My Guitar History #4(1979-88)
僕のギターヒストリー、第4話です。
大学1年の時にレスポールとストラト、新しいギター2本を買い、同級生と念願のロックバンドを組んでみたものの、それは今ひとつ長続きしませんでした。
理由は簡単。僕以外のメンバーは、さほど音楽に熱心でなかったためです。
ドラムスのMくんは高校時代にハードロックバンドを経験していたものの(ディープ・パープルのコピーバンドでなんとイアン・ギラン役をやっていたとか)、ドラムスへの熱意は「とりあえずやってみたかった」というレベル。
キーボードのIくんも、「大学のサークルでの文筆創作活動の息抜き」にやっている感じでした(ちなみに彼とは縁があって同じ会社に入って40年以上付き合うことになります)。
ベースのOくんも似たようなテンションでした。要するに「ちょっとバンドごっこをしてみたかっただけ」。
彼らとしては、楽器を手に取り演奏しているだけで満足だったのです。これでは本格的な活動は無理ですね。
結局、大学4年間の後半でバンドは自然消滅、せっかく買ったギターも活躍の場を失ってしまいました。
その後いろいろ苦労して、なんとかとある出版社に就職はしたものの、雑誌記者の仕事はとんでもなく多忙で、バンドをやっている暇などありませんでした。
音楽をやるといえば、カラオケで
そして聴くのは英米のロックよりもブラコンとかモダンジャズ、そして日本のポップス が多かったという記憶があります。
そんな「音楽・冬の時代」でしたが、それでも僕はギターを処分することなく、手元においてたまに弾いていました。
そして入社3年目、84年の1月についにギター熱が再燃します。
ふらりと立ち寄った新宿のイシバシ楽器で、USフェンダーのスチューデントモデル、「ブロンコ」を発見。
一目惚れして試奏、即購入しました。
定価7万5千円が4万5千円。とてもお買い得でした。
ショートスケールでブリッツ寄りのワンピックアップ、色はオリンピックホワイト(ラッカーの経年変化のため、購入四半世紀後には辛子色になってしまいましたが)。
たぶん、ブロンコ製造の最終年、81年製です。ずっと売れずに残っていたデッドストック品なのでしょう。
これまで日本のコピーモデルしか知らなかった僕にとって、その軽く明るい音は「これぞ本場もの!」に思えました。
とりわけコードを弾いた時の、音のバランスが素晴らしくいいのです。リズムギターには最適です。
この1本で「バンド活動再開!」とまではいかなかったのですが、それから数年後、大学時代のバンドメンバー、あるいは中高時代の同好会仲間とでリユニオンセッションをやった時には、このブロンコを持って行って弾いたものです。
社会人になって10年近くが経過し、ようやく音楽を一から再開しようという気運が満ちて来た僕なのでした。(続く)
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