ふたばの終わり

和泉眞弓

ふたばの終わり

 透きとおる風が山すそへと吹きはらい、カサコソコロと枯葉が転げていく。四年生のわたしは今、ほほをばら色に、好きな男の子の家に向かっている。家族には、カナちゃんの方に行く、と言って出た。方向は同じだからうそでもない。長い国道を西へと向かう。陽のまぶしさに目を細めながら、やっとつま先のつく女性用自転車のペダルをぐいっぐいっとこいでいく。誰にも言ってないけど、考えが現在を追いこしてしまうことが、ときどきある。イトコの洋平に「妹が生まれるよ」って言ったら、本当に六歳下の妹が生まれた。メーデーの行進で「はんたーい」ばかりにあきてきて適当に「自分のことばっかり考えるなー」って言ったら、なぜか大人に深く感心されてしまった。自転車を手に入れて、考えの速さに少しだけ近くなった気がする。大人になって早く自動車がほしいと思う。そうしたらやっと考えに追いつける気がする。

 郊外にあるその子の家は車屋さんで、横にトラクターと広い空地があった。うわさになっても困るから、ぼうっとしていて絶対に断らない男の子も誘って来た。「女の子だから好きじゃないかもしれないけど」好きな子のお母さんは、テレビCMでやっている小型車のシールをくれた。車のシール、そして女の子のお友達だと認められたことが、とてもうれしかった。女友達は、ガールフレンド。覚えたての英語を思い出すと、心臓が飛び出しそうになる。今日のことはだれにも絶対に秘密にして、シールは宝物にするんだ。

 空地でわたしたちはさびついたトラクターの上に乗り、じゃんけんをして、負けたら下りて、またよじ上ってじゃんけんをした。終わったら今度は探検で、すすきの中をかきわけて道を作った。先頭を行き道を開く好きな子の横から穂が波立ち、ふあっ、ふあっと金色のカッコが光った。黒いとばかり思っていた男の子の髪は、陽に透けると茶色みがかっていることに気がついた。すすきの中はほんのり温かい。ぼうっとした男の子はずいぶん遅れているみたいだ。わたしは先を急ぐように、好きな子の背を押し初めてふれた。少ししっとりしていた。「わかってるって。大変なんだって」好きな子が笑い返す。奥二重の細い目も、八重歯のまざったみそっも、振り向いたときに産毛が光るのも、カメラアイで焼きつけた。そして、そして、彼にしかない、あるもの。わたしはそれが目に入ったとたん視線を離せなくなってしまう。できれば、最も彼らしい「それ」に、女の子として初めて、ふれてみたいと願っていた。

 すすきを抜け出し、もう一人が遅れている間に並んでトラクターに座った。とても近かった。出たての芽のようにやわらかで産毛さえ見えるその突起を、わたしはじいっと見つめた。左耳の前、もみあげのあたり。「さわって、いい?」恐る恐るたずねたわたしに、好きな子は「引っぱんなよ」と笑った。わたしはそろりと彼の「ふくじ」に触れた。こんなことをしていい女の子はわたしだけで、そうあってほしい、と念じた。ほどなくもう一人が出てきた。間に合った、と思った。帰りぎわ、好きな子がおみやげに朝顔の種をくれた。これも宝箱に入れよう。

 同じ秋、冬が来る前、不思議なことがあった。お姉ちゃんと外で遊んでいたら、青いセキセイインコがわたしの頭にとまって、それがなかなかはなれなかったのだ。しかたがないので飼うことになった。わたしは、青い鳥に選ばれた、と得意になりかけて、さすがに鼻につくと思ってやめた。でも心のどこかで、わたしだから降りてきた、という、何か確信めいたものがあった。インコはメスでピーコと名づけられた。ピーコはかごから出してもらって居間中を広くはばたくのが好きだった。居間のカーペットは深緑でくるくるしていて、ピーコがうんこを落としてもわかりにくく、乾いたそれをお父さんがつまんで拾うたびに、家族みんなで笑った。かくしごとが多いわたしも、この冬は心から笑うことが増えた。

 春になり、ピーコが太った。しいた紙をちぎり、すみにこもった。無精卵を産んだらしい。かごを開け放し、喜んで飛んだすきに片づけようとお父さんはねらっていたけれど、ピーコもなかなか飛ばなかった。それでも、何日目かで恐る恐るかごを出た。帰ってきて卵がないことに気がついたピーコはくるったようになってかごに翼を打ちつけ、羽が飛んだ。くちばしでかごをぎりぎりかんでは揺さぶり、ガシャン、ガシャンと荒い音が続いた。鳴き声がもう悲鳴だった。すっかりわたしの知っているピーコのようではなかった。「かわいそうにね」お母さんがしみじみ言った。二日目、ピーコはしおれて暴れるのをやめた。

 夏になり、真新しい母子手帳がテーブルに置かれていた。母子手帳は六歳まで、わたし知ってる。「何で? わたし十一歳だよ」小賢しく言うわたしに、お母さんが、あなたはお姉ちゃんになるのよ、と伝えた。初めは冗談と思ったけど本当らしい。もう父母の寝室に行けないと思った。ソファで寝たふりで静かに泣いた。

 秋になり、赤ちゃんを迎えるために、ピーコはオスのインコがいる洋平の家にもらわれていった。新車を買うことになり、好きな子の父母が家に来て、悪気なく遊びに行ったことをばらされた。もう秘密じゃない。その子のことも好きじゃない。わたしはすぐさまシールを捨てて、朝顔の種を庭にほうり投げた。

 冬になり、妹が生まれた。可愛がれるか心配だったけど、妹は親のいいところ全部寄せで、姉妹いち顔が可愛いかったので、結果オーライ心配無用だった。少しして妹の足が悪いとわかり、わたしは洋平にピーコが足を痛めていないかと聞いた。「何ともないよ」と軽く言われた。六年生の初夏だった。庭には朝顔が芽吹き、ふたばがしおれ本葉が出かけていた。わたしに生理がおとずれた。考えが現在を追いこすことは、もうなかった。

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ふたばの終わり 和泉眞弓 @izumimayumi

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