My Guitar History #3(1976-78)
僕のギターヒストリー、第3話です。
高校卒業前、僕はアコギとSGをともに手放してしまいました。
詳しく言うとそれぞれ事情は異なっていまして、実はアコギはずっと高校に置きっぱなしにしていたのですが、それが災いしてか、ある日気づいた時には無くなっていました。
要するに、盗まれたのです。
とはいえ、金銭的にはなんのメリットもないボロギターでした。おそらく盗んだ人間も、そのボロさに愕然としたことでしょう。ネックのトラブルもあり、売り飛ばす価値すらありませんでしたから。
そんなアコギではありましたが、僕にとっては3年あまりの思い出が詰まった1本でしたので、金銭面よりメンタル面でのロスの方が大きかったです。いわゆる喪失感というヤツです。
いっぽうSGの方は、僕自身の判断で手放しました。
3年の文化祭のために作ったバンドで、キーボーディストが自前のキーボードを持っていなかったので、そのSGを対価としてある人から借りたのです。
ライブ終了後、そのキーボードの返却時にSGも手渡しました。
でもバンマスがそんな身銭を切るようなことまでやって開催したライブの出来はイマイチというより、イマサンというレベルでした。踏んだり蹴ったりとはこのことです。
以上のような事情により、大学受験に失敗した後の僕は、まる1年間ギター無しの予備校生生活を送る羽目となりました。
まぁ、翌年確実に大学に合格するにはギター演奏どころではないですよね。
受験勉強に集中するため仕方なく、僕はギター無しの状況を受け入れました。
でもその1年間、僕は「大学に入ったら、何よりも先にエレキギターを買うんだ」とばかり考えていましたけどね(笑)。
で、めでたく大学に合格した77年3月、横浜駅前のファッションビル「オカダヤ」の中にあるギターショップ、帝都無線でついに買いました。
憧れのレスポールモデルです。ブラウンサンバースト。
3万6千円でした。
テレキャス、SGと渡り歩いて来ましたが、僕が本当に欲しかったのはジミー・ペイジやマーク・ボランの使っていたレスポールだったのです。他にもハードロック系を中心にレスポールを愛用するギタリストが多かった時代です。
普通は国産のトップブランド、グレコを選ぶユーザーが多い中、僕はアリアプロIIを選択。
ボディがグレコのような空洞でないのが理由でした。
当時愛読していたギター雑誌「プレイヤー」などで仕入れた情報によれば、当時のコピーモデルは5万円程度のかなり高価なモデルでも本家ギブソンのような削り出しの完全なソリッドボディではなく、空洞ボディだったのです。
製造元は当時エピフォン、後にはオーヴィルも手がけていたマツモク工業。
家具製造の技術を生かした丁寧な作りで、音質的にも満足がいくものでした。
ただし、ひとつだけ欠点が……。4.5キロ超とやたら重いのです。ハードケースに入れて運ぶだけでも、相当な苦行です。
そこでより軽量なギターが欲しくなり、もう1本買ったのが黒のストラトキャスターモデル。
時代を反映してラージヘッド。メイプル指板のタイプです。
神保町の須賀楽器で定価3万が2万。フレッシャーという、知る人ぞ知る中堅メーカーの処分品でした。
この2本は今でも実際に使っています。他の高めのギターと比べても、音も悪くありません。
約45年前の製品、ということは立派なジャパニーズ・ヴィンテージ?(笑)
この年より僕は大学の同級生とバンドを組み、クラプトン、ストーンズなどごくオーソドックスなロックを演っていました。
ただ、バンドの力量的にライブでお客を呼ぶのは無理と判断、大久保の音楽スタジオでの遊びに徹していました。
僕が人前でバンド演奏を披露するのは、まだまだ先のことでした。(続く)
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