才能について

才能というものについて、50年来考え続けてきた。


世の中には「あの人は才能がある」と認められた人物が存在することに気づいたのが、私が10代になったばかりの頃だ。


たとえば、スポーツ。たとえば、音楽。たとえば、美術。


そして、文芸。


それぞれの分野に、才能があると衆目に認められ、華々しく活躍している人がいることを、マスメディアの報道により知った。


多くの場合、それらにはマエストロだの大家だのとよばれる先駆者がいて、優れた作品あるいは記録を残しており、彼らの達成点に近づくこと、あるいはそれを凌駕することが「才能の証」であると言われていた。


それは今に至るまで、変わることはない。


そしてひとつはっきり言えることは、それらの才能があることと、学業が優秀であることとは、別の次元の問題だということである。


その証拠に、勉強が誰よりも出来る人のことを「あの人は勉強の才能がある」とは決して言わない。


最高学府と呼ばれる某大学を一番の成績で卒業したところで「才能がある」わけではない。


単に頭脳が優秀なだけだ。


たとえば三島由紀夫氏はあまたいる作家の中では飛び抜けて学業も優秀であったが、彼と同等の成績で某大を出て官僚になった人で職業作家になれた者は他にいない。


あるいは、山下清氏のように知的障害を持ちながらも画業で世に知られた人もいる。


頭の優秀さと才能は、必ずしもシンクロするわけではないのだ。


私がそのことに気づいたのは、10代の半ば、中3の頃である。


世間的に「いい大学」とされている大学に入ることより、本物の才能があることのほうが、よほど稀少なケースであると気づいたのだ。


より難関なのは、間違いなく後者のほうなのである。


さて、十代の半ばにして私は、どの道を目指すべきかについて、考えざるを得なくなった。


私が10代の初めにジャズやロック、ソウルなどの洋楽の洗礼を受けたことは本エッセイの第2回でも書いたが、10代半ばにもなるとただ聴くだけではなく、次第に自分で楽器を弾いたり、歌ったりするようになっていた。


そして、自分で書くのもいささか恥ずかしいのだが、いっぱしのミュージシャン気取りでいた。


大真面目に「将来の自分はエリック・クラプトンやジョン・フォガティのような、ギターも歌もこなすロッカーになるのだ」と思っていた。


まだ、チャー氏さえメジャーデビューしていない頃で、私はいわばそういう「ギタリストシンガー」第1号になりたいとマジで考えていたのだ。


今となればお笑い草だが。


その一方で、多くの小説を乱読し、自ら習作も行なっていた。


実は、物書きにもなりたいと思っていたのである。


ミュージシャンと作家、正直どちらになりたいかと言うと、前者になりたかった。


書斎にこもって原稿を黙々と書くしかない作家に比べると、一挙手一投足、存在そのものが絵になるミュージシャンこそ、時代の花形だったからだ。


しかし、どちらになれる可能性があるかというと、後者の方がまだ可能性があると思っていた。


自分自身、音楽では才能があるとはまるで思っていなかったからだ。


そのあたりの心理は、私が現在執筆中の「モブ先生」を読んでいただければお分かりいただけると思う。


漫画と小説を天秤にかけて後者を選んだヨシトは、かなり私自身をも投影したキャラクターなのだ。


高校2年の頃には、ミュージシャンは将来の目標ではなく、あくまでもアマチュアとしての楽しみにとどめておこうという考え方になっていた。


残りの小説家になる方も相当ハードルが高いことは意識していたが、こちらはまったく諦めたわけでもなかった。


だが、それより先に大学受験という目の前のハードルを越えることのほうに注力しなければと考えた。


本格的に作家を目指すのは、大学に入ってからにしよう、そう思った。


そして、なんとか大学に入った。


すると、周囲に「作家志望」の同年代がゴマンといる事実に直面した。


中学・高校では小説を書いているのは、変わり者、はみ出し者と言われる人間ばかりだったが、大学では状況がまるで違うのだった。


70年代後半、若者にとって作家は、ヒップでカッコいい「憧れの職業」になりつつあった。


着流し姿の昔ながらの「文士」イメージを否定し、書斎から飛び出て行動する、そういう新しい作家像が生まれつつあった。


その背景には、村上龍氏や池田満寿夫氏らのアーティスト系の作家、見延典子氏、中沢けい氏、栗本薫氏といった若手女流作家が続々と登場したことが大きいだろう。


一橋大という一見文芸と無縁に見える場からも田中康夫氏が登場する、そんな時代だった。


猫も杓子も、というと誇張になるが多くの若者が学生作家(高校も含む)デビューを目指して血道を上げ、出版社もまた青田買いに奔走するという風潮の中、私の「作家になりたい熱」はむしろ冷めてしまった。


書きたいことがなかったわけではないが、熾烈な競争の末に職業作家になることに、さほど意義を感じられなくなってしまったのだ。


いろいろ情報を集めてみると、運良く認められてデビューに漕ぎつけたとしても、職業作家として何十年もトップを張っていくのは相当しんどいことのように見えた。


広い世間をみて、自分を相対化することが出来るようになったことも大きい。


作家を夢見る「ワナビ」たちの群れを見ていると、まるで過去の自分を見ているようで、夢もたちまち覚めていくと言うものだ。


結局、私は自身の才能で作家になることよりも、別の道を選んだ。


「才能」を判定する仕事、つまり編集者の道を。


多くの作品を読破したことで、自分の才能には格別の自信はなかったが、真に才能のある人を見極めることにはいっばしの自信があったからである。


それを使って、新しい才能を見出だしていけるだろう、そう考えたのだ。


大学を卒えて私はとある出版社に入り、20代のうちは編集畑で仕事をした。


だが、結果として私には大きな成果を残すことは出来なかった。残念ながら。


一応、これという才能のある人を見つけるところまでは、出来たと思っている。


しかしその才能を、商業出版において商品である出版物にまで仕上げて、さらに世間の評価を得るというステージにまで持っていくことはついぞ叶わなかった。


決定権を持つ編集長のゴーサインを得るまでが、まず高いハードルだったりするが、なんとか世に出しても、たいていは空振り。


商業出版では、売り上げの数字がすべて。


一冊出して売れなければ、次のチャンスはなしも同然。


本物のプロの世界の、シビアさを知った私だった。


だが、仕事をすべて失う作家当人に比べればまだましだろう。


ヒットしなかった、失敗したからと言って、クビになるわけではない。


ただ、他の職場に飛ばされるだけなんだから(苦笑)。



結局、作る才能にせよ評価する才能にせよ、どのみち私には大した才能などなかったのだろう。


というよりもむしろ、大半の人間には格別の才能などない。


やはり、ごくひとつかみの人に与えられるからこその「ギフト=才能」なのだ。


そしてそれを持つ者のみ、語ることを許されるものでもある。


他者の才能を評価するためには、自身も才能がなくてはならない。


「誰にでも才能はある」なんて甘っちょろい、ゆとり教育的文言には、私はまったく共感出来ない。


「才能」とは、それを持ちえぬ者にとっては永遠の謎、そして憧れなのである。(この項・了)

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