「横浜は東京に含まれます」問題

私はかつて横浜市に住んでいたことがある。


東京は世田谷にあった、父の勤務先の社宅住まいを終えて、私が中3になった年の秋に一戸建ての持ち家に引っ越したのである。


以来、私が東京の会社に就職して2年目となる春まで約9年半、そこに住んでいた。


私が東京に住んでいる年数は累計すれば45年以上に成るが、それに続く長期間、横浜市に住んでいたのである。


ここまでの文を読んで来て、すでに敏感な方はお気づきになったかもしれない。


私がかつての住所を「横浜市」と書いても「横浜」と書いていないことに。


実はそこに、今回のトピックの重要なポイントがあると言っていい。


横浜は市名であると同時に、土地の名前でもある。


地名としての「横浜」が指し示す場所は、言うまでもなく横浜市全体よりずっと狭い。


すなわち横浜という地名の港と直接面している地域しか、狭義の横浜とは言えないのである。


ざっくり言えば、横浜市中区と西区のみ。


私が住んでいたのは西区と隣接する保土ヶ谷区であったが、そこは港と面していない内陸地域だった。


だから私は「横浜に住んでいた」とは書きづらく、横浜市としたのである。これなら事実として間違っていないからね。


もっとも、私だって東京や千葉に住む人々に対しては、平気で「横浜﹅﹅に住んでいます(いました)」と言ってきた。彼らから異論やツッコミが来たことは皆無だった。


しかし、狭義の「横浜」出身者に対して、そういうふうに名乗るわけにはいかなかった。


たちまち、「きみの住む保土ヶ谷は横浜じゃないだろ」と突っ込まれるのがオチだからだ。


私が現役編集者時代に知り合った横浜出身の小説家、Y・T氏などはその最たるもので(私は彼と出身高校が同じという縁もあるのだが)、Y氏はいつも「横浜」の人間と、そこ以外の横浜市内の人間を峻別した物言いをしていた。


私などは、完全に後者扱いだったのである。


横浜市は戦後急速に発展、いまや政令指定都市では大阪市さえも超えて第1位、357万人余り(*)の人口を抱える日本屈指の大都市となっている。(* 2020年9月の推計、以下同)


しかし、その実態はというと、独立した大都市というよりは「東京の衛星都市の筆頭格」と言うのが正しいのではないだろうか。


実際、私の家族も「出来れば勤め先のある東京都内に住みたかったのだが、50年前すでに東京の地価は高く、広い一戸建てに住もうとするなら近郊の横浜や川崎、千葉や船橋を選ぶしかなかったので、やむなくそうした」というクチだった。


特に母親は露骨に「都落ちした」とボヤいていたぐらいだ。


そういう「東京からの都落ち組」を受け入れて呑み込むことにより、戦後の横浜市は大きく膨張して来たのだ。


地場産業の発展によってというよりは、ベッドタウンとしての隆盛によって。


そして、新たに横浜市民となった人々は、従来の横浜の人々が築き上げて来た「港町ヨコハマ」の洒落たイメージを自分たちもちゃっかりと利用し、千葉や埼玉にはない高級ブランドとしてその身にまとっている。


「住まい? ヨコハマですのよ」とか言ったりして。


そこを、作家Y氏などは非常に苦々しく思っていたようだ。狭義の横浜以外に住む人々がクルマに横浜ナンバーを付けていることも、彼にとっては業腹だった。


私は彼の考え方、気持ちがよく理解出来たので、「間違っても自ら『ハマっ子』などと名乗るまい」と思った。


その称号は「江戸っ子」同様、3代横浜に根付いて暮らしている者のみにふさわしいものなのだ。私のような新参の横浜市民が名乗っていいものではない。


とはいえ、横浜市以外に住む者から見れば、横浜市に住む人間は全部同じにしか見えない。ハマナンバーをつけていれば、それは全部「横浜のクルマ」なのだ。


そういう二重構造の上に、今日の横浜の隆盛は成り立っているわけだが、今回なぜこんなトピックを俎上に出して来たかというと、それなりにきっかけがある。


現在、テレビでもアニメの第3期が放送されている人気漫画「八十亀やとがめちゃんかんさつにっき」、それである。


安藤あんどう正基まさきさん作の「八十亀ちゃん〜」は、東京から名古屋の高校に転入して来たじん界斗かいと、高校2年生がベタな名古屋弁(まるで故みなみ利明としあきさんのような)を喋る後輩、八十亀最中もなかと知り合い、ディープな名古屋文化に影響を受けていくというギャグ漫画で、その中に「名古屋は日本の第3都市か」という論争シーンが出てくるのだ。


