関西弁

私は東京の生まれだが、関西弁にいささか縁がある。


父親がいわゆる転勤族で、私も幼い頃から引っ越しばかり経験して来た。


幼稚園に上がってしばらくしたら、東京から和歌山市に移ることになった。


当然ながら周囲の子供たちは「東京者」の私とは異なり関西弁を喋っていたのだが、まだその頃は彼らとの違いをさほど感じなかった。


彼らもまだほんのこどもで、私を「余所者よそもの」と感じとるほどの差別意識が芽生えていなかった。


私と同じで、せいぜい「ちょっと違う言葉だな」くらいの認識だったのだろう。


その後まもなく、父親は再び転勤した。


今度は福岡市だった。


そこでも言葉でわずかな違和感を抱くことはあったが、クラスメートから「余所者」的な扱いを受けた記憶はなかった。


それがはっきりとした形で意識されるようになったのは小学2年、今度は西宮市に移り住んでからである。


ここで念のため言い添えておくと、西宮市は兵庫県にある芦屋と尼崎に挟まれた市で、有名な甲子園球場のあるところだ。


私は新しい小学校に転入早々、強烈な体験をする。


担任の先生は、今時はあまりいない、とても厳格でふざける生徒には体罰も辞さないタイプの壮年男性だった。


その先生が、転入生の私に「このゴミ、ほかしておけ」とゴミ屑を手渡ししたのだ。


ほかす? なんのことやら?


私は一瞬理解が出来ず、目が点になった。


何も出来ず固まっている私を見てすぐに気がついたのか、その先生、そして周囲の生徒もこう説明した。


「ゴミ箱に捨てろって意味や」


ほかすイコール捨てる、だったのである。


彼ら関西人にとっては日常当たり前のように使っている言葉も、私にはまるで理解出来ない異国の言葉だった。


このことではっきりとわかるように、関西圏では教育の現場でも、ほとんど関西弁で指導がなされている。


教科書はもちろん標準語で記されているのだが、教師はそれを必ず関西弁のイントネーションで読むのである。


今では少しは改善されているかもしれないが、55年前の当時、教師の喋る言葉はボキャブラリーも、アクセントやイントネーションも、ほぼ100パーセント関西弁だった。


彼ら関西人には「標準語」という概念はないに等しいと言えた。


「標準語」というよりは「東京語」なのであり、彼らにとっての真の標準語は地元の言葉、関西弁なのだった。


私は、そんな地域に「余所者」として飛び込んでしまい、大いに面食らった。


それでもクラスの中で孤立するのはイヤなので、自分なりに環境に溶け込む努力を始めた。


まずは関西弁のボキャブラリーをあらかた覚えて、「ほかす」のケースみたいに、いきなり言われて戸惑わないくらいにはなった。


そして、話す方も少しずつ関西弁に近づけるようにした。


私の小説作品で言うと「ぼくの初恋は、始まらない。」に登場する財前ざいぜん明里あかりが喋っている関西弁に、その成果が反映されていると言えるだろう。


あれはテレビを観たり小説を読んだりして覚えた関西弁ではなく、実際に関西圏にいて、聞いて覚えたものなのである。


しかし、その「郷に入れば郷に従う」努力はあまり報われたとは言えなかった。


私の喋るコテコテの関西弁を聞いた友達は、どこか微妙な表情になるのだ。


中にはストレートにものを言うヤツもいて「お前の関西弁はおかしい。ニセモンや」と文句を言って来る。


こちらは彼らと同様な関西弁を喋っているつもりなのだが、どうやら微妙に違うらしい。


ネイティブ・スピーカーである彼らには、その違いが分かってしまうらしかった。


そう言われてしまうと、グウの音も出ない。


そのうち私は関西人に同化するのを諦めて、東京者という立ち位置に戻ることにした。


ところどころ関西弁を使うものの、あくまでもさりげなく、アクセント程度に留めるようにしたのだ。


西宮市には小学5年の1学期までいて、再び東京へ戻ったので、私の「ニセ関西人」キャリアはそこで完全に終わりとなった。


それから何十年たって、たまに大阪あたりに出張で行くとき、あるいはプライベートで関西旅行するときなどは、「なんとなく、クリスタル」ならぬ「なんとなく、関西人」モードになる。


里帰りしたような気分になる。


買い物の時、街のショップの店員さんらと関西弁でやりとりをして、つかの間の関西人気分を味わい、そして東京に戻るのである。


この程度なら「ニセモン」呼ばわりされないで済むのがうれしい。



ところで、大学に入ったあたりから少し気になり、その後会社に就職したあたりから強く意識するようになったことなのだが、関西人という人種は上京して東京を住まいとするようになっても、基本的に「関西弁で通す」ひとばかりである。


