非力だから救えない

「僕って実は不運体質だったのかな……」


 少女との邂逅場で独白する。フェンスの上には少女はいない。そうだろう。だってあれから興奮から悪化した体調のせいで嘔吐までしていた。

 駅までは耐えたがそこからは駄目だった。その場に居合わせた方が親切で良かった。吐くもの吐いてスッキリした後も心配され解放されなかったのは誤算だったが。

 手厚い介護を受ける身分で拒絶はできない僕だ。平生だったらありがたいことである。だが、こうして同胞が消え去った現状、不満を抱いてしまうのは許して欲しい。


 ああ、時止まりの突発性が憎らしい。後数秒あれば、少女に意図は伝わっていただろう。

 落ち込むが、ここで立ち止まる訳にはいかない。まだ近くにいる可能性がある。


 今回から難易度は飛躍的に低くなった。なんたって容姿を知っているのだ。

 普段視界に入れない上側を中心に捜索していく。首が痛いが、少女はフェンスに立つような子だ。高いところが好きかもしれない。又は危険な遊びに夢中になっているかも。時止まり中は誰にも咎められないから遊び放題なのである。


 高揚の気分であっちやこっちを巡っていく。二週間も歩き回っていたので地理は大体に把握している。だが、見つからない。


 ここで一つ発案する。少女が出歩いているならば、その様を高所から見つけ出せばいいのだ。

 幸いここは山が近いので急勾配がある。様々に場所を変えて鳥瞰する。その際海が目に入るのでついでとばかりに眺める。


 うん。ここの眺めも綺麗だ。

 いそいそとスマホを取り出し写真を撮ろうとする。余裕の心持ちなので、モードを選択までしてしまった。そしてピントを合わせ、シャッターチャンスを見極める。そんなとき流れの変化を感じ取った。


「二回目だ」


 初めてのことである。幾度の時止まりで敏感になった僕のセンサーを生かし、同胞を探す。


 今度は長く止まっていてくれよ。

 目を凝らしているとそれを発見する。遠方すぎて黒い陰にしか映らないが動きがある。海の上で。


 まさかの場所にポカンと口を開けてしまう。

 なんてこったい。少女は海水浴をしていたのか?

 まだするには早い時期だが……好みは人各々か。だがそれにしては遠海だよねと疑っていると、正体は人でないことに気付く。


 薄墨色の滑らかな表面が少しだけ覗かせている。漂流物ではない。生き物だ。海獣である。

 大部分が海水に隠れているが鯨だと予想する。ちょくちょく現すその姿は図鑑や映像で知るものだ。


「なんでこんなところに」


 僕が感じた異常性は海獣が海の畔に近づくにつれより明瞭に感じることになった。

 あまりに巨躯すぎるのだ。二、三十メートルはくだらない。広がる砂浜と比べ、口元が引き攣る。

 例え時止まりで動けるような特殊な存在だと慮っても変体だ。僕以上である。


「――オオオオオォォ」

「獣でもいいとは思ったけどさ、流石にこれは……」


 無理だ。無理である。

 もし近づいたら喰われてしまう。鯨と言えど、僕サイズでは小魚同然だろう。それにまず近づくだけでも困難だ。波に浚われ呑まれる予感しかしない。


 僕は海獣に関しては諦めた。物事には限度がある。どこにいるとも知れない少女を探す方がわかりみだ。


 とはいえ、海獣の動向は引き続き観察する。浅瀬に来ていることから全体像が見えてきた。どうやら海獣は自らの意思で赴いているらしい。寄り鯨で陸まで打ち上げられた様子ではない。悠々と泳いでいる。

 海獣は進める限界にきたのだろう。ピタリと止まり潮だけはそのまま流れ打ち寄せる。

 浜辺には人がいた。その被害を想像して駆ける。


 僕がどうにかしなければ。時止まりでも動ける僕が。


 衝動に突き動かされたものだった。距離があるのに、とかどのように、という深い思慮なくただその人を助けようとした。

 一心不乱に坂を下りる。体力がないものだからまた息が上がって、そして目の当たりにする。


 海獣が暴れていた。くねらしたり、飛び跳ねたり、尾で水面を叩きつけたり、方向転換したりする。海獣にとっては何気ない動作だったかもしれない。僕ら人間からしたら準備体操みたいな、激しくない運動。

