポッキリ折れているのを発見し、ショックを受けた。つまり、弦のテンションを下げずにそのまま張っておいたせいで、ネックが張力に耐えかねて、必然的に折れてしまったのである。


そのときはとてもギターを捨てることが出来ず、強力接着剤で貼り付けて、なんとか元のネック角度に戻した。音のほうはといえば、壊滅的としかいいようのないものだった…。そのギターも、いまや存在すらしていない。


さすがにオレも、これまでつれなくしてきたフォーク・ギターに対して「すまない」という気持ちで一杯になった。もはや価値もなにもないボロボロのギターではあるが、新しい持ち主にちゃんとかまってもらえるのならいいのであるが。すぐに粗大ゴミ行きじゃあ、あんまりだ…。もっと、大事に管理して、きちんと弾いてやるべきだったよなぁ。


オレは大学受験まで当分、空しいギターなしの生活を送るはめになった。


さらに翌年には入試にも失敗し、浪人の身となったため、ギターなしの生活はさらに1年延びることとなったのである。


<ギター解禁>


1年間の浪人生活の後、オレはようやく大学生となった。


大学に入ったら一番先にすること、それはもちろん、エレキギターを購入することだった。それがバンドのメンツを探すことより、なにより先だった。


当然、ターゲットはレスポール・モデルだ。「プレイヤー」という雑誌やカタログでアタリをつけて選んだのが、アリアプロIIのLPモデル。当時、国産のトップメーカーはグレコだったが、さほど値引きしてくれない上、4万未満の手頃な値段のものでは、デタッチャブルネックの上に、ボディは空洞と来ていた。それじゃあ、LPの音なんか出ないし、ハイポジションが弾きにくい。


そこで、グレコに比べると知名度では劣っていたものの、キャリアでは負けていなかったメーカー、アリアのニューライン「プロII 」のほうが、同じ値段でセットネック、しかも空洞でなく身のつまったボディだったので、そちらを選んだのである。(ただ、後ほどわかったことだが、空洞ではないにせよ、ギブソンLPのような削り出しボディではなかった。隙間に木材をつめた、偽ラウンドトップであった。本物の削り出しモデルは、お金をさらに1万5千円ほど積まねば、手に入らなかった。)


横浜駅近くのオカダヤ(現在のMORE'S)の階上にある楽器屋で、ブラウン・サンバーストのLPが売られているのを見つけ、すぐに購入した。上代4万5千円の8がけだ。


音はもちろん、前の二台に比べるとダンチであった。鳴りがまるで違う。伸びが違う。深く、暖かく、つやのある音だ。フィニッシュもいい。すっかり、気に入ったのであった。


<もう一台の愛器>


その後オレは、さっそく大学のクラスメートや、その友人などとロックバンドを組んだ。


当然、最初のうちは、そのレスポールで練習していた。だが、なんということだろう。次第にレスポールでのプレイにたえられなくなってきたのである。


弾いたことのある人ならお分かりいただけると思うが、レスポールというギターは実に「重い」のである。


ストラトの1.5倍、とまではいかなくても2、3割がたは確実に重い。もちろん、この重さゆえにあの艶やかでサステインのきいたレスポール・サウンド、多くのロックギタリストを魅了した深い音色が生まれてくるのだが、家からハードケースに入れてスタジオまで持ち運ぶには、あまりに負担が大きすぎた。


当時オレは横浜に住んでいて、練習のたびにスタジオのある新大久保まで、それを手に持って往復していたのである。


もちろん、今回は手放すなんてことは絶対したくなかった。レスポールはあくまでも手元においといて、もう一台買いたいという欲望が、にわかに膨らんできたのである。


秋のとある日、古本屋街で有名な神田神保町に、本を見に行ったときのことだ。すずらん通りという商店街の中にある須賀楽器、そのひどく古びたつくりの楽器屋の店頭に、一台のストラトキャスター・モデルがあるのを見つけて、「これだ!」とオレはひらめいた。


当時、レスポールをしのぐ人気を得つつあったエレキギターが、フェンダー・ストラトキャスターであった。


ハードロックの代表選手、ディープ・パープルのリッチー・ブラックモア、そしてヤク中からカムバックを果たした人気ギタリスト、エリック・クラプトン、プログレの雄、ピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアらが愛用した影響で、またたくまにベストセラーになった通称「ストラト」だが、とりわけクラプトン愛用の黒いストラトは人気が高かった。


店頭のそれは、残念ながら、デカヘッドでピックアップも普通のタイプであるなど、細部においてクラプトンの愛器「ブラッキー」とは違っていたが、十分魅力的に見えた。とにかく、レスポールとくらべると、嘘のように「軽い」のである。さっそくオレは手持ちの2万円をはたいて、購入した。


メーカーは、倒産した「フレッシャー」というマイナーな会社だった。要するに処分品ってことね。メイプル・ネックで、非常にカラッと軽い音がした。中低音の豊かなレスポールとは正反対の音である。


大学生になったらアルバイトも自由にできるから、そんなチープなやつじゃなく、もっとお金をためて、できれば本物のフェンダーを買ったほうがよかったんじゃないかって?


