11.約束

 どうやって帰ったかは覚えていない。ただ気付くとパソコンの前に座っていて、パソコン机の上には完全に溶けたサクレレモンが汗だくになって二つあった。

 陽が沈みかけた頃、畑に居るから、と祖母に声をかけられて漸く我に返った。俺は溶けたアイスを片付けて、またパソコンの前でぼーっとした。

 家族が順に帰宅し、夕飯の時間になり、俺は呼ばれるままに食卓に着いて味のしない食事を冷茶で胃に流し込んだ。

 それからまたパソコンの前に座り、家族がテレビを見て談笑しているのを聞きながら、ただ茫然としていた。その内順に家族が寝室へ入り、最後に残った母にまだ起きてるのかと訊かれ、シャワーも浴びていない事を思い出し、俺はもうすぐ寝る、とだけ返事をして風呂へ向かった。

 服を脱いで頭からシャワーを浴びる。少し冷たかった。その内シャワーから流れるぬるま湯に、溶ける様に涙が零れてきた。

 嗚咽が漏れる。

 どうして。どうして。

 俺を迎えに来てくれたのではなかったのか。俺を死なせてくれるのではなかったのか。

 どうしてお前が消えなくちゃいけなかったんだ。

 何故、どうして……。

 暫く泣いた俺は、シャンプーをする事すら億劫で、シャワーを止めて脱衣所に出るとおざなりに体を拭いて寝間着を着、それでも髪だけはドライヤーで乾かしてから自室へと引き上げた。

 部屋の中がやけに明るい。月明りだろうかと思って布団の上から外を覗く。月も星も無く、ただ空だけが妙に赤かった。遠く見える山の稜線がはっきりと分かる程に。

「……死のう」

 そう思った。部屋には鋏がある。これでタオルケットを裂いて紐代わりにして、ドアノブで首を吊ろう。

 鋏を手に取り、タオルケットを切ろうとする。そこで、ふっとナツミの顔が浮かんだ。

 ――生きて。

 ――笑って、

 そう云って消えて行った笑顔のナツミ。

 あんな風に消えてしまうのなら、もっと色んな場所に連れて行ってやれば良かった。俺が作る物ばかりじゃなくて、店の、ちゃんと美味い物を食わせてやれば良かった。漫然と死を待つのではなく、ナツミと共に生きれば良かった。

 そうして俺が死ねば良かったのだ。

 けれど。一方的な約束だけれど。生きてと云われてしまった。笑ってと云われてしまった。

 視界が滲む。風呂で枯れ果てたと思った涙がまた零れる。頬が引き攣れるのを感じながら、俺は無理矢理笑顔を浮かべた。

「生きるよ」

 メンがヘラった人間は、約束を重んじる傾向にあるのだ。

 例えそれがどんなに苦しかろうと。これから何度死にたいと思っても。

「笑うよ」

 それがお前の望みなら。

「約束だ」

 それがどれだけの枷になろうとも。

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