 だが、海獣は巨躯だ。比喩するのが馬鹿らしいぐらいに、僕が知る中で最大の生物である。

 結果、津波が起こったのは至当の摂理だった。


 男波が浜辺の人だけでなく堤防を越える。白の泡立ちが舞い、どんどん乗り越える。

 絨毯のように地面を被さっている。まさに怒濤の勢いで町は浸水し、物を押し流す。



 時が移ろい、磯の香る風が僕を撫でる。

 時止まり中ではどうすることもできなかった。目の前に繰り広げられる現状を理解することが、矮小な身一つでできることだった。僕は叫ぶ。


 津波だ、逃げろ、速く、津波だから、外を見て家を出て、津波だ、波の音が聞こえないのか、津波、津波なんだよ、津波だ。お願いだから気付け!


 こんなことで人が救えるのか、と疑問が過る。

 声が枯れる。腹に力を込めすぎ、肺が捩れそうに痛い。奔りながら咳き込み、それでも叫び続ける。


 ああ、と悲痛が漏れる。

 船や車、建物までも波に浚われる。見えないだけでもう幾人も死んだ。僕は救えていない。

 声を出しているだけなのだ。体が不自由な方がいるだろうが、僕にはそのような方がどこにいるかは分からない。ヒーローみたいに救いを求める者を容易に見つけられない。


 津波の予兆がなかったせいで避難する者は極僅かだ。いや、あったか。時止まりでの唸り声。だが、あんなもので津波が起こるなどと誰が分かるか。


 津波は僕にまで迫って来る。断念して逃げるが、その判断は遅かった。

 次第にバシャバシャとした音が耳に障る。濁流が建物の隙間から一気に溢れ出るのが見えた。重い足を前へ、速く動かすんだ。なだらかな勾配を駆け上がり、高所を目指す。


 その途中、遠目に人が二人いるのが見えた。なぜ立ち止まっている。潮に挟まれた訳でもないだろうに。

 怪訝は直ぐに氷解する。また時止まりだ。三回目である。逃げるのに必死で全然気付けなかった。


 海獣は時を操れるのか? なんて最悪な。

 潮は傾れている。きっと、止まってから結構時間が経っていた。どれだけ海獣は暴れれば気が済むのか。

 呼吸が激しすぎるので心内で盛大に罵っておく。海獣のせいにしなくてはやっていられなかった。

 追い付きそうなのだ。二人と潮、両方共にである。


 二人は救えない。せめて一人、僕も共倒れるかもしれないが、それでもと決意はする。

 選択が迫られる。どちらも女性だった。学生を示す制服を身につけていて、髪はショートとロングと別々だ。


 優劣がなかった。どちらか一方が背が低かったりすれば良かったが、体躯はほぼ同様だ。

 どうすればいい。迷っている暇はない。後一歩の内に手が届く。その瞬間、停滞が破られる。


「奔れ!」


 目があったロングの子の腕をとる。ショートの子を置いてけぼりに、僕が言葉の意味を実行して見せる。


「美桜!?」

「律!」


 互いに名を呼びあっている場合じゃない。

 いいから奔れと振り返る。驚愕しながらも友人に手を伸ばしていた。それを僕が取ろうとする。だって、女性の体躯より一メートル高い潮があったから。


 だが、その甲斐なく呑まれた。僕は歯を食い縛り、前を向いた。自身の非力さに嘆きに浸る時間があるなら奔ろ。この女性を救うんだ。

 りつ、りつと何度も繰り返していた。腕から僕への抵抗を感じるが、脚を濡らし浚おうとする津波の脅威にいつしか失い、牽引されるがままになっていた。

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