ところが、当時のオレには、そんな発想はまるでなかったのである。


オレは自分なりに、自分のギタリストとしての「程度」をよくわかっているつもりであった。


自分より音感がすぐれていて、どんな曲もすぐコピーできるような友人を何人も目のあたりにしていたから、高価なモノホンのギターなんて、下手な自分にはもったいないと思っていたのである。


で、以降のバンド練習はすべてそのストラトを使用するようになった。レスポールは、家での練習専用になってしまった。まあ、そのおかげでレスポールは長い間、傷も少なく綺麗な状態で残ったというメリットもあったのだが。


<ついに入手、USフェンダー>


大学時代に組んだバンドは、誰ひとり音楽の才能がなかったという事実の、当然の帰結として、全員の卒業(ひとりは4年で中退)とともに自然消滅とあいなった。


オレも、就職した会社での仕事が異常に忙しかったので、仕事の合間に活動を(たとえ別のメンバーでやるにせよ)続けるなんてことはまるで考えなかった。


1年、2年と、バンドと無縁の日々が過ぎていった。オレはバンドで歌うかわりに、カラオケでクワタやジュリーを歌うようになりはてたのである。


入社2年目に、金銭的にも余裕が出来たので、親元である横浜の家を離れ、勤め先に近い都内にひとり住まいすることにした。


その時、新しい住居に持ち込んだギターは、ストラト一台だけであった。


たまにそれを弾いて、カンが鈍るのを防ごうとする程度で、もはやエレキはかつてのように生活の中心ではなくなってしまった。バンドを組んでいたという事実は、過去完了形になりつつあった。


音楽の流行も、ロックから少しずつ違う方向へ動きつつあった。洋楽の代表選手は、レッド・ツェッペリンやクイーンから、マイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンスへとかわっていった。


そんな状態が6、7年続いた冬のある日、オレはたまたま地下鉄の新宿三丁目駅の上にあるイシバシ楽器店にふらりと立ち寄った。


そこで、ひさしぶりにさまざまなエレキギターをながめたのであるが、冷やかし気分で入ったに過ぎなかったのに、一台のギターに「ひとめ惚れ」してしまった。


それは、由緒正しいUSフェンダーのロゴのついた、「ブロンコ」という名のギターであった。


このブロンコというギターは、ムスタングの下位モデルというか、初心者向けのエントリーモデルであり、プロや上級者のギタリストには全く相手にされないやつなのだが、なんだか急に欲しくなってしまった。


値段が絶妙だったこともある。当時のUS製ストラトみたいに20万くらいしたのでは二の足を踏んだであろうが、これは定価7万5千円。国産のストラトの高級モデルくらいの値段である。もちろんそれを値引きして売っていたのだが。


ボディの色はブロンド、指板はローズウッド。ブリッジ寄りに1ピックアップ。1ボリューム、1トーン、スイッチなしと極めてシンプルな構造なのが、また気にいった。そして音も、なんだか国産モノでは絶対しないような、本当に「乾いた」音がした。特に、コードを弾いたときのバランスの良さ、これは「さすが、本場モノ!」であった。


試奏するや、すぐに買うことを決めた。ギター歴16年余にしてはじめての「本物」であった。


いまさらバンドを始めようとも思っていないのに、どうして買う気になったのか、他人にはまったく不可解な行動であったろう。


が、とにかく「惚れてしまった」、そうしか言いようがなかった。


ところで、そのブロンコをバンドで弾く機会は、なぜかほどなくやってきた。


翌年春に、ひさしぶりに大学時代のバンドのメンバーで、リユニオン・セッションをやることになった。ベースのやつだけは連絡がとれなかったので、別の知人を呼んだが、約8年ぶりにメンツが揃ったのである。


オレはブロンコのソリッドなトーンに最も合った、「ホンキー・トンク・ウイメン」なぞを曲に選んで、キース・リチャーズよろしく愛器をかき鳴らしたのであった。


<増殖し続ける楽器たち>


それがきっかけになったというべきだろうか、その後、オレは何年かに一台というペースで、楽器をふやしていった。


会社の同僚たちと温泉旅行に行くというので二台目のウクレレを買ったり(一台目はもらって数年でこわしてしまった)、ジャズ・ボーカルの教室に入って知り合った人たちと、スイング・ジャズのコンボを組むためにサイレント・ベースを買ったり、ミニ・エレキベースも買ったり、はたまたヤマハのクラシック・ギターを手に入れたり等々、わが楽器は着実に増加の一途をたどっているのである。


