理屈なしで動くのは滅多にしないんだけどね

 誰もが悲しみに暮れていた。涙雨がぽつぽつと点から降り注ぐのは、流しても流しても朽ちないせいだ。僕にも伝播してしまって、雨の中を駆けてしまうことにした。そしたらみっともない姿を団長に見せないで済む。


 訃報から二日が経っていた。棺に収まる様を想起し、喉の奥から鈍い音が出る。

 団長は綺麗な状態で収まっていた。話に聞いて想像していたのが血みどろだったせいか、本当は生きているのではないかと疑ってしまったほどだ。だからこそ、綺麗すぎることに違和感を持つことになった。

 整った身なり、化粧が施された真白な肌、苦痛のない表情、閉じられた目蓋。

 言い表せぬ思いが迫り上がる。なんで、どうして、と抽象的な問いが出ては切りがなかった。


「僕のヒーローだったのに」






「風邪引くよ」

「……この程度、平気だよ」


 陰気でいる中の伊織さんの声はよく響いてきた。傘で雨から避けてくれる心遣いは平常ならば暖かいものを感じるだろうが、今は無情である。適合者なんだから、雨程度では風邪は引かないだろ?


 冷ややかな対応なのに、彼女は僕の傍らに居続ける。肌に張り付く衣服が、妙に意識し始めることになった。

 感覚が鋭くなって雨音が耳に障る。また、噂についても。


「なあ、聞いたか? 団長の遺言」

「ああ。どういうことなんだろうな。いくら新人を気にかけていたって、こんな」


 最後までは聞かなかった。僕の名前を呼ぶ高い声を置き去りにして、人がいない場まで逃げる。もう何も考えたくなかった。


「小沢くん」

「ほっといてくれ」

「そんなことできない」


 もっと酷い言葉をかけようとして一瞥したとき、傘の陰になりながらも潤んだ瞳に僕はぎょっとした。


「なんで一人になろうとするの? そんなの悲しいことだよ」

「……その、」

「ごめんなさい。違うの。言いたいことはそうじゃなくて、それは私のことで……」


 きっと、互いに混乱していた。一足早く立ち直った僕が先に言葉を発する。


「伊織さんが悲しいの?」


 幼い子どもじゃあるまいし、普通問いかける内容ではなかった。まごついている彼女に失敗したなと思いながらも、返答を待つ。団長とは別の感情のようだから気になった。


「……悲しいよ。だって、思い出すから」


 津波の被害者のことだとは直ぐに思い当たった。口を噤む僕に対し、訥々ながらにも話してくれる。


「今回も例の鯨のせいなんだよね。本当に嫌になる。私の知っている人の皆が行方不明になって、もうこれ以上同じ事は起きない。ううん、起こさせないって思っていたから」


 手の甲で涙を拭い取るのをただ見ていることしかできない。くしゃりと歪む表情は津波の日以来だった。


「団長の姿が重なるの。特に律……律華っていう名前なんだけどね。あのとき、隣に歩いていた子」

「うん。覚えてる」

「そっか。……それでね、私、あの子とは親友だったの。津波に呑まれた瞬間が最期だったから、死のイメージがついていて。かけがえのない大切な人だったのに、なんで亡くなってしまったのかなあ」

