My Guitar History #2(1973-75)

僕のギターヒストリー、第2話です。


僕は中学3年の時に2本のギターを初めて購入、校内のフォーク(とロック)の同好会に加入しました。


出来立ての同好会ながらその中ですでにひとつのロックバンドが結成されていましたが、残念ながらパートの空き枠がなかったため僕はそのバンドに入れず、当初はもっぱら弾き語りスタイルで活動していました。


高校に進学(中高一貫校)して、ようやく組む相手パートナーが見つかりました。


現在プロのキーボーディスト・作編曲家のK藤くんです。かのヒット曲「勇気のしるし〜リゲインのテーマ」等を作曲し、最近では「あまちゃん」のバンドにも参加していた人なので、ご存知の方もおられるでしょう。


彼は高校からの編入組で既に中学(私立)でレギュラーバンドを組んでおり、僕とは息抜きとして付き合ってくれたに過ぎなかったのですが、彼と組んだユニットで文化祭に出演、「イマジン」「ホンキー・トンク・ウィメン」などをやりました。その時もテレキャスを使用してます。


そしてテレキャスは、無断で買ったため親から処分するよう求められてしまい手放し、またアコギ一本になりました。(実はアコギは家でなく、学校に置いていたままだったので処分を免れたのです)


とはいえやはりエレキがないと物足りず、次はK藤くんのバンドメイトMくんにグレコのSGを譲ってもらいました。定価3万円が2万円。あまり安くなりませんでした(笑)。


そのSGでよく定番のクリームやディープ・パープル、ロリー・ギャラガーなどをコピーし、高校2年の文化祭には、アコギで下田逸郎の曲を弾き語りカバー、ブルースとしてはSGでヤードバーズバージョンの「ダスト・マイ・ブルーム(ナッズ・アー・ブルー)」を演りました。


リズム隊は校内随一のバンドのメンバー、N川くんとY田くんに頼みました。


高校3年は別のキーボーディストTくんと組んでエルトン・ジョンをカバーしました。


ですがその後は、SG、アコギともに手放してしまい、ギターが手元にまったくない冬の時代を迎えることになります。


結局、高校時代の僕は一度もパーマネントバンドを組むことが出来ず、その都度のにわか編成で文化祭に出演するのが精一杯でした。


バンド作りの道は、意外と険しいのです。(続く)

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