僕に露出狂の趣味はない

 僕と伊織さんは足を進める。一歩分先を行く彼女のその速度は亀並みである。僕の体調を慮ってのことではない。まずそのことを知らないだろうし、歩き方が不自然なのだ。左足に負担がかからないようにしている。


「休憩しよう」


 僕が告げると、伊織さんは素直に従う。津波のとき只管に高所を目指し坂道を上がっていたので、辺鄙な場所まで来てしまっていた。付近の翠黛に入り込み、そのせいで一戸建さえ遠く他者からの助けは難しい。

 だから僕は木立に赴き、杖の代わりになるような枝を探す。わざわざ折るのは憚れるけど、そうそう見つかるものではないよなあと思っていると簡単に見つかった。というか落ちてきた。


 こんなこと普通あるのか?


 自然に折れた枝に疑問を抱くも、実際起きたのだからそうなのだろう。状態は程よい太さと長さで、大きな曲がりもない。腐ってもおらず、十分に丈夫だ。


 枝を持ってきた僕に伊織さんは瞠目していた。差し出すとおずおずと受け取り、ありがとうと言われる。やっぱり悪い人ではない。


「大分酷いね」


 確認をしていていたのだろう。曝す足首は腫れ上がっている。


「小沢くんが速かったから」


 皮肉か、と考える僕は捻くれている。伊織さんは悪意なく言っただけだった。疲れていたけれど必死だったし、男女の肉体的な作りは違う。


 地べたに座り込み、僕も靴や靴下を脱ぐ。痛めてはいないが、潮に濡れてしまっているのでかなり気持ち悪い。絞っておき、どうするか考え取り敢えずコンクリートの上に置いておく。ズボンは捲っておくに留めてておいた。くしゃみする程寒いが、流石に女子の前だ。僕は露出狂の趣味はない。


 膝を抱え、その腕に頭を置く。体調が悪すぎる。寝転がってしまおうか。ぼんやりとする頭で実行しようとしたところで鯨の声が聴こえた。今回は唸りではなく、甲高い叫びだ。

 どこか哀愁漂っていて、僕はぎゅうと心臓が締めつけられる。とんでもない津波の被害を起こした根源なのになんでだ。だがどこか憎めない。


「何、この音……」


 僕はハッとした。そこの声は過去の二回とも時止まり中だった。そして、今は時は通常通り進んでいる状態である。


「鯨、見なかった?」

「見てない。なんで?」


 怪訝にされ、僕はいや……と曖昧に言葉を濁す。この場所からは海は見れないし、移動したところでまだ鯨がいるとは限らない。証左なしに言いたくはなかった。突然に場違いなことを言いだす変人だと思われようとも、これ以上にグレードアップするよりマシだ。


「そろそろ行こう」


 妙な雰囲気は伊織さんが破壊してくれた。僕は再び気持ち悪い靴下を着用する。



「後どれくらいで着くの?」

「後十分ぐらい」


 会話は最低限だ。学校に向かっていることも聞いたが、後は終始無言である。口を開くのは怠いから都合がいい。勿論、体調不良故だ。

 にしても、後十分か。きっと、もっとかかるだろうな。学校はまだ見えてこないから、痛めた足の分を考慮していないに違いない。


 辛い。僕も杖が欲しい。なぜ二本探してこなかったのだろう。

 頭痛がするし視界が不明瞭で、寒いし熱い。なんだこれ。息も上がるし、体の節々も痛いぞ。

 なぜこんなところを歩いているのか。回顧した結果、津波から救えなかった方を想起して吐き気まで覚える。以前のように人前で致すのは嫌なので、唾液を嚥下して紛らわした。


「――くん、」


 そういえば、同胞の女の子はどうなったのか。どうか潮には沈んでいるなよ、と希求する。ここで名も知らない彼女の死は同胞が零を意味する。

 ああ、なんて自分のことばかりだ。伊織さんのこともそうだ。僕が救いたいから救った人。時止まりをもってしても何もできない不甲斐なさに反論したくて、一人選びとった。あのときは特に深く考える暇はなかったけど、根底にこの気持ちあっての行動で――


「小沢くん!」


 大声といつの間にか眼前に伊織さんがいた。

 僕は仰け反り、ぎこちなく頬を上げる。


「な、何?」

「何はこっち。ずっと呼び掛けても反応しないし……大丈夫? なんだか顔が赤いけど」

「僕のことはいいんだ。気にしないで。それより、何かあった?」

「さっきから唸り声が……」

「え? また?」


 だが、その声は種類が別だった。

 鯨のより音は高くグルルルと威嚇するもので、何より音が重なっている。

 僕は耳を澄まし、音の発生源を辿る。野犬が二匹、藪に身を置いていた。目を合わせると道路で姿を現してくる。

 ハスキーらしき二匹はどちらも敵意を孕んでいた。僕は後退る伊織さんの前に庇い立つ。


「……どうするの?」

「ここを避けて行ける道ってある?」

「大きく迂回してもいいならあるけど」

「それでいこう」


 僕らの動向を見逃さないよう睥睨しており、無理に押し通るののはできそうにない。道路以外で進んでも追いかけて来そうだ。

 ゆっくりと刺激しないように来た道を戻る。二匹はどんな遠方にいても、見えなくなるまでじっと睨み付けていた。


「怖かった……。狂暴な野犬だったね」

「元から住み着いていたのかな」

「それなら話に聞きそうだけど……津波で荒立っていた?」

「かもしれないね。動物って異変に敏感だし。にしても、またと当分時間がかかるね」

「ごめんなさい」

「あっ、そういうつもりじゃなかったんだ。僕も疲れているから、歩く速度は丁度よかったし」

「……ねえ、それだけじゃないでしょう? 本当に顔色が赤いし、足がふらついてる」

「僕のことはいいんだ。まだ、頑張れる」

「そういうことは平気そうな顔をして言って。……ほら、熱がある」


 額へと伸ばす手は避けられなく、体温を計られてしまう。


「小沢くん、座って。休もう」

「さっき休んだじゃないか。のんびりしてたら日が暮れるよ」

「倒れるよりいいよ。急いでいるなら、私が先行して誰か人を呼んでくるから」

「それは駄目だ。挫いた足で一人行くなんて危ないよ」

「なら座る。ねえ、お願いだから」


 狙っているんじゃないかって思うぐらい、僕を見上げ心配する表情は見事でぐっとくるものがあった。

 負けた僕は伊織さんの力ずくで下に引っ張る方向に従う。そして張っていた体の力が抜け、今度こそ寝そべろうとする。


「あの……膝枕、しよっか?」

「…………いい。足、痛めてるだろ」


 とても迷ったが、もし悪化して歩けなくなるのはいけない。彼女の頬を赤らめた反応にどぎまぎしつつ、行動を変更して樹木を背にし凭れる。

 瞼を閉じれば眠りはあっという間だった。駄目だと思いつつも抗えなくて、「時間が来たら起こして」とだけ残し意識が落ちる。


 そして、強烈な頬の痛みがおきた。バチンッと叩かれ目を白黒させた僕に伊織さんは言う。


「どうしよう……私、私、











 死んじゃうかもしれない」

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