「……ごめん」

「小沢君が悪いわけじゃない。大丈夫。私、ちゃんと分かってる」


 本心だということが読み取れる。自己犠牲がすぎたあのときとは別人のようだ。


「こんな世界、大っ嫌い」


 怨念がこもった言葉に息が詰まった。


「だから私、行くよ」

「待って」


 強い制止は衝動的なものだった。


「駄目だよ。無謀すぎる」


 彼女は鯨に挑むつもりだ。真っすぐに視線を合わせると、睨みつける眼差しが来る。


「なんでそんなこと言うの?」

「当たり前だろ。逆に何で止められないって思ったのさ。僕と君にはできることなんてない。少なくとも今の段階では」

「じゃあこの思いはどうすればいいの?」

「訓練に当てればいいよ」

「それだと有り余るよ。なによりあれに何もできないでいるのが嫌」

「危険だってことがなんでわからないんだよ。死ぬかもしれないのに、なんで」

「それは私が聞きたいよ」


 ずいっと詰め寄られても僕は引きはしなかった。伊織さんはいつの間にか傘なんて放り出していて、雨は上がっていた。


「小沢君は津波のとき、自らの命は顧みないで救ってくれたのに、なんで私には止めるの?」

「っ、それは」

「女だからとか弱いからは言わないでね。私、あなたよりは強いから」


 ぐうの音も出ない。適合者としての能力は彼女の方が上なのは訓練にて明らかである。


「それで、どうなの?」


 答えは出ていた。が、言えるはずない。君はヒーローじゃないから、だなんて。


「……団長が駄目だったんだから、伊織さんなんてもっと駄目だからに決まっているだろ」

「そうかもしれない。でもそのときの状況とか、後は以前よりは情報があるはずだから、次は成功する可能性もあるよ」

「それでも無謀なことには変わりはないよ」


 何とか代わりの言葉を捻出したにも関わらず反駁され、負けぬように強気で行く。すると深いため息をつかれた。


「小沢君……ううん、勇哉くん。この際踏み込んで言わせてもらうけど、名前の割には臆病だよね」

「は!?」


 いきなりなんだっていうんだ。

 戸惑いと苛立ちが募っていると、「もうっ」と彼女がまた一歩、踏み込んできた。あまりの威勢の良さに、今度は後退ってしまう。


「―――あなたなら、できるよ」


 その言葉は団長の遺言と同義だった。


「君に意図がわかるっていうの?」


 嗤笑混ざりに問いかける。


「うん。だって、一つしかないよね」

「自信を持てるってこと?」

「え? なんでそうなるの?」

「最後にしたのがそういう話だったから」


 だがこれではないと思う。わざわざ遺言にするほどの深刻なことではない。


「違うと思う」

「じゃあ何だっていうんだよ」


 能面のようなのが地味に傷つく。拗ねている中では自信満々に「勿論、それはね……」と溜められるのは癪だった。


「勇哉君に、後は任せたってことだよ」

「馬鹿なの?」


 有り得なさすぎて笑いもできない。ジト目でいると目を白黒させて逆に驚かれる。


「何を根拠に言っているかは知らないけど、僕の実力でしかも新人に任せたとか、もっと論理的に考えた方がいいよ。―――ゴホン、言葉が過ぎた」


 もっと柔らかく物申せばよかったかもしれない。フリーズしている。まあ、今は置いておいて。


「僕には無理だよ」


 仮に伊織さんの解釈がそうだとしても、団長の代わりなどできない。だってあんな理想通りのヒーローになんか、願望を無視してしまえば僕には不向きだ。憧れと実際になるのは乖離している。

 又、そもそも僕は求めた側でもある。適合者の存在を知らずにいたとき、諦めに隠れながらにも只管に救いを願っていた。


「できるよ」

「だから何を根拠にして、」

「あるよ」

「え?」

「あなたは私を救ってくれた」

「……君しか救えなかった」


 必死により大勢を救おうと努めたが、一人だけだ。


「それはね、誇るべきことなの。身一つで、体調が悪いにも関わらず、重荷でしかない私を生かしてくれた」

「でも」

「ねえ、一人救えば十分だよ。抱え込みすぎ。何をそんなに難しく考えているの?」

「……ヒーローだったら」


 内心が漏れていることに気付いて羞恥に駆られ、閉口する。伊織さんはそれを許さなかった。真摯な態度で待ち続けられれば、僕は根負けしてしまう。


「ヒーローは皆を救うだろ? 一人だけで残りは全員救えず終わるなんてない」

「なあんだ、そんなこと?」


 顔に熱が集まるのを感じて背くが、彼女は気にすることなく話を続ける。


「なら、もう一度救いに行けばいいよ。まだ終わっていないのだから、敵を斃すことでね。ねえ、ヒーロー?」


 揶揄しながらも、手を差し伸べた。ああ、僕よりよっぽど伊織さんの方がヒーローっぽいな。


 逡巡しつつも重ねた小さな手は、雨で濡れた僕へとあっという間に熱を伝える。もう理屈なんて考えず、想いが僕を突き動かしていた。


 ◒



「なんで皆の前で遺言なんて言ったんですかッ!」


 普段は飄々としている凛雄が怒りの形相で呵責する。葬儀や報告、仲間のケアやらで忙しくしていたあたしをようやっと捕まえてのことだからここで爆発させているのだろうな、と冷静に観察する。


「副団長!」

「いちいち怒鳴らなくとも聞いてる。小沢思いなのは分かったから静かにしろ。時と場合をわきまえろ」

「じゃあ答えてください。わざとなのは分かってるんですよ。言ってどうなるか考えられない程、あなたは頭が回らないことはない」

「それ、遠回しに侮辱してるか?」

「そうですよ。勇哉がこの二日、どんな状態でいたのか俺は見てきました。納得のいく理由があるんでしょうね」

「なかったらするわけないだろ」


 それだけ答えて適当に言葉を並べて追い払う。凛雄は不承不承ながらも、今は引いてくれた。

 遺言についてはそうせざるを得なかったことに舌打ちする。小沢によくない感情が集まるのは予想していたが、罪悪感がないことにはならない。


『直ぐにじゃなくていい。いつか勇哉を俺のような立場にしてくれ。あいつはその資質がある』


 なぜあたしが生き残っているのだろうなと思う。団長と副団長とを比べれば、優先順位は明らかに前者だ。鈍い我が身を呪いながら、あたしはその言葉を聞き届けた。


「さて、どうなるか」


 件の鯨は誘うように未だ沖合に留まっている。憎悪を滾らせながらも、小沢と気にかけてやってくれと事情を話し頼んだ伊織に期待する。


 団長の死に感化された者もいるが、大多数の者は戦いの場に尻込みしている。これまで怪我をすることはあっても命関わる重傷はなかった。それは敵が適合者だからと手心を加えて、それにあたしたちは胡坐をかいていたせいか、死とは無縁だという常識が擦り込まれていた。


「資質があるだけじゃだめだ。この先、生半可な気持ちではやっていくことは無理だろうからな」


 呟くが、不安はなかった。津波の災害が起こり、保護したときの様は印象的である。あたし達の存在に憧憬の眼差しを向けていたのだ。

 必ず来る。それがいつになるかが見通せないだけだ。


「副団長」


 ほら、やっぱりな。


「無理も承知でお願いです。どうか、僕をあの鯨を討つメンバーに入れさせてください」


 礼儀正しくお辞儀までして頼み込んでくる。そんなことをしなくとも入れてやるというのに。


「いい面構えだ」


 資質だけでなく、心意気までよし。

 適合者の資質とは単純だ。早く発現すればするほどあるとされる。


 団長は五年前に目覚めた。そして小沢は小学の頃からというので、少なくとも団長とほぼ同様の潜在能力が見込まれる。


「宜しく頼む、小沢。共に奴を討つぞ」


 彼は瞠目させ、「はい!」と返事をした。団長の代わりにさせるにはまだまだ青臭いが、これから育てていけばいい。まずは鯨討伐になるが、今度こそはあたしの命を投げうってでも小沢を生かし、斃す。


 団長の意思と敵討ちは、どうやってでも成功させて見せてやるのだから。

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