もちろん、地元愛にあふれる八十亀は「日本の第3都市は名古屋だぎゃ」と言って譲らないのだが、京都出身の女子は「第3都市ゆーたら、京都やろ」と反論する。


これに対して陣は「日本の第3都市は横浜でしょ」と正論でツッコむのだが、岐阜出身の後輩、只草ただくさ舞衣まいに「横浜は東京に含まれます」との一言で一蹴されてしまう。


たしかに、人口という誰にでも分かりやすい判定基準を当てはめれば、横浜市は間違いなく日本の第3都市である。


しかし、ことはそう単純ではないだろう。


そう、「独立都市」「衛星都市」の問題が絡んでくるからである。


もし横浜市が静岡市のように東京から離れた場所にあってこれだけの人口を誇っているのであれば、日本の第3都市と断ずることになんの異論もない。


しかし、現実の横浜市の住民の多くは、東京都内に通勤通学しているいわゆる「横浜都民」である。


そして横浜市内の諸産業も、地場産業というよりは都内の産業の出先としての性格が濃い。


つまり独立都市として発展したのではなく、ほぼほぼ東京に依存することで今日を築いてきているのだ。


となれば、一見暴論に思える只草舞衣の指摘も、正鵠せいこくを射ていると言うしかないだろう。


横浜イコール日本の第3都市という主張は、もと横浜市民の私でさえ、引っ込めざるをえないのである。


となれば、一体どこが第3都市の名にふさわしいのか。


「八十亀ちゃん〜」では、名古屋、京都、横浜のほかに有力候補として福岡を上げている。


人口では名古屋の232万人に劣る160万人であるものの、独立した都市であり、しかも古い歴史を持っている。


大宰府は1400年以上前に設置され、以来この地域は長期にわたって発展を遂げて来た。大陸文化の入り口としての役割りをも果たし、地場産業もそれなりに盛んである。


とはいえ、名古屋も決して負けてはいない。なんといってもトヨタという国内最強のメーカーを擁しており、歴史も福岡ほどではないにせよ、室町時代以来綿々と続いている。その点、ペリー来航以降の170年足らずの歴史しかない横浜とは大違いである。


日本の第3都市は、人口、産業、歴史、そして現在の成長の勢い、そういった観点から総合的に判定されるべきであろう。


となればやはり、第3都市の名にふさわしいのは、八十亀ちゃんならずとも名古屋なのだと私は思う。



私にとって横浜は、もちろん個人的にも思い入れが深い場所ではある。


思春期、自分が一番多感であった時期に住んでいた場所だけに。


しかし「都市」としての横浜は、他の地域に住む人々が幻想として抱いているほどには、大したものではない。


未来的な都市構造を持っていると言えるのは、せいぜい横浜駅の周辺だけで、そこ以外は意外と閑散とした、どこにでもある地方都市の風景しか見られない。


たとえば仙台とか、宇都宮とか、浦和とかいったところと大差はないように感じる。


なんのかんのいっても大阪や名古屋は、横浜とはスケールが段違いだということである。


「横浜は東京に含まれます」


この辛辣で正確な評価を完全に否定できる材料は、今の横浜にはどこを見てもない。


東京に依存しない横浜独自の活力パワーが、いまだに生み出されていないからだ。


あくまでも横浜に本拠を置いた、横浜に住んでいる人間でなくては生み出せないような独自の産業が生まれた時、初めて横浜は「第3都市宣言」を発することが出来るだろう。


狭義の横浜地域うんぬんに関係なく、そういう大きな波がヨコハマ・シティ全体から生まれることを、私はひそかに望んでいる。


大きくは期待してないけどね(笑)。


「ハマっ子」に代わる新たな呼び名も、その時代に生まれるだろう。


フレーフレー、ヨコハマ!!(この項・了)

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