最近では、今年の10月に、ひさびさにアコースティック・ギターでブルースを歌いたいなあと思って、スタッフォード(黒澤楽器)のアコギを購入してしまった。また、里帰りするたびに弾いてはいたのだが、18年半ぶりにレスポールを親元から自宅に移した。


まあ、ろくすっぽマスターしていないのに、そんなに増やしてどうする、という感じではある。


要するに、これが私の道楽、ということだろうか。


釣りキチが釣り竿をついつい増やしてしまうように、ゴルフ好きのひとが高価なクラブを何セットも買ってしまうように、オレも、一種の「楽器フェチ」なのかも知れない。


<「ギターを持つ」ということ>


ただ、オレの場合、どこか「抑制」が働いているのも事実である。


欲しいからと言って、ボーナスを全部はたいてギターにつぎ込むなんてことは、絶対しないし、そんな余分のお金がありゃ、CD買いまっせ。


最近、よくネット上のホームページで見かけるのが、「わたしの愛器紹介」とか称して、若いアマチュアミュージシャンの方々が写真付きで結構高価なギターを、しかも数台なんてものじゃなく、何十台も持っていることを「見せびらかす」ページ。


要するに、自分の経済力の「自慢」だよな。アメ車マニアとかとおんなじだ。


甚だしいケースになると、所詮アマチュアのくせに、100台以上のギターに、1千万円以上もつぎこんでいる人がいる!


その全部を今も所持しているわけではないそうだが、それにしたって数十台のギターをどこに保管してるんだい、えっ?


そりゃお金持ちだから、それらを全部収納できるくらいのスペースをお持ちなんだろうが、それらギターのケアはちゃんと出来るのかい、えっ?


楽器ってのは、どんな高価な名器だって、ちゃんと定期的にケースから出して、弾いたり手入れをしたりしないと、どんどんコンディションが悪くなるんだぜ(と、経験者は語る)。


それが出来ないのに、見栄で何十台も持つなんて、許せんぞ。


ちゃんと全部弾いてやれないんなら、愛情を持って弾いてくれるひとにタダであげるほうが、マシってもんだ。


なんて怒ってみたところで、そういう連中に伝わるわけもないのだが、こんなことを言い出したのは、最近、tRICK bAGのライブをJIROKICHIで観たことに端を発している。


tbのギタリスト、私見では日本一、世界でも十指に入ると思っているかのモリ氏が、ライブでメインに使っていたのが、まだ買いたてとおぼしき、定価4万5千円のファイアーバードであった。


またそのギターが実にいい音がするんだ、これが。


知らないひとが見たら、まちがってもそういう値段のギターとは思うめえ、って音であったのだよ。


で、オレの思ったことは、「森園、ギターを選ばず」。


どんな安物の筆でもあざやかな字を書いた、弘法大師同様、弾き手の腕前がたしかなものであれば、どんなギターを弾いたって、ちゃんとその人の「音」が出るし、逆にどんな高価なヴィンテージギターも、下手な人が弾けば聴くにたえない音にしかならない、ってことだ。


持っているギターが何台で、なんぼしたといったことをホームページに書いたって、何の意味もない。


「それがどうした」という感じである。画面からはそのひとが本当に上手い弾き手かどうか、高価なギターにふさわしい弾き手かどうかなんて、わからんぜ。


大切なのは、持っているギターすべてにきちんと愛情をそそぎこんで、弾いてやること、それだけだ。


しかし、こういう当り前な事さえ、今の世の中、わかっている人が少ないような気がしてならないのである。


なにせ、紅白歌合戦の衣装(てゆーか、なかば舞台装置化したしろもの)が何千万円かかったかに、感心するような国民性だからね~。ロジャー・ダルトリーをパクった布施明の衣装が一番ハデとよばれていた時代がなつかしいっス。


閑話休題。


オレはギターを弾き始めて28年以上になるが、いまだに自分が本物のギブソン・レスポールやフェンダー・テレキャスターを持つにふさわしい弾き手になれたとは、到底思えないのである。


だから、いまだに買っていない。


若い、ギターを始めて数年ってとこの子供たちが平気で本物を買っているのを見ると、その大胆さがうらやましいと思う。(彼らのような若者たちも買うからこそ、ギブソン、フェンダーも商売として成り立つのだろうが。)だが、オレにはそんな恥ずかしいことは出来ん。


そこで、生来「努力」という言葉とは無縁のオレではあったが、最近ようやく、ギターがうまく弾けるように少しは努力せんとあかんな、と思い始めている。


でないと、一生、バッタモンのギターしか似合わないようになっちまう。


「ギターはええもんやけど、腕前がなあ…」と言われんようにせんと。


目標は、とりあえず、ギブソン・エクスプローラじゃ。


いつか、ギブソンを弾くのに恥ずかしくないギタリストになってやるぞ、と。(「ギター偏愛記」完)

(2000.11-12、原文ママです)

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