そんなの、僕が知りたい
「これは……凄いね」
眼前に広がるのは、適合者による訓練の様子だった。万全な体作りのため、アスレチック風の建造物を駆け回っている。
「訓練の中では一番見応えがあるからなあ」
凛雄は仲間のお前も参加しろという言葉に対し、平然と「やだねー」と返す。肝が大きいな。
「あ。あの子って……」
僕が初めて見た、時止まり仲間の少女のことだ。
「
「へえ。そんな名前なんだね」
「あたしを呼んだか?」
「うわっ」
「そんなびびんなよ。悲しいだろ」
突然接近されるもんだから仕方ないと思う。だが、幼い子どもに文句は言えず、素直に謝っておく。
「ごめんね。ちょっとびっくりしたんだ」
「小沢くん。多分勘違いしてるから先に言っておくけど、桃々香さんは年上だよ」
「……え?」
「これでも二十後半だ。慣れてるからいいけど、あたしは副隊長だからな。ちゃんと敬えよ」
誇らしげに胸を張るが、大きく見積もっても中学生にしか見えない。
苦笑して誤魔化しておくと「それで新人、決めたか?」と真剣な表情で尋ねられる。童顔なのが気になった。
「入隊には拒否権はないがな。前線か後方支援かは選べる。しっかり自分の適性も含めて考えておくんだぞ」
「「はい」」
「うん。いい返事だ」
適合者は人類のために入隊は強制だった。だから地下空間に連れてこられたのである。
「それで凛雄はいつまでサボってる。今日はまだ何もしていないだろ」
「まだ案内があるんですよ。なあ勇哉?」
「えーと、」
「小沢を困らせるんじゃない。ほら、着替えは済んでんだからさっさと来い。あたしがみっちり扱いてやる」
「副隊長、それは勘弁……」
「いいから来いっ」
凛雄は副隊長に襟を掴まれて投げ飛ばされていた。何十メートルも先にだ。
どこにそんな力があるのか不思議だが、適合者は皆こうらしい。身体能力が上昇して、超人になっている。僕、そんなことないけど?
だが、目の前に繰り広げられている状況から、理解するを得ない。凛雄、凄い逃げ足速いな。それでもあっという間に副隊長に捕まえられているが。
僕は伊織さんとその様を見学する。ちなみに隊長は忙しい立場なのでこの場にはいない。ほう、と息を吐く様を隣から感じたのでちらりと窺うと、ばっちり目が合った。
「伊織さん、どうかした? 疲れたのなら休む?」
二日前の捻挫や蛇に噛まれた件がある。どうやら適合者は身体能力だけでなく治癒も速く完治したようだが、無理はしてはいけない。そもそも治癒能力に関しては腫れが引いた程度なので、僕にとって事実かどうかはまだ疑惑である。
「ううん。そういうことじゃないの」
だが、違った。伊織さんは東さんに言われたこと―――前線か後方支援について悩んでいるらしい。
「私は普通の適合者じゃないから」
「どういうこと?」
「私、蛇に噛まれたでしょう? そのことなんだけど……」
特別な事例だ、という団長の言葉が頭に過る。
「蛇にね、毒はなかったの。検査しても何もなくて、代わりに噛まれたところから集中的に適合者に現れる物質が検出された」
伊織さんは瞼を伏せ、逡巡してから開口する。
「気持ち的には前線に行きたいの。でも私は普通の適合者と違うかもしれないから、訓練してもあの人達みたいに凄い力は出せないかもしれない」
つまるところ不安なのだろう。僕は適合者に現れる物質だとか初耳で、理解が追い付いていないまま、だが蓋然を語った。
「やりたいことが決まっているなら、それを選べばいいよ。東さんは適性のことを言っていたけど、きっと精神的なことであって肉体的なことではないから」
超人的な力が自分に秘めているかなんて、僕も含めてやってみなければまだ分からない。例え向いていないことで進路を変更することになっても、それはできないと決めつけて最初からでなくていい。つい最近になって、行動を起こした僕が言えることではないが。
「……小沢君は決めた?」
「うん」
選択肢を与えられる前からとっくに、東さんや団長と邂逅したときにはそうだった。
「僕は前線に行く」
◒
「奔れ! 自分の限界を決めつけるな! もっと速く、もっと長く! 自分を超えていけえッ!」
叱咤激励のままに、僕は奔って奔って、奔り続けている。グラウンドはもう何週目だろうか。頭の中は空っぽに、他者の言葉を鵜呑みしている。
訓練は認識の矯正から始まった。適合者の本来の力を発揮するために、一般的な身体能力の常識を超人に塗り替えていく。
副団長のような先達者を見ていたので容易かと思ったがこれがなかなかに難しい。これまでの常識など簡単になくなりはしなかった。
「はあ、はあ……くっ、」
僕の先には伊織さんがいた。これ以上距離を離されないように、僕はひたむきに奔ることに集中する。
「勇哉、気張れー」
凛雄の間延びした声援につい苛立つが、全くもって彼の言うとおりである。だが、これでも頑張っているのだ。段々と彼女の姿が遠くなっていくことに苦渋する。
「勇哉は自己認識が低いんだろうなあ」
倒れこむ僕は直ぐに返答できない。納得しながら酸素を取り込む。
「どう、すれば?」
「もっと自信を持つこと」
「それは……難しいよ」
「なーに言ってんだよ。適合者の時点で優れてるってことは確かなんだ。ほら、お呼ばれされているぞ。もっかい頑張ってこい」
一時の休憩は終わり、訓練再開だ。伊織さんが「無理しないでね」と声をかけるが、そのことにより心的ダメージを受ける。男として情けない。ちっぽけなプライドを持っているせいで、初めの一歩から遅れをとってしまう。