中には標準語も取り混ぜて話す「マイルド派」もいるにはいるが、大半は生まれ故郷である関西圏の言葉ですべて通そうとする。


東京にいて、東京の言葉である標準語を喋らないことに、いささかもひけめを感じていない。


関西に住んでいて、日常関西弁を喋るという行動は別におかしくはないだろうが、それを東京だろうがどこだろうが堂々と通してしまうのが関西人クォリティ。


関西で標準語を喋るのはアナウンサーだけ、というジョークもあるぐらいで、こと関西人に関しては、標準語教育という政策は、ほぼ失敗しているのである。


これは一体なんでだろう。


あるひといわく、「たとえ一時期でも日本の首都、中心地となったことのある関西のひとびとの『東京には絶対負けていない』というプライドが、東京に行っても関西弁を捨てないという行動にあらわれている」


もちろん、それもまったく無いとは思えない。


関西人、とりわけ大阪人は、なにかといえば東京への対抗意識を剥き出しにするようなところがある。


大阪市を特別区に変えるという「大阪都構想」なんていうものも、当然ながら合理的思想に基づいた提案なのだろうが、おおかたの大阪人の支持・人気を集めているのは「大阪も東京なみのみやこ」だと思いたい彼らの心情のあらわれのような気がする。


実際、その政策を実行したとして「大阪都」という呼称になるとは思えないのだが、彼らにとっては魅力的な響きがあるのだ。


しかし、そうだとはいえ「何がなんでも東京を圧倒したい」というほどの、片意地を張ったような行動とも思えない。


私が思うには、上記の理由に加えて次のひとつがあるのではなかろうかと睨んでいる。


「母国語を2種類使わないといけないとか、アホくさい」


つまり、母国語の使い分けなんて合理的じゃない、ならばこれまで何百年と使ってきた土地の言葉優先でええやん、という思想のあらわれなのではないか。


アメリカ人は世界中に英米語を広めて、自分たちは外国語を習得せずに自らの言語だけですべて用を足すようにした。


これと同じようなもので東京の人間は東京語=標準語を全国に押しつけて、それだけで用を足すようにした。


つまり、ラクをした。


この構造に対する反発から、関西人は標準語よりも土地の言葉こそ使うべきだと考えているのではなかろうか。


単純に考えても、外国語でもない言葉を2種類習得するなんて、時間の無駄遣いだ。


これこそ商人の合理的思想をその生活の根幹に持つ、関西人らしい主張ではなかろうか。



そして文学の世界において、そういう関西弁の言文一致的なあらわれとして生み出されたのが、田辺聖子さんの関西弁を駆使した諸作品なのだと私は考えている。


しかしその一方、きわめて面白い例もいくつかある。


ひとりは関西が生んだ、日本を代表する作家、村上むらかみ春樹はるきさん。


彼は当然ながら、日常生活では関西弁を喋っているのだが、彼の描く小説世界では、登場人物はわずかな例外を除くと関西弁を喋らない。


関西弁の饒舌でユーモラスなトーンが、彼の目指す作品世界にはそぐわないだろうから、当然の選択だとは思うが、それにしても神戸あたりを舞台にしているような小説にも、関西弁が一語として出てこないのは、もう徹底しているとか言いようがない。


もうひとりは村上さんよりはかなり若い世代の作家、谷川たにがわながるさん。


彼のヒット作「涼宮すずみやハルヒシリーズ」は、アニメでも描かれているように彼の出身地、西宮市が舞台だ。


私も夙川しゅくがわの近くに住んでいたので、その風景はとても懐かしく感じられた。


このシリーズも面白いことに、主人公のハルヒ、キョンをはじめとして脇役に至るまで、誰ひとり関西弁を喋らないのである。


唯一、鶴屋さんはノリが関西人っぽいなと感じるぐらいで、関西のカの字も出てこない。


このおふたりの「標準語文学」ぶりは、本当に徹底している。


まあそれだけ、関西弁が強烈なキャラクターを持った言語であり、時には表現スタイルを限定してしまうことの証明でもあるだろう。


その強烈なパワーのせいで、「関西人は全員明石家さんまさんのような、超絶ノリのいい人」みたいなイメージが定着してしまっているが、実はそんなことはない。


「ノリの悪い関西人」というものも実在する。


私は会社の後輩で、そういう例をふたりは知っているので、断言しておこう。


ともあれ、関西弁は標準語に対抗しうる唯一のカウンター・ランゲージ。


お笑いだけでなく、文学の世界でも大きな潮流を生み出していくかもしれない。


ニセ関西人の端くれとして、今後関西弁がどのような発展あるいは進化を遂げて行くか、見守っていきたいと思う。(この項・了)

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