「おお、やってるなあ」
朦朧としてきた頭でも、団長がやってきたことに気付いた。カッコ悪いところは見せたくなくより必死になって奔るが、名前で呼び出され僕だけ中断することになった。
「勇哉は実際に体を動かすより、対話した方が効果的だろうからな」
個室に案内されて心臓が高まる。ちなみに恋なんかではなく、憧れ故だ。団長の偉大さはここ数日だけでも十分に身に沁みて感じた。
最初は仲間の言葉から。次に陽気な、一端な僕でも気に掛ける人柄に。最後に追随できぬような圧倒的な身体能力を見取り稽古にて示されてしまえば、誰が憧れないだろうか。こうして団長自ら人を導こうという姿勢にも惹かれる一因である。
「聞いたぞ。自信が持てないんだってな」
「そうですね……。理由は分かっているんです。だからこそ、どうにも難しくて」
「ほう」
「……十年も卑下し続けてきたんです。小学校から、ずっと。昔、僕はヒーローになりたかったんです。恥ずかしいことにも、実は今でもそうなんですけど」
あまりに子どもっぽい願望に、団長は馬鹿にすることはなかった。真剣な表情で話を聞いてくれる。
「僕は団長みたいになりたかった」
ぽつりと本音が漏れる。瞠目している様に本人に向かって気恥ずかしいことを言ったことを実感した。誤魔化すように滔々と事情を語る。
「時止まり中に僕だけが動けることに気付いて、友達に話したんです。特別な力を持っていると勘違いして、いや実際は適合者だったのでその通りだったんですけど。でも当時は時止まりの証明なんてできないから、ヒーローの力だって浮かれていた僕はそのとき友達に言われたことにショックを受けました」
先日の夢のせいで随分と昔のことなのに身近に感じる。ズキリと胸が痛むのを無視して、気軽な態度で話が重くならないように努めた。
「まあそんな訳で、仲間と出会うまでは異端だと思っていたんです。なんせ、僕一人だけではないと知りませんでしたから。だから、異端だって皆に気付かれないようにずっと隠してきました。平凡だって見せかけ、その弊害がここにきて現れたのでしょうね。僕は力なんてないと自分自身にも思い聞かせることになり、きっと、力がセーブされている」
言葉にして、思考が整理されていく。僕は僕を否定してきた。歪んでしまっているなあ、と苦笑する。
「……勇哉は、ずっと一人でいたのか? 十年も?」
「はい。でも、今は仲間がいると知っているので気が楽ですよ。ただ、ずっとそうだった意識はすぐには直らないだけなんです。そう深刻にならないでください」
「いや、だがこれは―――」
「団長いますか!? 緊急です!」
個室の扉がバンっと大きく放たれる。僕は驚いてしまっているのに対し、団長は険しい表情で「なんだ」と要件を問う。
「鯨が沖合まで来ています」
「迫撃するなら今がチャンスか」
「はい。再び被害を出さぬためにも、どうか」
「分かった。出撃の合図をかけろ。予て通り、俺を含めた少数人数で行く。大人数では移動に難があるからな」
部屋から出ていく寸前、団長は振り返った。僕は先手を打って頭を振り、微笑する。
心内を吐露しただけでもう十分だった。身が軽くなった気がする。誰かに話せることは、こんなにも救いになるんだな。
「勇哉! お前は凄い奴だ! ただ一人で戦ってきたことは誰にもできることじゃない!」
「―――っ」
去り際だったから、何も返答はできなかった。じんと目が熱くなり「凄いのは団長ですよ」と遅れながらにも呟く。
「……やっぱり、敵わないなあ」
きっと、僕だけじゃない。誰もが彼をヒーローだって思う。
戦闘の場を想像する。
敵は件の鯨である。団長は仲間を引き連れ、自身の倍以上もある相手に真っ先に果敢に挑みこむ。
「小沢くん!」
「伊織さん」
警報が鳴り響く中、駆けつけてきた彼女はたくさんの汗を流す程運動で体を温めて来たにも関わらず、顔色が悪い。
「ねえ、大丈夫だよね……?」
僕は力強く、自他共に安心させるように言う。
「うん。そうに決まっている」
津波を引き起こして大勢の命を奪いとった元凶に対し、適合者は音の兆候があった以来から行動していたらしいのだ。対峙して、こうして再び鯨と相見えることになってはいるが、津波の被害者の救出を優先した結果である。団長達が勝つに違いない。
だから、その言葉は到底受け入れられないものだった。
「死んだ」
耳を疑った。どこからかの「え?」という声が皆の代弁だった。
全ての視線に曝されている副団長はさめざめと涙を溢しながら、再度通告する。
「団長は死んだ」
信じられなかったが帰還した仲間の様子から、質の悪すぎる冗談ではないことは一目瞭然だ。
「小沢」
一瞬、僕のことだとは分からなかった。思考を止めていたのもあるし、同姓の者かと思った。
適合者に小沢は僕しかいないし、副団長の腫らした目を真っすぐに見つめられて気付いたのだが。
「団長の遺言だ。―――お前ならできる、と」
「どういうことですか?」
僕じゃない誰かが言った。
「具体的なことは言わなかった。ただ、できると」
それきり副団長が口を噤んだところで喧騒が巻き起こった。悲鳴のような叫びや鯨に対する怒りの咆哮、そして僕に関する囁き声。
五感を高める訓練を行っていたものだから、内容まで読み取れてしまう
「……なんであいつが」
そんなの、僕が聞きたい。
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